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先生はえらい の商品レビュー

4.1

158件のお客様レビュー

  1. 5つ

    56

  2. 4つ

    48

  3. 3つ

    27

  4. 2つ

    6

  5. 1つ

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2013/03/08

内田先生の本は私にとって読む薬。本を読み飽きたら読む本。自分の考えを補強したり、新しい視点を仕入れたり、どれを読んでも安心してワクワクできる、という効果があります。この本で私にツボだったのは次の3点。コミュニケーションの目的はメッセージの正確な授受ではなく、コミュニケーションする...

内田先生の本は私にとって読む薬。本を読み飽きたら読む本。自分の考えを補強したり、新しい視点を仕入れたり、どれを読んでも安心してワクワクできる、という効果があります。この本で私にツボだったのは次の3点。コミュニケーションの目的はメッセージの正確な授受ではなく、コミュニケーションすること自体であること。 先生とは、あらかじめ何らかの知識や技術を持っていて、あたかも商品のようにそれを伝授する存在ではない。「先生は何を伝えたいのか?」という問いを発するのは問う者自信であり、それが「学びの主体性」であるということ。 解釈者である限り、必ず負けるということ。つまり、相手がどう出るか待ちの状態になるということは、絶対に相手の先手を取ることができない、ということ。これは、問題が起こってからそれに対処していると後手後手に回る、とか今のサービスをどう改良しようか、と考えているうちは決して創造的なものは生まれない、とかそんな自分の状況の理由が腑に落ちた一節だった。 などど、これを解釈してるうちは、まだまだですな。これ、中高生向けの本らしいけど、読んで、どんな感想を持つだろう。子供の時と大人の時とで、読み比べてみたい本。

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2012/09/28

著者が「学びの主体性」について書いた本です。 武道家であり哲学家である著者独特の語り口は読んでいて楽しく、よくわかったような解らなかったような後読感も心地いいものでした。 「学ぶのは学ぶもの自身であり、教えるものではありません。」 この一言を説明しているような本です。

Posted byブクログ

2012/09/03
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

内田先生が書く、学び方についての本だと思いながら読みました。  技術には無限の段階があり、完璧な技術というものに人間は達することができない。このことはどんな道でも、プロなら必ず初心者におしえるはずのことです。(P29)  聴き手に何の興味も示さないで熱く語り続ける語り手も、聴き手の存在を否定するメッセージを発信しているという点においては変わりません。(P113)

Posted byブクログ

2012/08/16

子ども向けの本にしては、内容が深遠すぎると思う。もちろん悪い意味ではなく。この本を読んで子どもがどう思うのか、単純に興味もあるし。 お互いのコミュニケーションにひらけた人間関係は、この本で取り上げられている師匠と弟子に限らずすごく重要だと思います。 めちゃくちゃ昔にこの本は一度読...

子ども向けの本にしては、内容が深遠すぎると思う。もちろん悪い意味ではなく。この本を読んで子どもがどう思うのか、単純に興味もあるし。 お互いのコミュニケーションにひらけた人間関係は、この本で取り上げられている師匠と弟子に限らずすごく重要だと思います。 めちゃくちゃ昔にこの本は一度読んだことがあるのですが、今回再読してみてやはり内田さんの思想に影響された部分はたくさんあるんやなあと再認識しました。この人の本に出会えてよかったと思う。

Posted byブクログ

2012/08/11

尊敬する人とは、やはり自分のいい意味の勘違いから出来上がるものなのだろう。 それならば、出会う人出会う人すべていい刺激をもらいたいし、そのためには自分もあらゆる世界を知っていなければ、繋がる引き出しがなくなってしまうのだろう。だから、勉強しよう。素敵な人と出会うために。

Posted byブクログ

2012/07/22

中高生向けの新書だそうですが、なかなか面白い。尊敬できる恩師(えらい先生)とは・・・と、それを恋愛感情に例えてみたり、交易の始まりから説いてみたりで、結局学ぶということの意味をも考えることになるかな。コミュニケーション論とも呼べるだろうし、個人的には本の読み方(感じ方)としても得...

中高生向けの新書だそうですが、なかなか面白い。尊敬できる恩師(えらい先生)とは・・・と、それを恋愛感情に例えてみたり、交易の始まりから説いてみたりで、結局学ぶということの意味をも考えることになるかな。コミュニケーション論とも呼べるだろうし、個人的には本の読み方(感じ方)としても得るところは多く、これがここで言う師弟関係の成立なのかもと思いつつ楽しく読了しました。

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2012/07/08

ちくまプリマリー新書は中学生や高校生を対象とした本のよう。 けど、大学生にこそ読んでもらいたいと思った。 今度、学生講義で紹介しようかな。 以下、本文より。 ・みなさんはもしかすると「学ぶ」ということを、先生が有用な知識や技術を与えてくれる対価として、生徒がしかるべき対価を払...

ちくまプリマリー新書は中学生や高校生を対象とした本のよう。 けど、大学生にこそ読んでもらいたいと思った。 今度、学生講義で紹介しようかな。 以下、本文より。 ・みなさんはもしかすると「学ぶ」ということを、先生が有用な知識や技術を与えてくれる対価として、生徒がしかるべき対価を払うことで成立する「取引」のようなものだと考えてやしませんか? ・学ぶというのは有用な技術や知識を教えてもらうことではありません。 ・弟子達は先生から決して同じことを学びません。ひとりひとりがその器に合わせて、それぞれ違うことを学び取ってゆくこと。それが学びの創造性、学びの主体性ということです。 ・「学びの主体性」ということで私が言っているのは、人間は自分が学ぶことのできることしか学ぶことができない、学ぶことを欲望するものしか学ぶことができないという自明の事実です。 ・コミュニケーションというのは、要するに、何かと何かを取り替えることです。そして、沈黙交易のところで明らかになったように、何かと何かを取り替えたいという欲望が最も亢進するのは、そこで取り替えられつつあるあるものの意味や価値がよくわからないときなのです。 ・私が皆さんに理解できないような仕方でお話しするの場面があるのは、わざとは言いませんが、実は明白な意図があるのです。この誤解の幅によってこそ、皆さんは、私の言っていることについていけると思うと、言うことができるのです。つまり、皆さんは不確かで曖昧な位置にとどまっておれるのです。そして、それがかえって訂正への道を常に開いておいてくれるのです。  言葉を言い換えて言えば、私がもし、簡単に解ってもらえるような仕方で、皆さんが解ったという確信をすっかり持てるような仕方で話を進めたら(中略)、誤解はどうしようもないものになってしまうでしょう。 ・師が師でありうるのは、師がいかなる機能を果たすのものであるかを、師は知っているけど、自分は知らないと弟子が考えているからです。 ・弟子は、師は私の知らないことを知っているはずだと想定したことによって、何かを(しばしば師が教えていないこと)を学んでしまいます。そして、何事かを学びえた後になってはじめて、その学習を可能にした師の偉大さを思い知るのです。 ・自身の問いに答えを出すのは弟子自身の仕事です。師は「説教檀の上から」出来合いの学問を教えるのではありません。師は、弟子が答えを見いだす正にその時に答えを与えます。 ・私たち(弟子)が「あなた(師)はそうすることによって、私(弟子)になにを伝えたいのか?」という問を発することのできる相手(師)がいる限り、私たちは学びに対して無限に開かれています。私たちの人間としての成熟と開花の可能性はそこにあり、そこにしかありません。  私が「先生はえらい」ということばで言おうとしたのはそのことです。

Posted byブクログ

2012/06/25

最近、ハズレの新書が多かったので、ちくまプリマー新書は良いかも、と淡い期待がわいてきた。内田樹さんが好きなだけかもしれないけど。

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2012/05/30

もっと日教組的な先生をイメージして読んだら全く違ってた。流石に内田樹である。コミュニケーション論と言えばってばあってるのかなぁ?印象に強く残ったのは、子どもが「ことば」を学び使うというゲームの喩え。ナルホドと唸ったね。でも、やっぱし内田樹の本はどこか難解で誤魔化されてる気がするの...

もっと日教組的な先生をイメージして読んだら全く違ってた。流石に内田樹である。コミュニケーション論と言えばってばあってるのかなぁ?印象に強く残ったのは、子どもが「ことば」を学び使うというゲームの喩え。ナルホドと唸ったね。でも、やっぱし内田樹の本はどこか難解で誤魔化されてる気がするのは、私だけ?

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2012/05/15

学んでいる人に是非読んで欲しい本。 最終的な結論はタイトルの通りなのだが、その中身は学びの構造論に留まらないところが内田先生らしい。 学びはやはり学ぶ側がいかに柔軟に吸収しようとするかに掛かってるんだな、と感じさせられた。 また、本質的なコミュニケーションの構造を説き、その土台の...

学んでいる人に是非読んで欲しい本。 最終的な結論はタイトルの通りなのだが、その中身は学びの構造論に留まらないところが内田先生らしい。 学びはやはり学ぶ側がいかに柔軟に吸収しようとするかに掛かってるんだな、と感じさせられた。 また、本質的なコミュニケーションの構造を説き、その土台の上で学びを捉えている部分もとても共感できた。

Posted byブクログ