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黄色い雨 の商品レビュー

3.9

38件のお客様レビュー

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2024/06/09

20世紀、スペイン。険しい山の斜面にへばりつくアイニェーリェ村で最後の住人になった男は、妻が首を括った縄を腰に結びつけ、窶れた犬と共に山と畑を行き来するだけの孤独な日々を送る。在りし日の村の記憶と突如現れては消えていく亡霊たちに男の思考は侵食され、ポプラの木から降り注ぐ〈黄色い雨...

20世紀、スペイン。険しい山の斜面にへばりつくアイニェーリェ村で最後の住人になった男は、妻が首を括った縄を腰に結びつけ、窶れた犬と共に山と畑を行き来するだけの孤独な日々を送る。在りし日の村の記憶と突如現れては消えていく亡霊たちに男の思考は侵食され、ポプラの木から降り注ぐ〈黄色い雨〉によって緩慢に腐敗していく村で死を待ち続ける。生と死が完全に重なり合う滅びの風景を描いた長篇小説。 これは死についての思弁小説だ。語り手はまず自らの死体が発見される場面を予告編のように語り始める。この時点で彼が生きているのか死んでいるのか、この小説の語り手は死者なのかという問いに最後まで答えはでない。私としてはむしろ、彼は自分の死を知った人びとの顔を繰り返し夢想しながら、生死の境界が溶け去った世界で生きながらえていると思いたい。いずれにせよ、朽ちていく村全体がすでに男の墓なのだ。 滅びのヴィジョンとして、降り注ぐ黄色いポプラの葉に覆われていく世界というイメージは美しく思える。それは長い時間をかけて人工物すらも腐葉土に変えてしまう力を秘めているだろう。光の腐敗、死の液体。 同じように死が「緑色のつぶやき」と表現されるのも、人間の営みに対する自然の優位性を強調している。男が夢想する自分の亡骸は苔に覆われている。いずれは村があった痕跡すら植物に覆われ、そこで生きた証は何も残らないだろうと男は予言する。黄色い雨のあとに緑色の死がやってくるのだ。 語り手は村をでると決めた息子を勘当していて、最後まで胸の内で責め続ける。この頑なさが妻をも追い詰めたに違いないのだが、自らの不寛容を反省することのない彼が、飢えても変わらず自分に付き従う犬のために最後の銃弾を使って死なせてやる場面はとても痛ましかった。 独居老人の心理小説として直近で読んだフィオナ・マクファーレンの『夜が来ると』と共通する点が多く、どちらも記憶や認識能力が混濁していくさまを詩的に捉えた文章表現が卓越していた。また、過疎化を題材にしたリアリズム小説でありながら、読み心地はコーマック・マッカーシーの『ザ・ロード』やデイヴィッド・マークソンの『ウィトゲンシュタインの愛人』のようなポストアポカリプス小説に限りなく近い。特に『ウィトゲンシュタインの愛人』とは、まだ生きながらえているということ、まだ世界が続くということへの乾いた絶望感が共通していて、鏡のような関係の作品だと思った。

Posted byブクログ

2024/04/07

死者たちが孤独な男の下を訪れる。死が生の領域を侵蝕し始める。精一杯生き延びて、崩壊と対峙しようとする努力が挫折しててゆく。 しかし、いつしかそうではない、逆なのだと感じてくる。生きながら内側に死を育んでゆく。 ある日突然に死が迎えにきて生を絶つのではない。死は最初から私の中にあ...

死者たちが孤独な男の下を訪れる。死が生の領域を侵蝕し始める。精一杯生き延びて、崩壊と対峙しようとする努力が挫折しててゆく。 しかし、いつしかそうではない、逆なのだと感じてくる。生きながら内側に死を育んでゆく。 ある日突然に死が迎えにきて生を絶つのではない。死は最初から私の中にあり、それを認めて少しづつ解き放っていくのが生きるということ。 生きつづけることは、死につづけること。 そして、ふと思う。 もはや生者と死者の間に違いなどない。両者共にただ朽ちていくだけだ。 “死が私の記憶と目を奪いとっても、何一つ変わりはしないだろう。そうなっても私の記憶と目は夜と肉体を超えて、過去を思い出し、ものを見つづけるだろう。いつか誰かがここへやってきて、私の記憶と目を死の呪縛から永遠に解き放ってくれるまで、この二つのものはいつまでも死に続けるだろう” “おそらく今生きているこの夜は、自分が既に死んでいて、そのせいで眠れないだのだということに気づいたあの夜と同じ夜なのだろう。しかしそんなことはもうどうでもいい。 五日だろうが五ヵ月、五年だろうが同じことだ。時があっという間に過ぎ去っていったので、どんなふうに過ぎてゆくのかを見届けることもできなかった。逆に、今夜があの午後以来果てしなく続いている。暗い夜だとしたら、時間など存在しないわけだから、それを、私の心臓の上に振り注ぐ砂のような時間を思い起こす必要などないのだ” 死の床にて追憶と共に自らの肉体が滅んだ先を予言する、その語りに呪縛されたかのように本を置くことができずに一気に読む。 私が主語の独り語りなのに三人称かのような透徹した文章の美しさに引き込まれる。 ポプラを散らし秋の終わりを告げる黄色い雨が、村の街路を、犬の影を、私自身を染めあげていく。そのイメージが喚起する幻視に心が掴まれて、離れない。

Posted byブクログ

2022/01/17

次から次へと人が出ていき、廃村になったような村。そこに住む老人と雌犬。老人が静かに死んでいく様子を描いていく物語。死にゆく村と老人の描写に引き込まれ、ページをめくる手を止められなかった。

Posted byブクログ

2023/06/18
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

感想を書くのが、難しい作品だと思う。 読み終わってから、たまに、ふと思いを巡らせてみるけれど、上手く言葉にならない。 おそらく、私の脳内で処理しきれない何かがあるのだと思う。あるいは、凌駕している何かが。 ポプラの黄色の紅葉が降る様は、私からすれば、美しい光景のようにも思われるが、廃村に残された最後の人間が毎年眺めるそれは、思い出深い村を更に廃れさせるものであるとともに、死の訪れにも見えてくるようになる。 その男が誰とも顔を会わせず、声も発しなくなった日々を重ねるとき、まざまざと迫ってくる孤独や狂気を思い出さないために、今を生きるということを放棄してしまったように感じられ、その瞬間から、男の中の時間は止まり、逆流する。 それは、記憶だけが男の存在理由となり、生活の中の唯一の風景と述べていることからも分かる。 家に留まることが多くなった男にとって、そこで無気力に回想する男自身を、自身の内なる記憶だとすると、外で降る黄色い雨が村を破壊させている現象は、さながら、男自身の身体を破壊しているように思えなくもない。毎年、毎年、それが続いていくと、果たして、人はどんな精神状態に陥るのか? 黄色い雨を忘却の雨とも書いているのは、男自身の願いなのかもしれない。 更に、家の中の男自身の記憶の中に、静かに訪れ、佇むようになるのは、かつての親族だった霊たち。 男が彼らを見て、まるで生命ではなく時間が止まったように感じているところは、記憶の中の思い出として見ているのかもしれないし、はたまた、男自身が既に死んでいるのかもしれないとも思えてくる。 実は、物語のそこかしこに、男が語り部なのに、それだと辻褄が合わない箇所がいくつかあるため、そうした推測もできるのだが、現実なのか、幻想なのかは私には分からない。 ただ、それでも物語全体に恐怖は感じなかった。 それは、著者の詩的表現の美しさと、失ったものに対する静謐な哀愁を感じさせる表現に、著者の品性が垣間見えたから。 ちなみに孤独と書いたが、男の側には雌犬が一匹いる。ただ、この状況では、逆に男を苦しめることになることに、複雑な思いがした。純粋さが悲劇を生むことには、悲しくてやりきれないが、それでも雌犬の存在には心を打たれた。

Posted byブクログ

2020/09/23

紅葉したポプラの黄色い雨。それが降るたび建物は廃墟となり、かつての住人の記憶は消える。男はただひとり、過去を思い出し続ける。 ここ数年で読んだなかで、いちばん美しい小説だった。

Posted byブクログ

2017/12/03

すぐれた本作の持つ美質を称える文言を並べるのやさしい。小難しい批評言語を連ねてその良質を解説することも可能かと思うけれど、正直期待したほどの感動は本作から得られなかった。残念。文学作品にありがちな、作品の良さは十分に理解できるけれど感動には結びつかないというタイプの一冊。訳者木村...

すぐれた本作の持つ美質を称える文言を並べるのやさしい。小難しい批評言語を連ねてその良質を解説することも可能かと思うけれど、正直期待したほどの感動は本作から得られなかった。残念。文学作品にありがちな、作品の良さは十分に理解できるけれど感動には結びつかないというタイプの一冊。訳者木村の解説はもううるさく、本作を読んで白い焔がどうのこのと感動表現がうるさい・・ジャマ。そう思うのはルルフォの傑作『ペドロ・パラモ』を越えるものとして、本作に対しえらい持ち上げ方をしているそれの反撥のせいであるかもしれない。

Posted byブクログ

2017/02/21

過疎の村に1人残って、残りの人生をどう過ごしていくか、今までの彼の人生を振り返りながら、家族の死や別れを考えていく。 ちょっと難しい…。上手く感じ取なかったかなぁ。

Posted byブクログ

2016/07/17

 『黄色い雨』の舞台も、スペイン、ピレネー山脈近くの廃村寸前の村だ。妻が自殺してしまった後、村に一人取り残された老人が語る長い長い孤独の時間。なぜ、移り住まないのか、という問いは読書会でも出た。しかし、人と土地とのつながりは一筋縄ではいかない。そこを離れたら、自分が自分でなくなる...

 『黄色い雨』の舞台も、スペイン、ピレネー山脈近くの廃村寸前の村だ。妻が自殺してしまった後、村に一人取り残された老人が語る長い長い孤独の時間。なぜ、移り住まないのか、という問いは読書会でも出た。しかし、人と土地とのつながりは一筋縄ではいかない。そこを離れたら、自分が自分でなくなるほどのものなのかもしれない。ひょっとしたらここは、ユダヤ教から改宗したマラーノの村なのだろうか。位置的に可能性はある。黄色い雨は、降りしきるポプラの黄葉。  訳者あとがきで『ペドロ・パラモ』に触れていることに、この度気がついた。読み終わった直後は、この作品のインパクトの強さに、即、記憶から消えていた。

Posted byブクログ

2015/11/24

美しいながらも凄惨で、緩慢ながらも凄まじい素早さでとびかかってくる死。 黄色って、たしか中世ヨーロッパあたりから忌むべき色とされていたような。

Posted byブクログ

2015/06/10

約四時間で読み終えてしまった。素晴らしかった。孤独と死の淵の狭間で絶望的でしかないのに、詩的でどんどん静かな仏教でいえば中陰の世界のような透明感を帯びてくる。主人公はやがて土地と一体化し村の土地の精になって還っていくようであった。傑作。もっとリャサーレスの本が読みたい。

Posted byブクログ