野火 の商品レビュー
【オンライン読書会開催!】 読書会コミュニティ「猫町倶楽部」の課題作品です ■2022年8月7日(日)17:30 〜 19:15 https://nekomachi-club.com/events/1103abc3f3aa
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あらかじめ覚悟していたせいか思った程エグさは感じなかった。 エリートと言うか知的な人間が戦場を見るとこんな感じなのかと妙に感心。
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大岡昇平の代表作。フィリピン戦線の凄惨さ。病院前に座り込む負傷兵。カニバリズム。戦後精神病院へ入院している主人公…
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大岡昇平氏の二次戦中フィリピンでの従軍経験を元に書かれた戦争小説。 大岡昇平の戦争小説と言えば『俘虜記』も有名ですが、本作はフィクションの色が強く、ある種の軽さがあった俘虜記とは違って凄惨な戦争が描かれています。 戦争小説ではありますが、理不尽な軍隊生活、敵兵との戦闘、及び戦争の...
大岡昇平氏の二次戦中フィリピンでの従軍経験を元に書かれた戦争小説。 大岡昇平の戦争小説と言えば『俘虜記』も有名ですが、本作はフィクションの色が強く、ある種の軽さがあった俘虜記とは違って凄惨な戦争が描かれています。 戦争小説ではありますが、理不尽な軍隊生活、敵兵との戦闘、及び戦争の悲惨さを訴えた内容ではなく、戦争体験を通して感じたこと、極限状態になることで得た意味を告げる内容です。 大岡昇平氏は、日本文学史上、第二次戦後派作家として挙げられますが、本作を読むと、第一次と第二次の違いがわからなくなりますね。 敗戦国なった頃、フィリピン・レイテ島での作戦に参加した田村一等兵は、病により5日分の食料を与えられ患者収容所に送られる。 3日で退院し隊に戻ったが、5日分の食料を与えたので5日は帰ってくるなと言われる。 病院からは、あれしきの食料5日分とはいえないと言われて追い返され、隊に戻ると、入院できないなら自決しろと言われる。 仕方なく似た境遇の病院たちと収容所の入り口で屯していたが、収容所がアメリカ軍に攻撃され、田村は熱帯の山の中へ逃げ込む。 独り山奥を歩き、食料も無く、自分が生きているのか死んでいるのかもわからない状態となる。 その後、なんとか打ち捨てられた畑を発見したことで糊口を凌ぐのですが、遠いフィリピンのジャングルで明日も知れないままさまよい歩くという、地獄のような状況下で、田村はいろいろなことを思います。 私自身、戦争経験があるわけではないので、それは想像を絶する内容です。 田村が、例えば、教会で十字架に貼り付けになったキリスト像を見て涙を流すのですが、その理由は、一言で言えない、その状況が生んだ感情であろうと思うんです。 大岡昇平氏の巧みな筆は、かの戦争を追体験させてくれますが、その体験は"こんなもんじゃない"ということが伝わってくる内容となっています。 また、極限状態の人肉嗜食も本作の重要なテーマとなっています。 田村は、臀肉が失われた死体のあることに気づき、犬と鳥が多いものと思ったのですが、その姿を見かけませんでした。 やがて、その意味を知るのですが、飢餓状態であっても、そこに踏み切ることはできないままでいます。 いよいよ餓死寸前という時に、病院前で会った若い日本兵・永松に会い、"猿の肉"を口にします。 その正体をどう受け止めるべきか、読む人によっては感情的におぞましい、気持ち悪いとだけ感じる内容だと思います。 正常な精神であれば取り得ない行動も、せざるを得ない状況下で行う分には、正常と言えるのだろうか。 正常なまま狂ってゆき、戦後、精神科病棟の田村は、狂人のまま正常だったのだと思いました。
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日本軍は、病気になった兵士を、病気になったからというそれだけの理由で、追放しちゃうのか、というのが何よりも衝撃。しかもたった六本の芋と銃と自殺用の手榴弾だけを持たせて。命を預けていた軍に最後の最後でそんな仕打ちをされて、病気と飢餓と敵の襲来の恐怖の中で森の中を彷徨い続け、たった...
日本軍は、病気になった兵士を、病気になったからというそれだけの理由で、追放しちゃうのか、というのが何よりも衝撃。しかもたった六本の芋と銃と自殺用の手榴弾だけを持たせて。命を預けていた軍に最後の最後でそんな仕打ちをされて、病気と飢餓と敵の襲来の恐怖の中で森の中を彷徨い続け、たった一人で死んでいった兵士たちが実際に数多くいたんだと想像すると、なんておぞましいんだろう。 --- p.7 彼は室の隅の小さな芋の山から、いい加減に両手にしゃくって差し出した。カモテと呼ばれ、甘薯に似た比島の芋であった。礼を言って受け取り、雑嚢へしまう私の手は震えた。私の生命の維持が、私の属し、そのため私が生命を提供している国家から保障される限度は、この六本の芋に尽きていた。この六という数字には、恐るべき数学的な正確さがあった。 --- 主人公の田村一等兵も、結核に侵されて部隊を追放された。軍医たちは収容された病人たちのために支給されたわずかな食糧を自分たちのものにして食いつないでいたため、病院に行っても世話はしてもらえない。高熱、幻覚、四肢の壊死に苦しむ仲間たちを横目に、かろうじて正気を保っていた彼だったが、放浪の末に徐々に精神に異常をきたしていき、最後はたまたま再会した同じ部隊の仲間を殺してその肉を食べるか否かという究極の選択にまで至る。 追放されたあとの彼にとって、「死」というものが、留保し続けているひとつの選択肢でしかないという点に、読んでいて胸を抉られる思いがした。いつでも好きなときに自分で選択できる一つの可能性。わたしが「髪を切りに行こうか、明日にしようか」と考えるようなテンションで、田村一等兵は「この手榴弾の栓を抜こうか、明日にしようか」と考える。自らの死とそんなふうに向き合うことは、戦時下という特殊な状況でなければありえない。読み終わった後も、背筋がスーッとする感覚がまだ抜けない。 --- p.51 死ぬまでの時間を、思うままに過すことが出来るという、無意味な自由だけが私の所有であった。携行した一個の手榴弾により、死もまた私の自由な選択の範囲に入っていたが、私はただその時を延期していた。 --- 終戦後、PTSDの諸症状から精神病院に収容されることになるが、そうなった後もなお、彼にとって自らの死は一つの可能性、選択肢という位置付けであり続ける。選択する理由はないからとりあえず留保しているだけで、そこに恐怖も、拒絶もない。ただ今は選ばない、なぜなら選ぶ理由がないから。 --- p.193 私は求めて生を得たのではなかったが、一旦平穏な病院生活に入ってしまえば、強いてその中断を求める根拠はなかった。人は要するに死ぬ理由がないから、生きているにすぎないだろう。 --- 本来、死は、訪れるもの、向こうからやってくるもので、人間が自らの手によってどうこうできるものではないはず。けれど戦争中も、戦後さえも、田村一等兵にとって自らの死はあまりにも身近にあり、能動的に手を伸ばすことができるひとつの可能性だった。そのことが、戦争がいかに異常なことか、今わたしが生きている毎日といかに乖離したものかかを物語っていて、なにか、さざなみのような戦慄が背後から音もなく押し寄せてくるような、そんな感覚を覚えた。
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フィリピン離島の自然と空気感と異常な心理状態が乗り移ってしまいそうにリアリティをもって迫ってきた セブ島に住んでいたころの離島滞在の体験も重なり、映画を観るような五感に迫る読書体験となった
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1952年作品。作品自体には私が中学時代から(50年近く前)読んでみたいと思っていました。ただ、刺激的な場面や人肉食などが怖くて読めずにいました。今回読んだきっかけは、今臨時職員として勤務している小学校の図書室で見つけたからです。小学生が読むには刺激的で時代も大きく違いますので理...
1952年作品。作品自体には私が中学時代から(50年近く前)読んでみたいと思っていました。ただ、刺激的な場面や人肉食などが怖くて読めずにいました。今回読んだきっかけは、今臨時職員として勤務している小学校の図書室で見つけたからです。小学生が読むには刺激的で時代も大きく違いますので理解不能な部分は多々あるとは思います。しかし私の世代(おじさんやおばさんにあたる人に戦死者がいる)には、迫ってくるものがありました。作品自体は中編だとは思いますが難解な部分があり、読み終わるのに時間がかかりました。まだ、理解は十分ではありません。きっと、読み返すでしょう。戦場という極限状態が、通常の人間を追い込み判断を狂わせて、とんでもない行動に駆り立てる。恐ろしいです。ただ、それが戦争なんでしょうね。映像化されたものもあるようなので観てみたいと思います。
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戦争文学。 「戦争は怖いよね、惨いよね、やめようね」といった一言では到底片付けられない、常識と善悪の判断を超越する、運命の流れと人間の命について書き綴られた文学だった。 自分が病を抱えて戦争と飢餓の真っ只中におり二重に死につつ、南国の太陽と樹々の下にいるという奇妙な事実、兵隊な...
戦争文学。 「戦争は怖いよね、惨いよね、やめようね」といった一言では到底片付けられない、常識と善悪の判断を超越する、運命の流れと人間の命について書き綴られた文学だった。 自分が病を抱えて戦争と飢餓の真っ只中におり二重に死につつ、南国の太陽と樹々の下にいるという奇妙な事実、兵隊なのに肺病で食糧調達に働けない存在意義、食べ物を巡る友情や束の間の関係と、兵隊の身分、血を吸うヒル、生の草、実るヤシの木の下の夜、アメリカ兵への恐怖と降伏の躊躇、フィリピン人の出会いの生死、死につつある人間と死体と傷口の黒い蝿の蠢き、サルの肉、松永と安田。 人を殺す、人を食べるという極限の選択が、遥か遠くからこの瞬間にここにいる存在意義、自然と生命を食べて生存している運命、導き、何かの視線、魂と自分の左手と意志、そういったものが一緒くたに混じり合い、衝撃を受けながらも読んでしまう。 どこまでフィクションなのか、作者の無意識の言い訳や逃げがあったりして現実と異なる部分もあるのだろうけど、異国の戦地での極限状態と人間の意志について読むべき本。
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う~~~~ つら~~~~い なんか、戦時中の命の価値観みたいなものを知ろうとしなきゃみたいな気持ちになって読んだんですけど、「私ももし同じ状況で島に放り出されたら同じことになるんだろうな」って思って、それは令和に生きる私の価値観と前線の兵士の価値観が同じだからなのか、それとも私...
う~~~~ つら~~~~い なんか、戦時中の命の価値観みたいなものを知ろうとしなきゃみたいな気持ちになって読んだんですけど、「私ももし同じ状況で島に放り出されたら同じことになるんだろうな」って思って、それは令和に生きる私の価値観と前線の兵士の価値観が同じだからなのか、それとも私がこの小説を読む時に自分の価値観で読んだからなのか、まだよく分からない。 「現代の戦争を操る少数の紳士諸君は、それが利益なのだから別として、再び彼等に欺されたいらしい人達を私は理解できない。」 わかりみ~~~って感じ。
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大岡昇平『野火』新潮文庫 辛かった・・・けどようやく読了しました。8月中に読み終えられてよかったです。 太平洋戦争でフィリピンに派兵された田村という平凡な陸軍兵と周辺の敗兵たちのサバイバルと戦争犯罪、そして田村本人の信仰と倫理的葛藤と発狂が描かれています。焦点は生き延びるため...
大岡昇平『野火』新潮文庫 辛かった・・・けどようやく読了しました。8月中に読み終えられてよかったです。 太平洋戦争でフィリピンに派兵された田村という平凡な陸軍兵と周辺の敗兵たちのサバイバルと戦争犯罪、そして田村本人の信仰と倫理的葛藤と発狂が描かれています。焦点は生き延びるために人肉食を犯すかどうか・・・ 凄惨でグロテスクな物語が非常に格調高い美しい文章で語られます。 これは手強い。思わず島田雅彦の100分de名著の解説ムック本を買いもとめました。 解説が吉田健一というのが望外の嬉しさでした。また、偶然ですが事前に文藝春秋編『もの食う話』に掲載されていた大岡昇平『食慾について』を読んでいたのは良い下地になりました。
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