ガラスの動物園 の商品レビュー
著者テネシー・ウィリアムズの自伝的要素が強い戯曲形式の小説。登場人物は、夫に逃げられた母親、足の障害で引きこもる姉、家出を試みる文学少年の弟、そして後半に出てくる弟の同僚。タイトルの『ガラスの動物園』は、姉が大事にしている動物の形をしたガラス細工から由来している。家族三人とも、現...
著者テネシー・ウィリアムズの自伝的要素が強い戯曲形式の小説。登場人物は、夫に逃げられた母親、足の障害で引きこもる姉、家出を試みる文学少年の弟、そして後半に出てくる弟の同僚。タイトルの『ガラスの動物園』は、姉が大事にしている動物の形をしたガラス細工から由来している。家族三人とも、現実を直視せず空想の世界に閉じこもっている。そこに異分子である弟の同僚が登場し家族に変化が起きるわけだが、理想を追い求めるだけでなく、まずは目の前の現実の中から幸せを見いだすことの大切さを改めて感じさせられた。
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泉谷閑示さんの著書の中に載っていて気になったので読んだ。この小説は著者テネシー·ウィリアムズの自伝的作品になっている。彼は、実の姉がロボトミー手術を受け、廃人同様となってしまったという経験を持っている。この作品に登場するローラは、その姉のローズのことだ。彼は、姉の人生を変えるその...
泉谷閑示さんの著書の中に載っていて気になったので読んだ。この小説は著者テネシー·ウィリアムズの自伝的作品になっている。彼は、実の姉がロボトミー手術を受け、廃人同様となってしまったという経験を持っている。この作品に登場するローラは、その姉のローズのことだ。彼は、姉の人生を変えるその瞬間に立ち会えなかったこと、ロボトミーを阻止できなかったことを悔やんでいる。 そのろうそくを吹き消してくれ、ローラ 小説の最後のこの一文は、彼の姉への痛切な思いが滲んでいる。この小説の中に登場するガラスの動物園は、傷つきやすく脆い姉ローラの比喩であり、お気に入りであるユニコーンの角が折れるのは、姉がロボトミーを受けたことの比喩であろう。
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作者の実の姉への思いが込められた自伝的作品と知って読むとより一層、なんて痛切な悲しみと優しさに溢れた語りなのかと胸を打たれる。上演ノートもト書きも本当に素晴らしい。イザベル・ユペールのアマンダとナウエル・ペレーズ・ビスカヤートのトム、見てみたかったなあ。
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舞台は1930年代の世界恐慌下のアメリカ。哀愁と喪失を抱えながら“狭間の時代”を生きる、ある家族を描いた戯曲作品です。 過去に何度も舞台や映画で演じられ、多くの人々を魅了してきた本作。2021年末にはれて観劇することになり、まず原作に触れたいと思い手に取りました。 登場人物はウ...
舞台は1930年代の世界恐慌下のアメリカ。哀愁と喪失を抱えながら“狭間の時代”を生きる、ある家族を描いた戯曲作品です。 過去に何度も舞台や映画で演じられ、多くの人々を魅了してきた本作。2021年末にはれて観劇することになり、まず原作に触れたいと思い手に取りました。 登場人物はウィングフィールド家――母親のアマンダ、姉のローラ、弟で語り部のトム、後半からトムの友人のジム、の以上4人。 ローラはハイスクール時代の出来事が原因で何に対しても消極的であり、ひきこもり生活をしています。唯一の趣味は大切にしているガラスの動物のコレクションを手入れすること。アマンダはかつて数多の男性に言い寄られ華やかだった社交場の思い出に浸る反面、自分のもとから去った夫に時折悪態をつきながら、ローラと明日の生活を案じセールス業に勤しみます。トムは密かに夢を抱えながらも家族のため、不満を募らせながら安月給の工場へ勤めに向かいます。それぞれが心に喪失を抱え、満たされない日々を過ごしています。 アマンダの個性は強烈で、行動思考の発端が“ローラのため”ゆえに、過干渉な母親です。ローラは母親の機嫌を損ねないよう振舞いつつ、その期待に応えられない自分の器量に落ち込み、極度に内向的な性格にさらに拍車をかけています。トムはそんなローラの気持ちを汲みながらアマンダを制することもありますが、そもそもトム自身を受け止めてはもらえず衝突するばかり。 父親不在のこの家族ははたから見るといびつで、とても不安定な様相です。「もっとこう振る舞えば相手にも伝わるし、事も上手く向かいそうなのに」とつい口出しをしたくなるほど不器用だとも思います。しかしそれぞれ不器用なりに、家族に対して愛を持っている。期待をしては裏切られ、自由を願いながらも責任を果たそうと務め、華やかな世界を横目に閉塞感あふれる我が家で生活を営む。不器用な家族愛のもと、絶妙なバランスでこの家族は成り立っています。 そんな家族のもとに“青年紳士”であるジムが訪れます。アマンダとトムの密かな思惑、ローラのかつての恋心と、ジムの登場は家族に大きな変化をもたらすことに。 トムは著者テネシー・ウィリアムズ、ローラは著者の姉、アマンダは著者の母親がモデルです。この作品自体、著者が愛する亡き姉へ捧げたと思われる自叙伝です。 多くの人はなぜジムのように、そしてガラス細工のペガサスのように自分の長所や特別な光るものに目を向けず、短所ばかりに目がいって身動きが取れなくなるのだろう。家族とは一体どのような集まりだろう。繰り返し考えることになりました。 物語は読みやすく、展開もシンプルです。しかし登場人物を掘り下げていくと、それぞれに共感できる部分があります。さらに、ラストへ向けての各々の決断には胸が張り裂けそうになりますが、同時に背景を考えるととても理解もできるし、そっと寄り添いたくなります。考えれば考えるほど多くの気づきを与えてくれる作品で、機会あればまた舞台も見に行けたらと思います。
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1945年ブロードウェイロングラン公演となり 日本でも文学座初演よりの人気演目。 1930年代南部ニューオリンズを舞台に父親が出て 行ってしまい過去の栄光に生きる母。 足の障がいによる内向的で婚期を逃しそうな姉を 心配し弟に職場で紹誰か紹介しろと母は 圧力をかける。 ...
1945年ブロードウェイロングラン公演となり 日本でも文学座初演よりの人気演目。 1930年代南部ニューオリンズを舞台に父親が出て 行ってしまい過去の栄光に生きる母。 足の障がいによる内向的で婚期を逃しそうな姉を 心配し弟に職場で紹誰か紹介しろと母は 圧力をかける。 閉塞感漂う家族悲哀物語は演劇では 普遍的なテーマらしい。
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ほっほー、これはなかなか面白いぞな。 こういう戯曲の台本みたいなのはどうも苦手というか、シェイクスピアが有名だけど全然面白くないから偏見を持っているのか、もうこっちで良いじゃん、現代人向けには。もうマクベスとかオワコンでしょ。 なんつって。 まぁでもジムくんが基本的には天然で酷い...
ほっほー、これはなかなか面白いぞな。 こういう戯曲の台本みたいなのはどうも苦手というか、シェイクスピアが有名だけど全然面白くないから偏見を持っているのか、もうこっちで良いじゃん、現代人向けには。もうマクベスとかオワコンでしょ。 なんつって。 まぁでもジムくんが基本的には天然で酷いやつなわけで、そのせいでトムくん達の家庭は完全に崩壊するわけで、こういう天然が一番怖いんだよねー、分かる、分かるぞ。
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これまでに読んだ戯曲の中でも最高レベルに属する名作。シンプルだが奥深く普遍的なストーリー。深みのあるシンボリズム。タイトル通り、ガラス細工のように繊細で痛切さに満ちたレクイエムだ。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
もし、自分の足が立たなくなって、どこにも行けなくなったとしたら――もし、自分の体重さえ支えることができず、また誰も手を貸してくれないとしたら――自分はこれから一生、誰かとダンスをすることができないのだとしたら、救いになるのは一体なんだろう? 自分には決してそれが手に入らないなら、一体何が許されるだろう? それは、かつての幸福な記憶を思い出すことなのではないか。ただそれだけが現実を忘れさせてくれる、自分のみじめさを忘れさせてくれるなら。しかし、そんな記憶さえもない人間は、では一体どうしたら? いったい何が人生の慰めとなるのか? 自分は何もできないし、これからも何もないと思っている人間は、何をよすがとすればいいのか? それは夢を見ることだ。夢を見ることは、誰にも奪えない。そこでは私は今の私ではなく、体は羽のように軽く、そして私は微笑んでいるのだ。自分の幸福を、神様に感謝して――。 この戯曲に登場する母と娘、そして息子はみんな夢見がちで現実を見ていない。そこでリアルなのは苦しみだけ、明日の生活さえも危うい自分たちの未来だけなのだ。 アマンダ(母親)の造形も、トム(息子)の造形も素晴らしい。彼らはお互いを思いやりながらも、現実の力の前では無力で、いらいらしたり自暴自棄になったりしている。 しかし、彼らは決して優しさを忘れているわけではないのだ。ただ、ある種の過剰さが邪魔をして、逆に彼らをがんじがらめにしているのだろう。それは時と場所さえきちんとととのえば、人よりも素晴らしい力だと思うのだけど……。 しかし、娘のローラはそんな母息子ともまた違う。彼女は現実にすっかり萎縮しきっていて、自分の存在自体に疑問を持っているようにさえ見える。母親と弟の愛情も、彼女の大きすぎる疑問を和らげてはくれない。 じっさい、彼女が生きていくのはとても苦しみばかりが多そうだ。ガラスの動物に語り掛け、きれいにしてあげることが、彼女が素直になれる唯一の方法である。 そんな彼女に突然訪れる、かつての思い人は、果たして夢なのだろうか? ジムがローラを素敵だと言い、綺麗だと言い、そしてキスしてくれるのは、現実のこと? それとも、夢? ……。 それは幸福な記憶……ローラにとっては、それは夢でも現実でも変わりないのではないかと、私は思う。彼女はこの出来事を、神様に感謝するだろうか? たとえ一度でもこのような記憶を持てたことを。何度も何度でも思い出せる夢を持てたことを。
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タイトルからして苦手なかんじだった。薄い本だけど読むのが楽しめなかった。ネジの課題本でなかったら選んでない本。 不況時代のセントルイスの裏町を舞台に、母、姉、弟、弟の友人がでてくる。家の中の狭い世界の話。アマンダはトムに姉さんにだれか紹介してといい、ジムを連れてきたときの浮かれ具...
タイトルからして苦手なかんじだった。薄い本だけど読むのが楽しめなかった。ネジの課題本でなかったら選んでない本。 不況時代のセントルイスの裏町を舞台に、母、姉、弟、弟の友人がでてくる。家の中の狭い世界の話。アマンダはトムに姉さんにだれか紹介してといい、ジムを連れてきたときの浮かれ具合が異様だったなー。娘時代の服をきたり。ローラがジムとねー。すきだったんだろーな。戯曲で演劇かー。追憶の劇。
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