ICO の商品レビュー
ファンタジー世界の中で、ひとりの少年が瑞々しく駆け回る話。言葉を交わさずに少年が年上の少女の手を引いていく様は、儚くて美しくさえある。埃っぽい古城の中で少年は、謎に挑み、憤り、「真実」を見つけていく。そんな静かで素敵なストーリーです。
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ドキドキワクワク!こういう話が一番好きです。引き込まれて一気に読んでしまった。自分だったらこの運命を受け入れる?抗う?と何度も考えさせられた。でも答えは出なかった…
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たぶん、人生で初の小説。初の小説でこの厚さを選んだ昔の自分を称賛してやりたい。 勿論、当時このゲームで遊んでいたからという単純明快な理由で購入。 内容はゲームで語られなかったシーンとかちょくちょく入っててそれなりに楽しめた。読み終わった後はとりあえず黙ってPS2を起動すること間違...
たぶん、人生で初の小説。初の小説でこの厚さを選んだ昔の自分を称賛してやりたい。 勿論、当時このゲームで遊んでいたからという単純明快な理由で購入。 内容はゲームで語られなかったシーンとかちょくちょく入っててそれなりに楽しめた。読み終わった後はとりあえず黙ってPS2を起動すること間違いなし。 っていうかこの本買う人ってほとんど俺と同じ理由なんじゃないの!?
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プレステの同名ゲームをノベライズしたもので、私自身ゲームはしたことがないので世界観や人物を絵で知ることはなかったけれど、読み進めていくうちにどんどん話に入り込んでいけたのでとても読みやすい本だったと思う。
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宮部みゆきさんのファンタジー物は大好き。 景色の描写が緻密で、でも読み手の創造力を掻き立てる。 ICOも読むうちに霧の城があたまの中で描かれていって、風の塔で唸る風の音、歓声が響く闘技場、石の像が並ぶ地下や石の軍団がたたずむ草原、すべて文章から映像が浮かんでくる。 読んでいて本当...
宮部みゆきさんのファンタジー物は大好き。 景色の描写が緻密で、でも読み手の創造力を掻き立てる。 ICOも読むうちに霧の城があたまの中で描かれていって、風の塔で唸る風の音、歓声が響く闘技場、石の像が並ぶ地下や石の軍団がたたずむ草原、すべて文章から映像が浮かんでくる。 読んでいて本当にのめりこんでいける。 ゲームはまだしていないけど、 自分の創造した景色と同じか心配で踏み出せないなぁ。
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同名ゲームのほうが先で、こっちはゲームファンの宮部さんが小説にしたものなのか。 うまく言えないけど…。ゲームやってみたくなったというか、小説じゃないほうが(私は)この世界を楽しめるのかなあという気はする。
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ゲームのノベライズとして書かれているが、ゲームの方はやったことないので単にファンタジーとして楽しめた。ゲームもやってみると更に世界観に引き込まれるんだろうと思った。少々終わりのあっけなさを感じたけど、主人公イコの運命の背景にある物語は楽しめた。
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ゲームのノベライズだと知つてゐたら手を出さなかつた(^_^)。 宮部みゆきさん、大好きな作家ですが時々変な日本語が出てくる。 第一章のタイトルにもなつてゐる「すべては神官殿の申されるまま」。どうしてNHKも宮部さんもこの「申される」を使ふのだらう。 神官殿は神官よりも目上の人に...
ゲームのノベライズだと知つてゐたら手を出さなかつた(^_^)。 宮部みゆきさん、大好きな作家ですが時々変な日本語が出てくる。 第一章のタイトルにもなつてゐる「すべては神官殿の申されるまま」。どうしてNHKも宮部さんもこの「申される」を使ふのだらう。 神官殿は神官よりも目上の人に「申し」てゐるのではなく、目下の村長に対して「仰せられ」てゐるのだが。 p.338 「さうした些少の事柄が見えるやうになつてきた」 かういふ「些少」の使ひ方はなんとも不自然である。気持はわからないではないが違和感がある。 最低限、「些少の事柄『は』見えるやうに~」であれば「少しくらゐは見えるやうになつた」の意として許容できる。 「些少ながら」(ほんの少しではあるが)漱石「道草」 「些少にはござりますれど」(少しではございますが)露伴 「時々の些少な責任感はあっても」(時々はほんの少しの責任感があるとしても)豊島与志雄 といふやうに、「ほんの少し」の意を少々否定的に表現する時の言葉といふのが標準的な使ひ方であらう。
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学生時代にアルバイトの先輩に貸してもらって読みました。ゲームの存在は知ってても読めるのですが、やはりファンタジーは苦手です。ラストシーンの意味もよく分からなかった。
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原作はゲームなんですね。 どこかで見たことあるなぁと思ったら、そうか、あのゲームか。 「この人の手を離さない。僕の魂ごと離してしまう気がするから。」 というキャッチコピー、とても印象に残っています。 霧の城へ生贄として連れて行かれた少年イコは、加護の力により、生贄とう運...
原作はゲームなんですね。 どこかで見たことあるなぁと思ったら、そうか、あのゲームか。 「この人の手を離さない。僕の魂ごと離してしまう気がするから。」 というキャッチコピー、とても印象に残っています。 霧の城へ生贄として連れて行かれた少年イコは、加護の力により、生贄とう運命から回避。 その霧の城を探索している途中、不思議な少女ヨルダに出会います。 彼女は何故か、霧の城にうごめく黒い霧の化け物たちに狙われる。 そんな彼女を守りながら、イコは彼女の手を引いて、霧の城からの脱出をはかります。 何故生贄として捧げられてきたのか 霧の城とは何なのか ヨルダは何者なのか 物語は、主にこの三点について語られていきます。 「しきたりだから」とか、「そういう決まりだから」とか、 こんなの全然理由になってないし、根拠ではないですよね。 でも、こういうことって結構あると思います。 そして何故か、「仕方がない」と思ってしまう。 それは、大人になればなるほど、そう思いがちのような気がします。 人は理不尽だったり、納得のいかないことに直面すると、 「どうして自分が」と思ってしまう生き物だと思います。 そんな中、「自分が守る、自分がやるんだ」と思えた彼は、すごいと思いました。 まだ子どもなのにね。 あと、裏切ったり、裏切られたり。 騙したり、騙されたり。 どうして、そういう風になってしまうんだろう。 どうすれば騙せるのかとか、裏切るまでの過程とか、 それって、相手のことをよく理解していないと出来ないことだと思う。 お互いに理解し合えているのかもしれない。 それなのにどうして―って思います。 もったいないなって思うんです。 でも、そこが人間の怖いところであり、面白いところなのだと思います。 そういうところに触れた、イコとヨルダは、きっといい子に成長するのでしょう。 もう手を離しても、魂ごと離れることはないから、大丈夫だね。
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