昨日 の商品レビュー
リーヌという自分が想い浮かべた女性を追い掛ける。そんな内容。 ただその妄想部分というか、欲望、それらは自分自身に似たものがあると感じたのも確か。なのでそうするのかという主人公の行動に惹かれるか、引いてしまうかのどちらか。
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海外文学っておもしろい‼ 主人公の文章と語りとがまじっていて、「リーヌ」への愛情がより強く、より病的に感じられた。 リーヌがこれを少しでも受け入れるような態度をとったのはビックリした…
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ストーリーと、主人公が書く幻想的な文章が交互に語られる。 三部作よりも、祖国を失った(あるいは捨てた?)人々の悲哀と絶望がダイレクトに描かれている。それは作者がたどった道であり、いろんな時代、様々な場所で繰り返されてきた悲劇である。 主人公は最終的に、別の国で別の人生を見つけた。...
ストーリーと、主人公が書く幻想的な文章が交互に語られる。 三部作よりも、祖国を失った(あるいは捨てた?)人々の悲哀と絶望がダイレクトに描かれている。それは作者がたどった道であり、いろんな時代、様々な場所で繰り返されてきた悲劇である。 主人公は最終的に、別の国で別の人生を見つけた。しかし、おそらくそれで終わりではないのだろう。描かれなかったその後に思いを馳せる。 (2012.5)
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A. クリストフ『昨日』 #読了 すっかり彼女の虜。彼女の作品に繰り返し現れるモチーフ。双子(ないし兄弟)、親殺し。亡命(別れ)、再会、そして別れ。ものを書くという行為、語る私と語られる私、1冊の本と1人の人生。名前(名乗ること、名付けること)。お墓、夢、運命の人。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
アゴタさん、今年7月にお亡くなりになっていたんですね…。本当に心からお悔やみ申し上げます…。 さて、今作品の感想ですが… 序盤は憂鬱、中盤は危ない「春」が訪れて、終盤は物憂いで終わる…他の三部作同様、常に空の上には暗雲が立ち込めていて、幽き太陽がほんの一瞬顔を出すって感じですかね~(もちろん、それだけの作品ではないですし、不思議とそこまで悲観的な印象もないのですが) このような、”淀んだ暗さ”は4作通して変わりませんが、文体が他三部作とはかなり異なっていて、且つ詩が各章末(?)に織り込まれているので、また一味違ったアゴタさんの”叙述”を楽しめる作品になっているのではないかと思います。
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実家に置いてあった母の蔵書を譲り受けた。その日のうちに読了。 主人公トビアスは、村の乞食/娼婦の子として生を受ける。トビアスが封印した「本当の子供時代」。彼が生まれ育った村の雰囲気は、『悪童日記』に通じているんだろう。幼少時代の叙述は、双子と重ねるように読んだ。だからこそ、そこ...
実家に置いてあった母の蔵書を譲り受けた。その日のうちに読了。 主人公トビアスは、村の乞食/娼婦の子として生を受ける。トビアスが封印した「本当の子供時代」。彼が生まれ育った村の雰囲気は、『悪童日記』に通じているんだろう。幼少時代の叙述は、双子と重ねるように読んだ。だからこそ、そこに「本当の」と描かれていても、「ほんとに本当なんだろうか?」と半信半疑。 「母は盗人で、乞食で、村の娼婦だった。 私はというと、よく我が家の前に座り込み、粘土で遊んでいた。粘土をこね、巨大な男根、乳房、尻の形を作っていた。また、赤粘土の中に母の体を彫り込み、そこに自分のまだ子供の指を突っ込んで穴を穿っていた。口、鼻、目、性器、肛門、臍。 母の体には穴がいっぱいあった。私たちの家、着ているもの、靴もそうだった。私は自分の靴に空いた穴を泥で埋めていた。」 彼の空白は埋まらない。 どうやら教師であるサンドールが自分の父親であるらしい。大きくて強い、自分を庇護してくれる存在である先生こそが。そして、初恋の人の父親でもあるサンドールこそが。 ある日、少年は惰性で己の母親と性交を続ける父サンドールを刺し、自分の母親をも貫き、村を出た。 幾月もが流れ、彼は工場労働者になる。 「今では、私にはほとんど希望が残っていない」この一文から始まる「私は思う」と付された章の冒頭は何とも心を打つ。 やがて彼の前に初恋の人リーヌが現れるのだけど、もうこれは現実ではないのではないかという、書き綴っている文章の中の話なのではないかと、ほんの少し疑いながら、読み進める。どうやら真実らしいのだが、これが本当に鬱陶しい「恋」なのだ。読み手をイライラさせるような鬱陶しい「愛」なのだ。遠いどこかで体験したかのような。 「われわれの子供時代すでに、きみは醜くて意地悪だった。ぼくは、自分がきみを愛しているのだと思い込んだ。ぼくは間違ったのだ。いやはや、とんでもない! ぼくはきみを愛してなんかいない。きみのことはもちろん、誰も、何も愛していないし、人生そのものだって愛してはいない」 そして結末。「おいおい!」と思わず突っ込んでしまう。ああ、でもそうだよな、そういうもんなんだよな、きっと。
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「おまえが本当にあの子を愛しているのなら、ここから消えろ。おまえのような母親と一緒にいては、トビアスは碌なものになれない。あの子にとってはこの先ずっと、おまえの存在は負担に、恥辱になるばかりだ。」(p.38) 今では、私にはほとんど希望が残っていない。以前、私は探し求めていた。...
「おまえが本当にあの子を愛しているのなら、ここから消えろ。おまえのような母親と一緒にいては、トビアスは碌なものになれない。あの子にとってはこの先ずっと、おまえの存在は負担に、恥辱になるばかりだ。」(p.38) 今では、私にはほとんど希望が残っていない。以前、私は探し求めていた。片時も同じ所にはいなかった。何かを期待していた。何かとは?それはいっさい分からなかった。けれども私は、人生が現に体験しているもの、つまり無同然のものでしかないなどということは、あり得ないと思っていた。人生は何かであるはずだった。で、私はその何かが起こるのを期待していた。その何かを探し求めていた。 私は今、期待すべきものなど何もないと思う。それで、自分の部屋から外へ出ず、椅子に腰を下ろしている。何もしないでいる。 外には人生があると思うが、しかしその人生には何も起こらない。私にとっては何も起こらない。 他の人びとにとっては、もしかすると何か起こっているのかもしれない。あり得ることだ。けれども、それはもはや私の関心を惹かない。(p.44) 私は何をしているかというと、受け持ちの機械で、あるきまった部品に一個の穴を空ける。十年前からずっと、同じ部品に同じ穴を空けている。私たちの仕事は結局次のことに尽きる。一個の部品を機械にかけること、ペダルを踏むこと。 この仕事で、私たちはなんとか食いつなぎ、どこかに住み、そして何よりも、翌日また同じ仕事を繰り返すのにやっと足りるだけのお金を稼ぐ。(p.49) 「もし夫も子供もいなければ、ぼくを完全に愛してくれるかい?ぼくと結婚してくれるかい?」 「いいえ、トビアス。わたしは工場労働者の妻にはなれないし、わたし自身も、工場で働き続けることはできないわ」 私が問う。 「将来、ぼくが著名な大作家になって、その上できみを迎えに行ったら、そしたらぼくと結婚してくれるかい?」 彼女は言う。 「いいえ、トビアス。まず言っておくけれど、著名な大作家になるというあなたのその夢が実現するなんて、わたしには信じられないわよ。まあ、そのことは別問題としても、わたしはけっしてエステルの息子と結婚するわけにいかないのよ。あなたのお母さんを村に残していったのは放浪のジプシーたちよ。つまり、盗人たち、乞食たちじゃないの。それに対して、わたしのほうの親は良家の出で、教養のある、きちんとした社会人だもの」(p.122)
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『悪童日記』『ふたりの証拠』『第三の嘘』という著者の三部作を読了後に読む。 物語のヴォリュームとしては三部作に遠く及ばないが、「芯」と呼ぶべきものがはっきりしており、作品を通して(たとえそれがフィクションであっても!)作者の価値観、あるいは人生観がはっきり伝わってくる。「ディアス...
『悪童日記』『ふたりの証拠』『第三の嘘』という著者の三部作を読了後に読む。 物語のヴォリュームとしては三部作に遠く及ばないが、「芯」と呼ぶべきものがはっきりしており、作品を通して(たとえそれがフィクションであっても!)作者の価値観、あるいは人生観がはっきり伝わってくる。「ディアスポラ」という観念は日本人には捉え難いと思うけどね。
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読んでて、決して愉快な気分にはならないのに、引き込まれる。 読み終わっても、楽しかったー!とか読んでよかったー!とは思わないのに、衝撃は残る、ってかんじ。 三部作のが凄かったけど。
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