芸術起業論 の商品レビュー
まさに今の学と意識の足りてない美大生向けといった感じで…、くだけた文章でアートのために自分がやるべきことを意識させられる本でした。
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6年前、本書が出版。バイト先のブックオフに流通するようになってから初めて知った村上隆さん。そのときは「オタクっぽい作品の人」としか思っていなかったが、5年後、本書をようやく読んだことで、僕にとっての凄い人になりました。 芸術で食べていくには 本書は「起業」というビジネスライクな言葉を使っています。芸術のイメージとはかけ離れた言葉。そして、このどアップ顔写真の装丁。見事に騙されて買ってしまった訳なのですが、内容も過激だったりします。 書いていること自体は「芸術で食べていくには」を真剣に考えた結果なのですが、その結果、日本の美術界はメッタメタに批判してしまっているのが凄いですね。そりゃ敵も作るってなもんです。 個人的見解として読むと良い ただ、他のあまねく本も同様なのですが、あくまで著者の一意見に過ぎませんので、そんな目くじら立てるようなことではないとも思います。少なくとも本人はそれでうまくいったのだから、そのノウハウを社会なために役立てようという(それも出版の理由の一つでしょうし)心意気は買えると思います。 現実的な意見 僕は美術界がどんな力学で動いているのか本書を読んで初めてなんとなく知ったくらいです。ですので、正直なところ何も知らないのと同じくらいです。それでも、著者の意見には筋が通っているように思えます。 少なくとも著者の目には、日本の美術界が閉鎖的でガラパゴス化しているように見えていて、それを悔しがっているのです。だからこそ、厳しいことを書いているのでしょう。 また、趣味でやるならとにかくそれで生きていくためには、現実的な対策が必要です。市場を知り対応するか、市場そのものを作るか。 「絵だけ書いていれば良いんだ」という気持ちは理解できますしあっても良いですが、それだけで他を許さないのは違います。どうすれば評価されるかということをリサーチするのは、結果的にそれを無視するにせよ必要なことだと思います。 で、著者からすると、日本の美術界はそのリサーチ自体を拒否しているように見えると。そりゃ怒りたくもなるでしょう。知らなければ無視した上での戦略すら立てられない訳ですから。 メルヘンがぶち壊されたからといってそれがなんだ 小林大吾「真珠貝亭の潜水夫たち」の一節ですが、本書を読み直していて思い出しました。純真無垢な芸術的なるものというメルヘンから覚めろと著者は言っているのかなと。 そして、何でも良いから新しいことをやろうぜと。そうしないと実際問題、日本の美術界はマズイですよと。まあ、何にも知らない若造なので間違っているかもしれませんが。 極論ではあるが正論 そう考える僕としては本書で著者が書いていることは、極論ではあるが正論なのかなと。若手の育て方とか違うやり方ももちろんあるだろうけど、間違ったことは言っていないのかなと。 何より本書は、そうやって怒りと熱さを持って書かれているので、読み応えがあると言えるでしょう。
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p140 世界に唯一の自分の核心を提出する 「人生で一番ハッピーな瞬間って何?」 「コミケで同人誌買うときです。ぼく、エロ同人誌を600冊以上は持っているんです。」 p143 興味を追求することは大切です。 僕はこの3年ほどは睡蓮を育てて、めだかを育てて、サボテンを育てていますが、育てている興味の原因はまだよくわかりません。 ただただ育てているだけなのですけど、興味があるという要素はそれだけで需要ですし、ぼくは興味のあることの核心部の根拠探しを続けたいのです。 仕事を決め手から好きになるよりも、好きなことに仕事をひきつけていく方が、お客さんに共感してもらえる頻度が高くなるというのは当然のことですから。だからその時々の自分の欲求に忠実になればちゃんと仕事がくっついてくるんじゃないかと思うのです。 興味本位でいいかげんに作り始めても「これは何でだろう?」と興味を追求していくうちにどんどんおもしろくなって疑問が出てきてそれの答えが発見されてきてともりあがるものですから。 「自分の興味を究明する」 「好きなように生きている」 この2つはかなり違うことです。 p212 這い上がることの出来る人と出来ない人の違いは必ずありますから。 自分が作品表現をしている理由。 自分がビジネスをしている理由。それをもう1回見つめなおし、スタッフを含めて環境つくりをやり直して、ものつくり続ける体制を組み替えてゆくことができるかどうか。そういうことのできる表現者はものをつくる寿命が長くなるのです。 p214 ゼロからものを考えるときにきっかけとなるのはどういうことかといいますと・・・・ 「最近どういう楽しいことがあったのか」 「最近どういう悲しいことがあったのか」そういうことに尽きます。ごく単純なことです。何かを感じるにいたるまでには過去から培われた根拠があるはずです。 おもしろさにもイヤなことにもかならず原因があるわけです。 感性の原点い辿りつけるように自分を導くとわかるときがきます。 勝負をしているすし屋さん、勝負をしていないすし屋さん、勝負をしすぎのすし屋さん、・・・損をしてもいいものを出さなければいけないときもあれば、お客さんが来なくてもすしを仕込まなければいけないときもあるわけですよね。 「自分は寿司がすき」 「寿司に自分の人生を賭けた理由がある」 そういう中で結果を出しているなら、つらかろうがなんだろうが「うまい寿司を出す」という焦点に自分をもっていけるのではないかと思うのです。
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芸術家でお金の計算もできる人ってあんまりいない。ゆえにこういう考えなのか!とか、読んでみて尊敬。またそこにたどりつくまでの苦境というか、そういうものも経験してこそ積み上げた結果があると納得。口だけじゃなくてやらなきゃね、って思わせる一冊。こういう形の芸術家のビジネス本は非常に珍し...
芸術家でお金の計算もできる人ってあんまりいない。ゆえにこういう考えなのか!とか、読んでみて尊敬。またそこにたどりつくまでの苦境というか、そういうものも経験してこそ積み上げた結果があると納得。口だけじゃなくてやらなきゃね、って思わせる一冊。こういう形の芸術家のビジネス本は非常に珍しい。よくぞ書いてくれました。
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読んだのは一年前で、いまぱらぱら読み返しながら思う。好奇心を持ってこの本と出合ったことは、自分の幼稚さや無知、また病んだ精神そのものを表していたと。村上なりの論理で一貫しているところは、面白いといえばそうなのだが、メルマガ等の村上の文章から感じる”異常さ”は、相変わらずで、もう触...
読んだのは一年前で、いまぱらぱら読み返しながら思う。好奇心を持ってこの本と出合ったことは、自分の幼稚さや無知、また病んだ精神そのものを表していたと。村上なりの論理で一貫しているところは、面白いといえばそうなのだが、メルマガ等の村上の文章から感じる”異常さ”は、相変わらずで、もう触れる必要も関心を向ける必要もないと思った。”「作品のために何でもする」という正義があるかどうかで、結果は変わると思うのです。怒りや執念や「これだけはしたくない」という反発は、重要ではないでしょうか。”本文p.200引用 この表現を借りれば、村上のようなアーティストを礼賛する精神を持ち合わせること、だけはしたくないと思う。怒りの表現に悪戦苦闘して表現活動を行うアーティストという職業はお気楽だ。この本のなかで罵倒されている美大生たちは、エゴをむき出しにした醜悪な怒りの犠牲者に思える。村上が怒りのターゲットにするものをいくつか見てきたが、きまって弱いもの、どこかはかない感じ、頼りなさや、弱点がある相手であることが多い。その分圧倒的に社会的に強いインパクトを持っていたり、強いものにすり寄っていくというスタンス。 わかりにくいのは、体制を批判する一方でみずからの言動は専制的でヒエラルキー志向で短絡的で排他的なところ。 村上のような有名アーティストに対し、向う見ずな批判をすると逆襲されることもある。 しかし弱くて声の小さいものが村上の犠牲者として、俎上に載せられ公然と批判の的にさらされることに抗議する意味で、レビューを書いた。 芸術家なら、芸術表現で戦ってほしい。 どのくらい偉い村上隆か知らないけれど、怒りを社会に向かって爆発させている村上に、誰がどう村上を批判しようと自由だ。 その怒りが芸術表現とは無関係であることも多々あり、自らのスタンスを パフォーマンスするためのツールとして利用しているだけだと思う。 創作の原動力として、怒りを用いることを否定しない。 自分とは異なる才能を持ってアニメの王道をゆく宮崎駿を引用しながら正当性を主張しているが、村上がいうことには違和感がある。 表紙の村上の顔面の写真、どうしてこんな装丁にしたのだろう。カバーをとっても同じ装丁になっている。
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物事の文脈を読む。 そのために、その分野の歴史を徹底的に学ぶ。 村上隆がつくる作品は、突拍子もないように見えても、実際はその文脈の波に乗ることができるように緻密に計算されていて、もしかしたら、波にあえて乗らずに転覆することを確信犯的に行っているのかもしれない。 この「文脈」...
物事の文脈を読む。 そのために、その分野の歴史を徹底的に学ぶ。 村上隆がつくる作品は、突拍子もないように見えても、実際はその文脈の波に乗ることができるように緻密に計算されていて、もしかしたら、波にあえて乗らずに転覆することを確信犯的に行っているのかもしれない。 この「文脈」という言葉は文中に多く出てきて、深く考えさせられた。コミュニケーションを考える際にこの「文脈」というのは非常に重要だ。 作家と受け手(市場、客)がコミュニケーションをとるツールが作品であるのならば、その作品は「文脈」を最も優先させないといけないのかもしれない。享受することができたインスピレーションの一番大きなものは、「どんな人間に向けてその物語を語るのか」ということ。顧客を明確化し、どうコミュニケートしていくのか、どう自分自身や作品(設定、背景)をマネジメントしていくのか。明確な答えは浮かんでこなかったけれど、思考の焦点はだんだん合ってきているのかもしれない。
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1日で読了。村上隆さんをずっと敬遠していたけれど、友人の「日本で、彼ほど熱く努力し続けている人は他に居ない」という言葉がきっかけで手に取りました。村上隆さんの文脈を知ることが出来て良かったです。うまいし、ちゃんと沿わせようとしている。見習うべきです。また、こういう本は仕事をしてい...
1日で読了。村上隆さんをずっと敬遠していたけれど、友人の「日本で、彼ほど熱く努力し続けている人は他に居ない」という言葉がきっかけで手に取りました。村上隆さんの文脈を知ることが出来て良かったです。うまいし、ちゃんと沿わせようとしている。見習うべきです。また、こういう本は仕事をしている人が読むべきで、またその逆も然りです。
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最前線で泥まみれになりながらくいしばり前進している人の覚悟は心に響いてくる。再来週あたり、前から興味あったジャクソン・ポロック展に行ってこよう。http://pollock100.com/about
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この人の作品がどうのという観点はおいておくとして、言っていること主張していることは理解できるし、共感できる。 ただ今までの自分の人生の苦労やそれを克服した自分の過程に視点を置くあまり、どうしても恨み節的な内容になっているのは残念なこと。 美術で飯を食べること、そのために戦略を練...
この人の作品がどうのという観点はおいておくとして、言っていること主張していることは理解できるし、共感できる。 ただ今までの自分の人生の苦労やそれを克服した自分の過程に視点を置くあまり、どうしても恨み節的な内容になっているのは残念なこと。 美術で飯を食べること、そのために戦略を練って井の中の蛙になってしまってはいけない、国際的な視点を持つべきだといっていることには納得。そのために、今そうなっていない美大生や学者をこきおろすのは言い過ぎかな。 人を攻撃するような内容は、まだまだ筆者が「闘争」しているからなので良いことだけどね。 さあ、これから自分はどうしていこうかという考えを抱く、いわゆる「啓蒙」の意味ではとても素晴らしい内容。
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アートの世界がどんな不文律で回っているか、村上氏がどうやってその中で現在の立ち位置を確立したかが噛み砕いて紹介されている。作品にどう向き合っていいか難しい現代アートを読み解く手助けになる一冊。 村上氏の唱える論は、芸術に限らずどんな分野にも応用できる考え方だなと。村上氏のものすご...
アートの世界がどんな不文律で回っているか、村上氏がどうやってその中で現在の立ち位置を確立したかが噛み砕いて紹介されている。作品にどう向き合っていいか難しい現代アートを読み解く手助けになる一冊。 村上氏の唱える論は、芸術に限らずどんな分野にも応用できる考え方だなと。村上氏のものすごいハングリー精神の強度に感服しました。
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