ドナウよ、静かに流れよ の商品レビュー
ノンフィクション 淡々と粛々と読めました 華美にすることなく劇的にすることなく ノンフィクションとして好感のもてる本です
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ドナウ川に身を投じた自称指揮者の男と19歳の女子大生。なぜ、2人は死ななければならなかったのか、、、
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ノンフィクション。 もう起こってしまった出来事を、なぜそういう結末になったのかを追っていくため、この女の子がどういうふうに人生を終えるのかを分かっているので、読んでいて胸が苦しくなります。 ここでこうしていたらとか、こんなことをしていなければとか、過去の出来事に対して“たられば”...
ノンフィクション。 もう起こってしまった出来事を、なぜそういう結末になったのかを追っていくため、この女の子がどういうふうに人生を終えるのかを分かっているので、読んでいて胸が苦しくなります。 ここでこうしていたらとか、こんなことをしていなければとか、過去の出来事に対して“たられば”で後悔するのは良くない事と分かっていても、全ての出来事が彼女を異国の地で心中させるように向かっているようにしか思えず、いらいら、やきもきします。 もう一度同じようなことが起こったとして、今度は止められるか。 頁をめくり、最後行き着いた先、ドナウ川が静かに流れる余韻の中で、突然現れた、まだ先のことなど何も知らないような少女の写真に涙が出ました。 寝る前に読み終わったため、読後の余韻や事件の余韻や少女の人生やいろいろなことを考えてしまい眠れなくなりました。。。
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実際にあった事件についての、ノンフィクション寄りの小説なので、コメントがしづらいのですが、19歳の女性がどうしてここまで追い詰められてしまったのか…実際のところは本人にしか分かりませんが、純粋だったがゆえの一途な愛。 何か出来なかったのかという思いをいち読者としても感じ、苦しい気...
実際にあった事件についての、ノンフィクション寄りの小説なので、コメントがしづらいのですが、19歳の女性がどうしてここまで追い詰められてしまったのか…実際のところは本人にしか分かりませんが、純粋だったがゆえの一途な愛。 何か出来なかったのかという思いをいち読者としても感じ、苦しい気持ちになりました。
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19歳にもなりここまで自らの信念に基づき生きていけるものなのか、日本社会に浸り切っていなかったからこそ、成し遂げられた最期ではなかったか。
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※このレビューにはネタバレを含みます
ノンフィクション小説。 33歳の自称指揮者の日本人男性とともにドナウ川に身を投げた19歳の少女。 取材により明らかになる彼女を取り巻く状況から、少女渡辺日実の思春期の葛藤と成長を深い洞察をもって描き出す。 両親、友人、誰も知り得なかった、一人の少女の生き様を掬い出した。これにより、多くの人が救われただろう。著者に敬意を表す。 パイロットフィッシュも面白かったが、ノンフィクションの方が彼の持ち場なのだろう。 読み終えた後、19歳と早くに人生を終えた日実だが、果たしてその人生の価値は、彼女の父・正臣と比べてどちらが重いのだろうか、と考えた。 おそらく、より懸命に人に寄り添い、人に必要とされ、愛を見いだし、人の人生に大きな痕跡を残したのは日実だろう。 質問をかえて、自分ならばどちらの人生を選びたいか、と考え直す。同時に、その質問は、人生の目的をどちらがより果たしているか、ということだと思う。 思い出した。 学生のとき、無人島で楽しく釣りをして暮らすという人生と、とにかく毎日胃が痛くなるような中で働きづめで人の役には立っているのだろうが個人としての幸せ感が得づらい人生であれば、どちらを選ぶか、と考えたことがあったが、そのとき、自分は後者を選んだ。人の中にいてしか自分の人生の意義を見いだせない、と思ったからだ。 ダライ・ラマは、人は社会的動物である、だから社会の中でしか生きられない、と言った。言葉を加えると、人は社会的動物である、だから社会の中でしか生きられない、なぜなら生きるとは生きる目的を果たすことであり、それは人との関わりの中でしか果たし得ないものだから。 内村鑑三が『後世への最大遺物』の中で記したように、自らを顧み、人と関わり、その生き様をもって、人にその痕跡を残していくことこそ、最大遺物であり、生きる目的であると思うから。 少し脇道にそれるが、山川草木悉皆成仏(山川草木悉皆仏性)という言葉がある。もし、人が山や川や草や木といったものとその仏性において交歓することができるのならば、私は無人島での生活を営むことでも良かったのだろうか、とも思った。そうなれば、人の中、社会で生きずとも、人生を全うすることができるのだろうか。 母・マリアは言う。 「日実にとっての事実と、あなた(夫)にとっての事実と、私にとっての事実は違う。」 その通りだと思う。私は客観的に明らかなものを「事実」と呼び、主観的なものを「真実」と呼ぶので、マリアとは言葉の遣い方は違うが、そうである。 周囲がどう見ようとも、日実は自分の真実の人生を生きた。だからこそ、輝き、周囲の人の人生にいまだなお影響を及ぼしている。 私はやはり日実の生き方に惹かれるのだろう。
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19歳の少女が異国の地で遂げた最期の真実。 フィクションではなく、ノンフィクションであるということ。事実は小説より奇なりというけれど、これほど胸を苦しまされることなはいかもしれない。誰が悪いとか、こうすればよかったと思うことは簡単だけれど、ただ事実だけを見つめ、真実を知ることが...
19歳の少女が異国の地で遂げた最期の真実。 フィクションではなく、ノンフィクションであるということ。事実は小説より奇なりというけれど、これほど胸を苦しまされることなはいかもしれない。誰が悪いとか、こうすればよかったと思うことは簡単だけれど、ただ事実だけを見つめ、真実を知ることがいかに難しくつらいことなのか。 誰にも頼れず、二人きりになって選んだ最期の時。もっと違う道はなかったのかと思いを巡らせることは簡単だけれど、少女にとってはこの道しかなかったのかもしれない。 切なくつらい気持ちであふれるけれど、最後まで読むと、なぜか重苦しい気持ちだけでなくて、なんだか清らかなものをみたような気持ちになった。
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大崎さんのノンフィクションはじめて読んだ。かなりグイグイ引込まれてしまった。ただ誰にも共感できなかったけど。
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※このレビューにはネタバレを含みます
あまりノンフィクション好きではないので、滅多に読まないんです。 でも大好きな作家さんのノンフィクションとのことで、自分が大学2年の頃に読んでみた。 内容はドナウ川で邦人男女が心中という実際に起こった出来事を筆者が追うというものでした。 その亡くなった女性が19歳の少女。奇しくもこのお話を読んだ私と同い年だったのが、とても印象に残っています。 どうしてこの少女は心中という道を選んだのか?それは自分の愛の形をこの世に残される人々に証明するためだったのかな、と私は思いました。でも実際の理由は誰にも分かりません。 残された家族の悲痛な気持ち。特に両親が相手の男性を憎む気持ちも痛いほど伝わってくるけど、その不毛さにも胸が痛みました。 残された二人の遺書からはその決意の強さが伝わってくる。 「私たちはすでに死んでいる。 ありがとう。 2001年7月30日 千葉師久 渡辺日実 私たちは理想郷にいきます」 そして二人の遺書の末尾に少女が両親に向けた言葉。 「渡辺正臣とマリアは人殺しだ。 テメェらおぼえておけ。のろってやる。死ね。 クソやろう。ぎぜん者ぶりやがって。死んでしまえ!」 どうしようもなく、ひどい言葉。 でもひどい言葉の中に哀しみと愛が籠っている気がするのは私だけでしょうか? 最後の方にに亡くなった少女の肖像写真が掲載されていて、この物語が実話だったのだと衝撃が走った。彼女のパワーの漲ったまっすぐな瞳に、心の芯の強さが伝わってきました。なんだかその写真を見たとき、涙が出てきました。 この本の内容、大人になった今でも鮮明に記憶に残ってる。 ぜひ10代の女の子たちにこの本を読んでもらいたい。 読んで疲れるという方もいるけど、それだけ人の人生が重いものだということなのだと思います。
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自殺とか心中って不幸な偶然が重なって起きるんだなあと改めて思いました。心を動かされたのですがたぶんもう二度と読まない、というか読めないと思います。つらすぎて。
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