野菊の墓 の商品レビュー
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マックで読んでたら泣きそうになってしまって休みながら読みました。 僕はもとから野菊がだい好き 僕大好きさ わたし急にりんどうが好きになった。 民さんが野菊で僕が竜胆とは面白い对ですね。僕は悦んでりんどうになります。 キャー
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『野菊の墓』 過去に幾度となく映像化されたもののいくつかを見たことあれど原作は初めて。若すぎる2人の儚い恋心が美しく切なく表現されている。嫁いでもなお政夫への思いを持ち続けた民子の健気さもさることながら、悲しい結末に追い込んだ事を後悔し泣いて謝る大人に対し、悲しみを堪えて受け止め...
『野菊の墓』 過去に幾度となく映像化されたもののいくつかを見たことあれど原作は初めて。若すぎる2人の儚い恋心が美しく切なく表現されている。嫁いでもなお政夫への思いを持ち続けた民子の健気さもさることながら、悲しい結末に追い込んだ事を後悔し泣いて謝る大人に対し、悲しみを堪えて受け止める政夫の姿が、この物語を一層切なく美しいものにしている。 明治の時代はかくもこのように恋愛には閉鎖的だったのでしょうが、世間体を気にする大人の身勝手さや醜さと言ったものはいつの時代にも当てはまるからこそ時代を超えて読み継がれ映像化もされるのでしょう。 『浜菊』 以前文学の道を志したがその道を諦め家庭を持った者が、今も文学の道を生きるかつての同志の訪問に対し、冷たいもてなしをする言うだけの短い話だが、その邪険な扱い方がちょっと面白く、そんな事あるだろうな、と思ってしまったw 妹が年賀状で、また来てくださいと書いてくれたからと言ってのこのこ訪問してしまったが招かれざる客と悟った主人公。一つの時代が終わった、と感じる瞬間は誰しも経験する事だと思うし、夢を諦め堅実な生活を選んだ人にとって、今も自分の道を生きる友人にはやりきれない複雑な思いを抱く気持ちもわかる。 『守の家』 主人公が幼い時の、子守の娘との思い出。これまたとても短い話でしたがなかなか良かったです。
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兄嫁なんだアイツ絶対に許さねぇ! 幼さの残る二人が、周りから「デキてんじゃないの?」と言われた途端に意識して恋に落ちてしまうっていうのがなんともリアルで可愛くて良かった。 映画版はきっとラストが改変されてハッピーエンドだろうと信じてたんですけど、やっぱり民子は死ぬんですね。つら……
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久しぶりに胸きゅん。 普段、イヤミスとかホラーとかおどろおどろしい本ばっかり読んでる自分の中にまだこんなピュアな気持ちが残っていたのかと驚かされるほど、可愛いやりとりにきゅんきゅん。 だからこそ、ラストが哀しい。
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子供だましの様な純情話に年甲斐もなく涙がこぼれそうになった。こぼれたのでは無い。そうになったのだ。「民子は死ぬのが本望だ」民の今わのきわ
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可哀想で泣きそうになった。 古典の名作はバッドエンド多い気がする。 貴方は野菊のような人だ、とか好意を直接言わないところが奥ゆかしい感じがしてよかった。
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バッドエンド多し。 しかしよく考えると人生もバッドエンド(?)バッドな区切りは多い。これが正しいリアリズムかもしれない。 現代のスカッと爽快逆転ものは読んで気持ちいいが、実際はそうそう起こらない。
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何度目だか忘れたけど、気持ちをピュアに戻したい時に好適な小品。いつまでも色褪せないでホントに古風だけれど 純粋で甘酸っぱくて もどかしくて切なくて、そうだ自分にもこんなのに近い気持ちの時が かつてあったよなぁ 等と大昔を回顧したり ね 笑。あっと言う間に読めるし。
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映画(松田聖子の)を見たので原作も読んでみました。アララギ派らしい素朴ながらも悲しいお話。収録されていた「浜菊」の文章が好きで2回読んだ。
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伊藤左千夫の『野菊の墓』はタイトルとしては知っていたし、いろいろな映画になったのも知っていたけど、読んだことはなかった。明治時代の純愛文学の代表作とのことだが、時代の違いが物語のトーンを決定しており、結局純愛って何?という疑問が離れない。まあ時代背景を学ぶということなんだろうか。...
伊藤左千夫の『野菊の墓』はタイトルとしては知っていたし、いろいろな映画になったのも知っていたけど、読んだことはなかった。明治時代の純愛文学の代表作とのことだが、時代の違いが物語のトーンを決定しており、結局純愛って何?という疑問が離れない。まあ時代背景を学ぶということなんだろうか。 親の決めた相手と結婚するという考え方が主流の時代で、好きな人と結婚できずに病に伏せって亡くなってしまう、そんなことなら好きな人と結婚させればよかったとやっぱり親が考えて慟哭する。であれば、やっぱり親達も好きな人どうしで結婚させるべきだという考えがあったということなのか。親が決めた先というのは家と家が結びつくということもあったとは思うが、そこには違う利害関係や、それは親が何かのために良かれと思ったことなんだろうとも思うが、それはやっぱり純愛と正反対に位置するものなのだろうか。 伊藤左千夫が表現したものは、自由な文体で恋愛を扱う、ということなのか、純愛という性愛などとはかなり遠い位置にある、恋愛経験の幼い段階のことを文学にしたことが珍しいことなのか。なんだか何度も読んだり他人の書評を読むにつけ、表現の世界にとどまってしまっていないか?そんなことを感じたりもしたわけです。
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