潜水服は蝶の夢を見る の商品レビュー
信じられないほど素敵な本。こんな人がいるなんて。 ユーモアと愛と夢に溢れている本。 すごくすごく良い本で、ジャンがあまりに素敵で、胸がしめつけられる幸福感でいっぱいになる。どんなに言葉を尽くしてもジャンには追いつけない。なんて人だろう。この本に出会えて、本当に幸せです。
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『ELLE』誌の編集長として活躍していた 43 才のボービーは、突然脳出血で倒れ、昏睡状態に。昏睡から覚めたとき、彼は Locked-in 症候群と呼ばれる全身の麻痺状態に陥ってしまう。知覚、意識はまったく以前のまま、体だけが動かない。その動かない 「殻」 あるいは 「繭」 とな...
『ELLE』誌の編集長として活躍していた 43 才のボービーは、突然脳出血で倒れ、昏睡状態に。昏睡から覚めたとき、彼は Locked-in 症候群と呼ばれる全身の麻痺状態に陥ってしまう。知覚、意識はまったく以前のまま、体だけが動かない。その動かない 「殻」 あるいは 「繭」 となった体を彼は Scaphandre (潜水服)、体の自由が奪われてもなお自由を求め飛翔する精神を Papillon (蝶) にたとえた (原題: Le Scaphandre et le Papillon)。 本書は、麻痺状態になり、呼吸も排泄も自力ではできない、唾も飲み込むことができなくなったボービーが、唯一動かせる左目のまばたきでアルファベットをひとつひとつ示し、単語を組み立てて書き上げたエッセイ集である。 エッセイの内容は、家族のこと、思い出、病院での日常、空想などが中心。いずれもフランス人らしい機知と皮肉に富んでいて秀逸だ。書籍紹介を読んで 「闘病記」 だろうと思い込んでいたので、まるで雑誌に掲載されているコラムのような軽妙洒脱なエッセイに驚いた。 本書は映画化もされていて (むしろそのことによって有名になったと思われる)、そちらには 「自分の中の人間性にしがみつけば生き抜ける」 とか、「体の自由を奪われても心は蝶のように自由に」 というようなコピーがついているのだが... 本作を 「感動の...」 という枕詞つきで呼ぶのは、個人的にはためらわれる。 なぜなら、彼が本書を書きあげたのは、「心がどこまでも自由」 だったからではなくて (最終的にそのような境地に達していたとしても)、本を書くしか選択肢がなかったからだろうと推測できるから。 自分で息もできない、排泄もできない、何もできない、常に集中介護が必要... そんな状態になったら、私なら死を選びたい。彼だって幾度もそう思っただろう。 現実的に考えてみよう。一生この状態で生き続けることで、家族にどれだけ辛い思いをさせるか。精神的な負担だけではない。莫大な経済的負担を強いる。 逆に、私が彼の家族なら? 動けなくてもコミュニケーションがとれるなら、ずっと一緒にいたい。でも苦しんでいるパートナーが死を選びたがっているなら、 「何が何でも生きて」 というのではなく、死を選ばせてあげたい。あるいは、この状態が 1 ~ 2 年のことならいい。そう遠くない将来に終わるとわかっているならいい。でもずっと続くなら私も自由を奪われてしまう。そのことから来る怒りが、いつか相手への愛情を超えてしまう日がくるかもしれない。そのことが恐ろしい。 だが現代社会では自分で死を選ぶことはタブーだ。だいいち、体の自由を奪われた彼には自殺という選択肢すらない。彼は 「生かされ」 てしまう。どんなに惨めでも辛くても 「生きなければならない」。そうした前提があっただろうことを思うと、かろやかな蝶のように自由な発想で書かれたこのエッセイ集を、簡単に 「感動の~」 などと呼べない。 この人のエッセイをもっと読みたいと思うと同時に、本書がフランスで発行された直後に彼が亡くなったということを知り、ほっとしてもいる私もいる。
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脳梗塞で倒れ、「ロックトイン・シンドローム Locked-in-syndrome」という最も重症の状態に陥った人間が、わずかに動く左目のまばたきだけでコミュニケーションをとり、一冊の本を書きあげたという奇跡のような話です。 著者はフランスのファッション雑誌「ELLE」の元編集長。...
脳梗塞で倒れ、「ロックトイン・シンドローム Locked-in-syndrome」という最も重症の状態に陥った人間が、わずかに動く左目のまばたきだけでコミュニケーションをとり、一冊の本を書きあげたという奇跡のような話です。 著者はフランスのファッション雑誌「ELLE」の元編集長。 43歳だった1995年に突然倒れ、体のすべての機能を失ってしまいます。 しかし精神だけは正常なままという、これ以上はない絶望的な状況に陥ってしまうのです。 題名にある潜水服は身動きもままならない自らの肉体を表し、蝶は自由に動き回れる自らの精神を表しています。 こんな絶望的な状況下でも、人間はこれだけのことができるのだという事実に驚かされます。 そしてどんな状況に置かれても、けっして諦めてはいけない、目の前の事実を受け入れて、前向きに生きることの大切さをあらためて教えられます。 ちょうどテレビでは北京パラリンピックが連日放送されていて、障害をもった選手たちの健闘ぶりを目にしていただけに、人間の限りない可能性に感動もひとしおでした。 この本を書くために繰り返されたまばたきは、20万回にものぼるそうです。 その気の遠くなるような努力のまえには、どんな言葉も色褪せてしまいます。 この本は映画化もされたそうですので、そちらもぜひ観てみたいと思っています。
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もちろん、著者がどういう状況の中でこの本を書き上げたかは知っていて読んだ。その前提をなしに読み始めても本の中で状況は明かされてしまうのではあるけれども、知っているか知らないかということではなく、その括弧付きの「前提」なしにこの本を読むことは、極端に言ってしまえば、無意味であると思...
もちろん、著者がどういう状況の中でこの本を書き上げたかは知っていて読んだ。その前提をなしに読み始めても本の中で状況は明かされてしまうのではあるけれども、知っているか知らないかということではなく、その括弧付きの「前提」なしにこの本を読むことは、極端に言ってしまえば、無意味であると思う。それはなにも、この本に納められた文章がその前提なしには成立しないとか魅力がないと言うつもりではない。ただただ、この本自体が抱えている構図のというものを測ってみると、盲目的に「知り得ない」と思い込んでいたものに触れる体験、と要約できるように思うからなのだ。盲目的に知りえない、と思い込んでしまうことは、その「前提」を抜きには成立しない。 しかし、今ここで自分が由無しごとを書き連ねようとしつつ、奥歯に物が詰まったような感じで何か言葉を選びっている感覚に付きまとわれるのは、恐らく、ある厄介さを嗅ぎとっているからでもある。それは「知り得ない」と思っていた、の行く先が、「存在しない」のニュアンスを色濃くするのを、自分自身の意識の変化として認識するからだろうし、その変化が全く無邪気に悪びれた様子もなく起こってしまうからでもある。また、そういう自分の意識の変化が、この本をやや露悪的なものと位置づける心持ちを生む下地となり、辿って行けば、猟奇的なものに無意識に魅せられてしまう心理と同根のものを感じるからでもある。 そこまで引いてみて、それを単純に邪悪と表現してみたり、シニカルにこの本に対峙してしまいそうになる心理を否定する心理も、きっと自分の中にはある。しかしそのように反発して、ナイーヴに心の中の黒いものに目をつぶりながらこれらの文章を読んでみたとしも、それもまた余りに皮相的できれいごとに過ぎてしまう。だから、この括弧付きの「前提」からは決して目を逸らしてはならないし、ともすれば露悪的なものに魅せられそうになる心理も意識し続けなければならない。 この本が成立した過程は、それを想像するだけで何かの感慨を生み出す程のことだけれども、そこに気を取られ過ぎてもいけないと思う。むしろ過程はともかくとして、極めて普通の精神活動が、自らの状況を普通に判断しつつ、如何に普通に苦しみ、喜んでいるか、そして、それを言葉にする冷静な視点が具わっているか、ということに目を向けたい。もちろんそれは、文章を成すことを生業としてきた著者であればこその二重性なのだと思うのだが、言葉に写し取られる感情さえも客観的に吟味してしまう奥深いひっそりとした精神活動の在り方に思いを至らせたい。 著者の置かれた状況という要素から、読者が勝手に著者に対する思いを外挿するのも控えるべきだ。何故なら著者はこの文章を成す時に、死を前提としていないからだ。絶望的な状況ではあるけれども、死はまだ著者の意識では地平線の彼方にある。であるからこそ、その精神活動は、誤解を恐れずに言えば、極めて普通であると見える。その健全さが、例えそれが容易には知り得ない場所に存在していたとしても、この本の在り方を独特のものにしていると思うのだ。その健全さを死とのコントラストで捉えてはいけないだろうと思うのだ。 これはあるいは、一つの踏み絵のような本なのかも知れない。
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ゼミの原作なので急いで読みましたー。 ボービーの皮肉がよいですね笑 生きるということに対する価値観がかわります。 懸命に生きる。
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読んでしみじみした。人気雑誌編集者が脳卒中が原因で全身麻痺に。 患者さん側から書かれた本とか初めて読んだから衝撃が強かったけど、この人は見るモノをすべて美しく書いてくれていたのでしんどくなく読めた。
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著者は世界的ファッション誌「ELLE」の 元編集長ジャン=ドミニック・ボービー。 その肩書きにふさわしく彼の書く文章は、 大変センスが良く、ユーモアに溢れ、 本のタイトルでも使われているように まるで「蝶」がひらひらと軽やかに舞いながら 飛んでいるかのようだ。 しかし、この本...
著者は世界的ファッション誌「ELLE」の 元編集長ジャン=ドミニック・ボービー。 その肩書きにふさわしく彼の書く文章は、 大変センスが良く、ユーモアに溢れ、 本のタイトルでも使われているように まるで「蝶」がひらひらと軽やかに舞いながら 飛んでいるかのようだ。 しかし、この本に書かれている内容、彼が置かれた現実は、 その軽い文体と反比例するように暗くて重たい、 想像を絶するような「潜水服」の悪夢である。 彼は、雑誌編集長として、多忙かつ華やかな 毎日を過ごしていた43歳の時、 突然脳出血で倒れ昏睡状態となり、 その20日後、一命を取り留め 意識を取り戻した時に侵されていたのが 「ロックトインシンドローム」。 全身は麻痺して動かす事は出来ないが、 意識や考えはしっかりしている。 肉体上は「植物人間」。 しかし精神上は以前の彼のまま。 大変残酷な病状である。 しかし、彼は、 たとえ肉体は不自由であっても、 心の自由は奪われない。 もし、ある日突然自分が同じような状況に 突き落とされてしまったら、 彼のように己の身に降りかかった不幸に絶望しつつも、 時に「素晴らしい日々」であった過去を振り返り涙を流しつつも、 彼のように、それでも心の中の「自分」は喪わず、 唯一残された自由「左のまぶたの瞬き(まばたき)」のみで、 心穏やかに他者とコミュニケーションを取り、 柔らかに思考し、 心開き、己の思いを語る事が出来るだろうか。 「自由を諦めない、生きる事を諦めない」 最後まで心の中で闘い続けた筆者を尊敬し、 自分もそんな強さを持ちたいと思った。
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「ロックトイン・シンドローム」という障害(意識や知能ははっきりしているのに体は植物人間のように麻痺状態になる)にかかりながらも、唯一動く左目の瞬きで書き上げたエッセイ。 蝶の夢は軽やかで、美しい鱗粉を撒き散らして、ふとした瞬間に脳裏をよぎる。
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すべての自由を奪われても魂の叫びは消せない。 難病LISに冒され、 すべての身体的自由を奪われた『ELLE』編集長。 瞬きを20万回以上繰り返すことだけで、 この奇跡の手記は綴られた。 愛する人たちや帰らぬ日々への想いが、魂につきささる。 生きるとはこれほどまでに、切なく、激しい...
すべての自由を奪われても魂の叫びは消せない。 難病LISに冒され、 すべての身体的自由を奪われた『ELLE』編集長。 瞬きを20万回以上繰り返すことだけで、 この奇跡の手記は綴られた。 愛する人たちや帰らぬ日々への想いが、魂につきささる。 生きるとはこれほどまでに、切なく、激しい。
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ある日突然病に倒れ、左目以外動かせなくなってしまった元ELLE編集長が書いた本 この本の読んでいるとつい、この本が「左目」とスペルを1文字づつ読み取っていった人のこまめな作業の上に製作された本であるという事を忘れてしまう 改めて思う 世界に本当に神様がいるなら、こういう障害を...
ある日突然病に倒れ、左目以外動かせなくなってしまった元ELLE編集長が書いた本 この本の読んでいるとつい、この本が「左目」とスペルを1文字づつ読み取っていった人のこまめな作業の上に製作された本であるという事を忘れてしまう 改めて思う 世界に本当に神様がいるなら、こういう障害を作ったりしない。 試練だなんて、言い訳がましい
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