先生はえらい の商品レビュー
初めての内田樹でした。ちくまプリマー新書は分かりやすい本が多いイメージですが、この本も高校生向けとあって非常に説明が丁寧です。 なんだか講演会に来ているような感覚で楽しめました。 人から学ぶということの本質みたいなものを解くのが主題ですが、私は素晴らしいと思っている先生がいらっし...
初めての内田樹でした。ちくまプリマー新書は分かりやすい本が多いイメージですが、この本も高校生向けとあって非常に説明が丁寧です。 なんだか講演会に来ているような感覚で楽しめました。 人から学ぶということの本質みたいなものを解くのが主題ですが、私は素晴らしいと思っている先生がいらっしゃるので重ね合わせてみたからか、より中身が伝わりやすかったかな。 教わることって教える側の知識が全てではない。 自分自身の思考をフル回転させて授業に挑みたいものです。
Posted by
寺子屋塾推奨文庫ゆえに、読んでみる。 正直、一度読んだだけではなにが書いてあるのか、 意味が分からない一冊。 中学・高校生向けにこの内容は、すごいです。 対話は、第三者によってなされる? 伝わりにくいほうが、良い会話? 意味が分かりません。。。がこのフックにより日常のいろんな...
寺子屋塾推奨文庫ゆえに、読んでみる。 正直、一度読んだだけではなにが書いてあるのか、 意味が分からない一冊。 中学・高校生向けにこの内容は、すごいです。 対話は、第三者によってなされる? 伝わりにくいほうが、良い会話? 意味が分かりません。。。がこのフックにより日常のいろんな場面で考えるきっかけになる。 若いうちに一度読み、この引っ掛かりを糧に人生を重ねて、 ある程度の年齢になった時に、再度読み返したくなる一冊。
Posted by
誤解や謎からはじまるコミュニケーション わかりあえないことからはじまるコミュニケーション 伝わらない、でもいい。なにかこちらから発したものを自分なりに考えてくれればいい。その考える主体をつくるのがこちらのお仕事。それをいかにするか。 そして自分が学ぶ主体になれればなにからも学べる...
誤解や謎からはじまるコミュニケーション わかりあえないことからはじまるコミュニケーション 伝わらない、でもいい。なにかこちらから発したものを自分なりに考えてくれればいい。その考える主体をつくるのがこちらのお仕事。それをいかにするか。 そして自分が学ぶ主体になれればなにからも学べる。
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
やはり、この方のお話はおもしろいですね。気持ちが良いくらい、決定的なことを断言してくれます。また、昔あこがれて訳がわからなかったラカンを引用したりしていて、書いていらっしゃる通り謎めいていて、余計に引き込まれてしまいます。 「街場の教育論」で書かれていた、知のある立場で立つ限り、決して知の無さを指摘されることはないという指摘は、ラカンの引用だったのですね。 では、「大切なことは大抵、原因と結果が入れ替わって認識されている」という指摘は誰の物でしょう。マルクスの貨幣の概念化を含めて興味深いです。たまたま、昔、英米文学のゼミでディケンズのGreat Expectationのレポートで交換をキーワードにして書いたことを思い出しました。 交換という契機を元にした経済活動や言語活動という論の展開は、物語にように楽しく読めます。また、娘のプレゼント交換を思い起こしました。中身が何であれ、交換自体が楽しいのですね。自分が用意したものが誰に行くのか、誰からもらうのかも偶然で決まるにしても、それでも楽しい。交換せずにはいられない人間が面白いです。 また、他のも読みます。
Posted by
私の本棚には「ウチダ本」が一段を占めている。数えたら共著も含めて60冊余り。その中から大学受験に向けて日々を過ごす娘に、受験勉強だけではない「学び」ということを伝えるのに内田先生の本からどれを勧めようかと選んでいたら、代表作のひとつである本書が抜けていたのに気づいてあわてて購入。...
私の本棚には「ウチダ本」が一段を占めている。数えたら共著も含めて60冊余り。その中から大学受験に向けて日々を過ごす娘に、受験勉強だけではない「学び」ということを伝えるのに内田先生の本からどれを勧めようかと選んでいたら、代表作のひとつである本書が抜けていたのに気づいてあわてて購入。 この本はまさに中学、高校生に向けて書かれたものなので、順を追って非常に(ちょっとまどろっこしいほど)丁寧に書かれている。 筆者は大学教授として、また合気道の師範として長年若者を教え続けていた「先生」であり、同時に現代思想に於いてはエマニュエル・レヴィナス、武道に於いては多田宏という師を敬愛する「弟子」である。世の中に先生はあまた存在するが、同時に「弟子」であり続ける人はそう多くない。したがって師弟のあるべき姿をこれほど的確かつ深く掘り下げて語れる人は珍しいのではないかと思う。 「先生」に求められる資質とは何か。「学ぶ」とはどういうことか、から始まった話は沈黙交易、資本論、文学論にまで脱線して脳に心地よい刺激を与えてくれる。 「人間は誰でも先生という立場に置かれた瞬間に先生になれる」という仮説には刮目させられた。 先生が先生であるためには実は「生徒」の存在こそが重要である、という逆説的なことが結論だと思うのだが、勿論そんな単純な話ではなく、もっと豊穣な思考の楽しみが行間から溢れんばかりに迫ってくる。そんな本である。
Posted by
奥トレで交換してもらった1冊。えらい先生は出てこず、学びについて書かれていた本で参考になるポイントもいくつかありました。特に「技術には無限の段階がある」という点は、エンジニアがはまる部分だと思います。「そうそう」と言いたかったことが伝わった喜びのようなものがありました。知っている...
奥トレで交換してもらった1冊。えらい先生は出てこず、学びについて書かれていた本で参考になるポイントもいくつかありました。特に「技術には無限の段階がある」という点は、エンジニアがはまる部分だと思います。「そうそう」と言いたかったことが伝わった喜びのようなものがありました。知っている誰かに渡してみたい本ですね。
Posted by
高校生向けに書かれている。先生というものへの幻想。「自分の知らないことを知っていて,それを対価と引替に伝えてくれる存在」として先生を捉えては先生からの学びはない。自らの学びは自らの問いに応じたものであり,先生との交流によって何らかの応え(学び)を見いだしたなら,それは先生から学べ...
高校生向けに書かれている。先生というものへの幻想。「自分の知らないことを知っていて,それを対価と引替に伝えてくれる存在」として先生を捉えては先生からの学びはない。自らの学びは自らの問いに応じたものであり,先生との交流によって何らかの応え(学び)を見いだしたなら,それは先生から学べたといえるかもしれない。それは意図した伝達,これを教えようとして教えた結果ではないことがほとんどだろう。その意味で謎の存在であることが先生の条件か。 若い頃(大人も)は実利を追う(テストの点数が上がる,大学に合格する,就職できる,出世する,他者から認められる(蔑まれない)等)ことにとらわれることが多いので,どうしても実利的で役に立つ教師を求める。いいおっさんになって分かったけど,生きる指針としての師の存在が必要だ。知らないことを教えてくれる教師は替えが掃いて捨てるほどいる。金さえ払えば,お願いすれば教えてくれる。それに対して尊敬し感謝はすれど,人格的成長は期待できない。沢山知っていれば,できれば人生に満足できるかといえばそうではない気がする。人格的成長がなければ結局守銭奴や欲望の奴隷となってしまう気がする。先生を得ることは本当に難しいことなのかも知れない。しかし,この本では自分次第であることを説いている。自分が何を欲しているか,自分との対峙が避けられない。 武道を通して人格的成長が得られるか。考えたい。
Posted by
「人間はコミュニケーションを志向する」という基本的な立場に立って、教育の根幹にあるものについて論じた本です。 著者は、ラカンの「人間は前未来形で過去を回想する」という言葉を引用しています。他者に向かって自分の過去のことを話すとき、私たちは「あらかじめ話そうと用意していたこと」で...
「人間はコミュニケーションを志向する」という基本的な立場に立って、教育の根幹にあるものについて論じた本です。 著者は、ラカンの「人間は前未来形で過去を回想する」という言葉を引用しています。他者に向かって自分の過去のことを話すとき、私たちは「あらかじめ話そうと用意していたこと」ではなく、「この人はこんな話を聴きたがっているのではないかと思ったこと」によって創作されたことを話すはずだと著者は言います。そして、そういう話をするとき、私たちは「自分はいまほんとうに言いたいことを言っている」という気分になると著者は言います。 ここには、最初に伝えるべきメッセージを抱え込んでいる自分がいて、それが言葉を通じて他者に伝えられるというような常識的な対話のモデルとは、まったく異なる真理が示されています。他者に向けて話をする中で、自分の語るべき内容が定まってくるというのが、本書の示す対話のモデルです。 さらに著者は、「沈黙交易」の例をあげて、他者から何かを贈与されてしまったという思い込みが、人をコミュニケーションへと駆り立てることを説明しています。 本書の最後で紹介されている能楽の『張良』が、非常に印象に残ります。
Posted by
中高生向けに書いた新書で、型破りの教育論?~誤解がなければコミュニケーションは成立しない。夏目漱石のこころと三四郎に出てくる先生はその典型だし、もっと端的には能楽の張良・・・勝手に解釈して新しい気付きを得られれば良い~よくわからないものを交換するのが無言交易で、交換することに意義...
中高生向けに書いた新書で、型破りの教育論?~誤解がなければコミュニケーションは成立しない。夏目漱石のこころと三四郎に出てくる先生はその典型だし、もっと端的には能楽の張良・・・勝手に解釈して新しい気付きを得られれば良い~よくわからないものを交換するのが無言交易で、交換することに意義がある。言葉の交換もそうだし・・・貨幣がもっとも価値の解らないもの。自分が何を考えているかを、自分が語り終えたそのことばをつうじて知る・私たちが語っているとき、その語りを導くのは、聞き手の欲望(と私たちがみなしているもの)だ。誤読する自由。コミュニケーションはつねに誤解の余地を確保するように構造化されている。自分の馬鹿さ加減が解っているだけで先生の資格あり。人は知っている者の立場に立たされている間はつねに十分に知っている。(ラカン)
Posted by
面白かった。先生を先生たらしめるのは,「先生が何を伝えたいのかを考える」学ぶ側の主体性というのは,納得。
Posted by