風の谷のナウシカ(ワイド版)(7) の商品レビュー
宮崎駿 1988年生まれの自分にとって恐らく最も存在感が強い表現者のひとりであり、個人的にも幼少期から追い続けている大好きな映像作家。 自分の中では実存の鏡として北野武といつも肩を並べている存在である。時代を代表する二人のロールモデルというか。宮崎駿はそういう意味では言うまでも...
宮崎駿 1988年生まれの自分にとって恐らく最も存在感が強い表現者のひとりであり、個人的にも幼少期から追い続けている大好きな映像作家。 自分の中では実存の鏡として北野武といつも肩を並べている存在である。時代を代表する二人のロールモデルというか。宮崎駿はそういう意味では言うまでもなくイノセントなモデルの象徴であり、日本の良心であり子供の為に全てを捧げたかわいいキャラクターの創造主だ。トトロ、ジジ、まっくろくろすけ、ヤックル、テト、ネコバス、八百万の神々、ハウルの動く城、ポニョ、ありとあらゆる虫と動物、そして躍動する女の子、、、天才アニメーターである彼にしか描けない丸い温もりのある線によって世界中の子供達の心を掴んで離さないかわいいが溢れ出てくる。 恐ろしいのはその上で作られる作品の圧倒的な歪さと時代の混沌が内在したフィルモグラフィーだ。彼の原体験としての高畑勲。そして日本アニメーション黎明期を駆け抜けた体験がジブリ作品には色濃く反映されている。共産主義の崩壊と「太陽の子ホルス」による旗揚げの挫折。アニメーションによって社会を変革する熱風を志した二人の信念は「アルプスの少女ハイジ」「母を尋ねて三千里」に刻印されている。ちなみに「母を尋ねて」は表現を志す人の未来のバイブル。なぜ人は表現に命をかけるのか、その実像を映し出す狂気のテレビアニメだ。 宮崎駿は監督になってから「ナウシカ」で成功するまでの苦渋の日々、鈴木敏夫との出会いと格闘、高畑勲との大乱闘、その全てがめちゃくちゃ面白いのだがキリがないので割愛する。 日本アニメは世界の文化史、美術史の文脈の流れを変えた。戦後エンタメこそが文化の本流を形成し、映画、音楽ではなくマンガ、アニメに新しい表現のムーブメントが花開いた。手塚治虫がこじ開けた扉を引き継ぎ、発酵熟成させた上で世界中にその映像表現を流布させた宮崎駿と高畑勲は間違いなくその立役者である。 功績ばかりを褒め称えても仕方がないが、あえて言語化するのは、その華々しい成功の影にある宮崎駿の実存こそ深掘りしたいからである。 漫画版「風の谷のナウシカ」は宮崎駿内部表現の迷宮だ。21世紀の初頭である今、文化人類学が学問の垣根を越えて影響を与えている理由は学問そのものの大きなパラダイムシフトを代表しているからだ。人類は自らの行動によって歴史の記憶を継ぐんできたのではなく、歴史の記録(言語ゲーム)そのものが人類を媒体に歴史そのものを繁殖させてきたとする 「存在論的転回」は「風の谷のナウシカ」の世界観そのものだ。 第8巻で虫によって腐海に沈む文明の真実が明かされる。巨神兵も王蟲も、設計士である人間が作り文明が一度滅びるようあらかじめ設計されていたというのだ。彼らのデザインに従いシステムを維持しさえすれば、人類はまた繁栄を迎えるという。 ナウシカの媒介者としての葛藤は宮崎駿の、全ては作られたものに過ぎない美しい世界に対する応答に集約される。 作られた世界を維持すれば人間は安泰、、でも、、 それは生きていると言えるの? ナウシカは設計士の全てを打ち壊し、再び砂漠の荒野に乗りだす。「マトリックス」における赤と青どちらのピルを飲むか?にも繋がる選択。 見たくなかった世界の真実を知ってしまった「進撃の巨人」の調査兵団は地獄の中を突き進む。 宮崎駿が切り開いた世界認識の絶望的な視座は学問よりも遥かに早く読む人を説得させる。 しかし、それによって覚醒するネオは現れたとは言えない。 どちらかと言えば21世紀はより完成された「マトリックス」の世界を迎えようとしている。そしてジブリもテーマパーク化によってその片棒を担がされる運命かもしれない。 宮崎駿という表現者のテーマは答えの出ない葛藤を引き受けるところにある。 子供を覚醒させるためのアニメが、子供を見たくないものに蓋をする温室に誘う葛藤。 戦争を否定しつつ、戦闘機が美しいことを捨てられない葛藤。 はたしてこれが世界中の子供達に感動を与えることができるエンターテイナーが抱え込める業火なのだろうか?「風立ちぬ」「君たちはどう生きるか?」に色濃く刻まれている葛藤の業火。
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最高に濃厚な宮崎駿さんの大叙事詩。墓所の技術を借りずに星が決めるに任せた(ストイックだなと思う)ナウシカたち人類の未来が明るいことを願わずにはいられない。うまく清浄な世界に適応するように自然と進化できたらいいな……。 2025/10/07 3日間で一気読み。
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映画版ではただの強い兵器でしかなかった巨神兵がこんなに活躍するとはね。最後まで読むと、クシャナはただの悪役じゃなかった。最終ページに書かれている「その後」のナウシカとクシャナに希望を感じる。このフルバージョンをアニメ(テレビでも映画でも)で見たいけれど、無理だろうなあ。
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噛み締めながら,当時読んだ気がする。 衝撃のラスト。 墓所、腐海、ナウシカ達の存在する意味、最後に全てつながった時にナウシカの選んだ未来 まじで、続編を映画化して欲しい作品。
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息子10歳3ヶ月 息子が喜びそうな本を、母が選んで図書館から借りてきています。時々息子リクエストの本も。読み聞かせしなくなりました。母はサミシイ。 読んだ◯ 好反応◯ 何度も読む(お気に入り) ◯ 「また借りてきて!」「続き読みたい!」◯ その他◯
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ほぼほぼ一気読み! 瘴気や巨人兵を兵器として人間同士が争うっていうところが、ちょっと進撃の巨人を思い出した。 最後の最後らへんは難解で腹落ちし切っていないけれど、今まで映画しか見たことなかった私からすると、全体を通して深くてすごい壮大で、宮崎駿恐るべしと思った。
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ナウシカは人間を信じすぎているのか。 いや、たとえ死ぬ運命だったとしても、自然のまま、移り行くままに身をまかせたい、と願ったのだろう。 清浄な世界が訪れた時には、人間が完全に絶滅するだろうことを知りながら。 凶暴さや醜さのない者は、もはや人間と呼ぶことができないというのなら、その先にあるのは絶滅という未来しかない。 それでも、凶暴さや醜さとともに、優しさや美しさを感じる心も持っているから、ナウシカは、死が訪れるまでは懸命に生きよと言う。 でも、それさえも、人間が何度もたどって来た道なのだろう。 火の七日間で滅びた文明は、いったい何度目の文明だったのだろうか。 だから、青き衣の者は伝説として言い伝えられている。 ナウシカも、青き衣の者として伝説となるだろう。 絶滅へ向かうしかない人間の、生きる希望として。 私は、ナウシカが、穏やかで賢い人間となるはずの卵を破壊したことは、罪深いことではあっても、正しい選択だったと思っている。 穏やかで賢い人間も、世代を重ねるにつれて、やはり歴史を繰り返すと思うからだ。 なぜか人間だけが、愚かで不要な存在なのだ。 生を肯定するような終わり方ではあったけれど、それはナウシカとセルムが本当のことを秘密にしたからであって、これは絶滅への第一歩であった。 でも、多分それは、とても幸福なことなのだ。
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全7巻一気読み。 だいたいどんなストーリーか知っていたけど、きちんと読んでみたくて図書館で借りました。 確かこの作品が作られたころは環境汚染や環境破壊が叫ばれるようになり、本当にこんな世界が訪れても不思議ではないと思っていました。 こうならない為にもひとりひとりが気をつけよう!...
全7巻一気読み。 だいたいどんなストーリーか知っていたけど、きちんと読んでみたくて図書館で借りました。 確かこの作品が作られたころは環境汚染や環境破壊が叫ばれるようになり、本当にこんな世界が訪れても不思議ではないと思っていました。 こうならない為にもひとりひとりが気をつけよう!という啓蒙的な作品なのかと…。 あの頃に比べるもと、空気も水も土壌もマシになってきて問題とすべきことが少し変わってきてるのかもしれないけど、「清浄と汚濁こそ生命」というのは本質で、やはり争いは絶えないのでしょうか。
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腐海がなくなり清浄な世界がもどればすべての生物は死ぬ…そういった設定なのか。いや、そうではない。必ず生き続ける。そう信じたい。この地球の生物とはどこから来てどこに行くのだろうか。
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なんて奥深い最後だろうか。 過去に存在し、そしていつか訪れるだろうと日々焦がれている未来に、自分たちの身体がもはや対応できないなどと…どの口が言えようか。 どう理解できようか。 もののけ姫のキャッチコピーは“生きろ”だったけれど、ナウシカの最後のことばである“生きねば”にこそ強...
なんて奥深い最後だろうか。 過去に存在し、そしていつか訪れるだろうと日々焦がれている未来に、自分たちの身体がもはや対応できないなどと…どの口が言えようか。 どう理解できようか。 もののけ姫のキャッチコピーは“生きろ”だったけれど、ナウシカの最後のことばである“生きねば”にこそ強い意志を、頑な思いを感じざるを得ない。 必死に生きねば。
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