「知」のソフトウェア の商品レビュー
知的情報のインプットとアウトプット:人間が個性的存在であるため一般論が成立しない。自分で自分の方法論を確立するしかない。 残りの一生であと何冊くらい本が読めそうか→自分が死ぬまでに読める残り何冊の一冊たるに値する本かどうかを頭の中で吟味してから読むべき。 ⭕️速読に必要なのはひと...
知的情報のインプットとアウトプット:人間が個性的存在であるため一般論が成立しない。自分で自分の方法論を確立するしかない。 残りの一生であと何冊くらい本が読めそうか→自分が死ぬまでに読める残り何冊の一冊たるに値する本かどうかを頭の中で吟味してから読むべき。 ⭕️速読に必要なのはひとえに精神の集中。それ以外に何の訓練もいらない。 インプットの二つのタイプ→①アウトプット先行型=知的生産型・目的先行型と②インプット先行型=知的生活型・無目的型 ①「本に目を通す作業」1ページ2秒間だけ物を眺めるように活字の字面を眺める。 情報代謝によって各人の知的世界を形成し、維持し発展させていく。 新聞は手際よく読むこと。マメに読む必要はない。 雑誌はどうせ無駄になりそうな時間、寝つくまで、電車の中で、一人で酒を飲みながら読む。 インプット・アウトプットの間はブラックボックス KJ法は役に立たない。コンピュータにはふさわしいが人間には向かない。 アウトプット:意識上層部の構成力と意識下の無意識層の構成力。 閃きメモを作るのも一手法
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・「コンテに頼るか、頼らないかは、意識上層部の構成力と、意識下の無意識層の構成力と、どちらを評価するかの問題」とある。人ぞれぞれだろう。著者は無意識層を活用する方が性に合う方に思えた。 ・全般に「我流でいい、インプットに埋もれず、アウトプットにこだわれ…」というメッセージを感じた...
・「コンテに頼るか、頼らないかは、意識上層部の構成力と、意識下の無意識層の構成力と、どちらを評価するかの問題」とある。人ぞれぞれだろう。著者は無意識層を活用する方が性に合う方に思えた。 ・全般に「我流でいい、インプットに埋もれず、アウトプットにこだわれ…」というメッセージを感じた。私なんかのインプットより断然多いし、無意識層を充実させてゆくことにもかなり貪欲なのに…まだまだ修行が足らんな ^^; ・「KJ法は役に立たない」というのは、夢中になってる私には衝撃 ^^; であったが、「無意識層を活用する」著者にとって「無意識層の無形作業を物理的作業に置きかえるのは能率悪い」と感じられたから「役に立たない」という反応なんだろう。「役に立たない」だけ一人歩きしないでほしいな。
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ノンフィクション作家の著者が、新聞や雑誌の情報整理の仕方から、取材の仕方、集めた材料を料理する仕方まで語っている本です。 本書のなかで著者は、以前ジャーナリスト志望者のための塾のようなところで教えたことがあると述べていますが、本書の内容もジャーナリスト志望者向けのように感じまし...
ノンフィクション作家の著者が、新聞や雑誌の情報整理の仕方から、取材の仕方、集めた材料を料理する仕方まで語っている本です。 本書のなかで著者は、以前ジャーナリスト志望者のための塾のようなところで教えたことがあると述べていますが、本書の内容もジャーナリスト志望者向けのように感じました。インプットからアウトプットへの流れをひと続きのプロセスと見立てており、情報整理についての具体的なノウハウよりも、情報を「使える」状態にすることが大切だという考え方が、本書の全体を通して見られます。
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<インプット> 2種類ある。アウトプット先行型と、インプット先行型。前者は目的のためのインプット、後者はそれ自体が目的で楽しみのため。 <スクラップ> ・単純時系列 ・内容別:単純な時系列に価値評価を加えて、取捨餞別した後に内容別に分類 両方揃えるのが大切。 目的のない...
<インプット> 2種類ある。アウトプット先行型と、インプット先行型。前者は目的のためのインプット、後者はそれ自体が目的で楽しみのため。 <スクラップ> ・単純時系列 ・内容別:単純な時系列に価値評価を加えて、取捨餞別した後に内容別に分類 両方揃えるのが大切。 目的のないスクラップはやめよ。 <分類> 分類法は独自に。 最初からではなく、事後的に生まれる。 まずは大ざっぱに。それから、中分類、小分類と分ける。 考えを進めていけば、分類はそれ自体が知的生産行為である。 <カード式> 情報はカード化の保存を勧める。 カードは、記事のタイトル、著者、誌名、発行年月日を記す。 テーマ別に分類し、自分用に使う。 <アウトプット> 最初、インプットとアウトプットを繋ぐ「間」のようなことを書こうとしたが、無理なので断念した。無意識に任せる「発酵」のようなもので示唆することはできるが、記載することは難しい。 <コンテ型・閃き型> 著者はコンテはつくらない。 が、何もない訳でなく「メモ」をつくる。 資料にあたって、関係のありそうなものをピックアップし、第一次メモをつくる。 次にそれをなるべくA4いちまいにおさめる(第二次メモ)。 膨大な資料となると「メモ」と資料を繋ぐインデックスも必要。 同時にチャートと年表も作る。 年表は年の間隔を省略しない。 <ヴァーヴァル・ジャーナリズム> P231 人のコメントをあれこれ集めて、(略)一本の記事を作るという(略)手法である。 (略) 私の場合は、与えられたテーマにならない場合より、載りすぎて困る場合の方が多かった。 (略)対人取材の結果をそのままコメントとして利用したりせず、その中から重要なファクトだけを拾い出して、次の分の中で簡潔に利用するなど、ヴァ―ヴァルジャーナリズムの主砲からすると、勿体ない材料の使い方が多くなる。 (略)材料に追われていつの間にかヴァーヴァル・ジャーナリズムを脱するようになったのである。 P167 コンテを作るというのは、いわば、執筆前にあらかじめ流れを作ることである。(略)(しかし)、人にはあまりお勧めできない。(略) コンテを作ろうがつくるまいが、流れるものはそれまでに集めた材料である。良いものが描けるかかけないかという問題は、自分が集めた材料に最適の流れを発見してやれるかどうかという問題と同義である。 (略)つまり、コンテに頼るか、頼らないかの問題は、意識上層部の構成力と、意識下の無意識層の構成力と、どちらを評価するかの問題であるともいえる。 「閃きメモ」をつくる さて、とはいうものの、まるで何もなしで描くというのは、私の場合、普通ではない。普通は簡単なメモを事前に作る。 ================================ P150 KJ法は役に立たない。 (著者自身の経験から、京大式カードやKJ法を試したが、前者はカードが面倒すぎて、後者は試しもしなかった。) KJ法の原理は非常に重要なことだということはわかっていた。しかしそれは、別に川北二郎に教えられるまでもなく、昔から多くの人が頭の中では実践してきたことなのである。別に珍しいことではない。KJ方のユニークなところは、これまでは個々人の頭の中で勧められていた意識内のプロセスを意識の外に出して一種の物理的操作に変えてしまったことである。 「頭の中であれこれとりとめなく考える」というプロセスを、さまざまの概念を記した紙片を(略)(動かすという)物理的運動に変える。ッそれによって、これまで個々人の頭の中という無形の作業空間しか無かったものが、一つの物理的作業区間を得ることによって、集団的作業化可能に庵る、作業手順を定型化することで、万人向けのシステマてっぃっくな方法論が確立する。 (略)これらが利点となるのは、頭の鈍い人が集団で考えるときだけである。 (略)(二人三脚は個人よりも遅い) KJ法のごときは発想は(略)(言われたことだけをこなす愚直な)コンピュターにはふさわしいが人間にはあまり向かない。
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インタビューは知りたい欲求を激しく持ち、問うべきものを持つ。良い質問をするには1に準備、2に想像力。
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この本との出会いは、大学1年生の時、当時、発売されてすでに15年近い月日が流れていた・・ 今のように新書が各社から発売されるよりかなり前のじきになる。 大学の購買で平積みになっており、手に取って、購入したのを覚えている。 多様な情報を重要な部分だけ、自分が必要としている部分だ...
この本との出会いは、大学1年生の時、当時、発売されてすでに15年近い月日が流れていた・・ 今のように新書が各社から発売されるよりかなり前のじきになる。 大学の購買で平積みになっており、手に取って、購入したのを覚えている。 多様な情報を重要な部分だけ、自分が必要としている部分だけいかに収集、収集、そして生かしていくか オリジナルの情報にいかにして近づき、本質を見抜くか 著者の膨大な経験の中からの生まれた技法などが満載の1冊 これだけの年月がたっても色あせない強烈なインパクトを持つ1冊
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立花隆の頭脳は、ホントにすごい。よくここまで広範囲な知識についてあれほど深く踏み込めるなーと常々思う。この本は、彼がどのように彼の頭脳に情報をインプットし、加工情報をアウトプットするかというプロセスを、彼自身が書いた本であり、彼のすごさを垣間見れるという意味で意義深い。ただ残念な...
立花隆の頭脳は、ホントにすごい。よくここまで広範囲な知識についてあれほど深く踏み込めるなーと常々思う。この本は、彼がどのように彼の頭脳に情報をインプットし、加工情報をアウトプットするかというプロセスを、彼自身が書いた本であり、彼のすごさを垣間見れるという意味で意義深い。ただ残念ながら、結局別段取り立ててびっくりすることをやっているわけではなく、当たり前のことばかりが紹介されており、最終的には「このようなプロセスは個人への依存性が強く、私のプロセスは参考になりません」と書かれていて、何の参考にもならない。ただただ、彼の脳の性能に感嘆するばかり。
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●インプットとアウトプットの関係について、アウトプットを意識する(目的を持つ)ことで、インプットの質や効率が上がる、といったようなことをよく聞くが、著者はそうは考えていないようだ。逆に、「目的先行型で能率は上げすぎると、インプットもアウトプットも貧しくなる」と述べている。どっちも...
●インプットとアウトプットの関係について、アウトプットを意識する(目的を持つ)ことで、インプットの質や効率が上がる、といったようなことをよく聞くが、著者はそうは考えていないようだ。逆に、「目的先行型で能率は上げすぎると、インプットもアウトプットも貧しくなる」と述べている。どっちも尤もらしく聞こえるし、結局のところ自身に合った方法論を見い出すことが大事だと思われる。というのも、著者本人が「本書を含めて、人の方法論に惑わされてはならない」とあとがきで述べているくらいなのだから。 ●また、「資料の整理などは、費用対効果比を考えるよりも、時間対効果を考えることが重要」という記述は、読書まとめに無駄に時間をかけてしまう自分には耳の痛い話であり、まさにその通りだと大きく頷けるものだった。 ●情報の触れ方、集め方、活かし方について、学びたい人におすすめしたい本である
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"知的生産性のスキル集のような本。 情報のインプットとアウトプットに関する様々なものについて立花さんの経験談含めて、どんなやり方が効果的かを示してある。"
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「KJ法はバカな連中が集まって意見集約する方法論でしかない」と梅棹忠夫をバッサリ。IN&OUTの理論・理念は現代でも傾聴に値する箴言が多々あるが、流石に30年以上前の実践方法は使いものにならない。が、著者の言うとおり、INの方法やOUTの方法は巷に溢れているが、INをOUTに変換...
「KJ法はバカな連中が集まって意見集約する方法論でしかない」と梅棹忠夫をバッサリ。IN&OUTの理論・理念は現代でも傾聴に値する箴言が多々あるが、流石に30年以上前の実践方法は使いものにならない。が、著者の言うとおり、INの方法やOUTの方法は巷に溢れているが、INをOUTに変換する方法は個別的でありマニュアル化できないかもしれない。そこが才能でありスキルなのだろう。
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