アーモンド入りチョコレートのワルツ の商品レビュー
今年も再会の夏が来た。 ぼく、智明、ナス、じゃがまる、そして章(あきら)くんの5人は、関東のあちこちから章くんの別荘を目指して出発する。 「子供は眠る」 中三の秋。ぼくは不眠症に悩まされていた。一ヶ月の不眠。そんな状態で球技大会なんて、参加できるわけがない、逃げよう。そうして旧...
今年も再会の夏が来た。 ぼく、智明、ナス、じゃがまる、そして章(あきら)くんの5人は、関東のあちこちから章くんの別荘を目指して出発する。 「子供は眠る」 中三の秋。ぼくは不眠症に悩まされていた。一ヶ月の不眠。そんな状態で球技大会なんて、参加できるわけがない、逃げよう。そうして旧校舎へ逃げ込んだぼくは、元音楽室でピアノを弾いている藤谷りえ子に出逢った。 「彼女のアリア」 ピアノ教室に突如現れたサティのおじさん。 絹子先生、サティのおじさん、そして君絵。手をつなぎ、足をぶつけ合ってワルツを踊った木曜日の夜。 「アーモンド入りチョコレートのワルツ」 普段は身を潜めている、私の中にある情動や衝動といった類のものを呼び起こしてくれるそんな一冊です。 森絵都さんは「カラフル」や他を数年前に読んで間が空いていましたが、数行読んで、ああ森絵都さんだ、これぞ森絵都ワールドだと心を鷲掴みにされました。 男の子達の夏のひと時をほのぼの描いているのかと思いきや、突如不穏な空気が立ち込める「子供は眠る」、こうして、いつかあの日を振り返るような淡い思い出になるのかと思ったら、な「彼女のアリア」、読み始め数行でもうじわじわと泣けてくる「アーモンド入り〜」。 そのどれもが、思春期の子ども達のふわふわさやのんびりとした頼りなさの中に、際どさや一歩違えば大きく先が変わってしまう危うさを孕んでいて、でも最後にはちゃんと、締めてくれる安心感がありました。 大事件が起こるわけでは決してないけれど、誰もの人生の中に、当事者の他には誰にも知られず、でも大きく心が動いたこんなひと時がきっとあった、こういうことを経て皆大人になったのだと思わせてくれるようなお話ばかりでした。 音楽に関連したお話でしたので、該当曲を聴きながら読むとまたすごく良かったです。
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文体が個人的に合わないけれども、会う人には癖になるかもしれない。 人間関係の生々しさがさっぱりと森絵都らしく、独特のリズムで描かれる。 読みやすく読書初心者にもおすすめできます。
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シューマン、バッハ、サティのピアノ曲を副題に持つ3遍の短編集ですが、子供達の成長を扱った短編集でもあります。子供は何故か中学生期限定。 1作目はいとこ同士で別荘に集まる夏合宿の話し。別荘に集まるのは子供達のみ。皆の中心である章くんが来年は高校生となるので、今年が最後の合宿ですが...
シューマン、バッハ、サティのピアノ曲を副題に持つ3遍の短編集ですが、子供達の成長を扱った短編集でもあります。子供は何故か中学生期限定。 1作目はいとこ同士で別荘に集まる夏合宿の話し。別荘に集まるのは子供達のみ。皆の中心である章くんが来年は高校生となるので、今年が最後の合宿ですが、、、佳作。 2作目はふとしたきっかけで知り合った中学生男女の話し。時期は中3秋から卒業まで。こちらも登場人物は子供のみ。個人的にはこれが1番好きでした。 自分の事しか考えられなかった男の子の、ラスト近くの「おれ、どうしても気になってしょうがないんだけど、、、」に続く台詞が泣かせます。相手のことを受け入れる覚悟を持った優しい台詞。大人の階段を登ったってやつでしょうか?僕には言えません。きっと彼はいいおとこになっていくのでしょう。 しかし、ゴルドベルグが不眠症患者のための曲だったなんて、知らなかったな。 3作目が表題作。やっと大人が登場します。でも、絹子先生とサティおじさんは横道から大人になったような人達。しかしながら、ふたりの社会不適合者が作り出す世界は魅惑的で、、、「色んな成長があっても良いんだ」と、人と同じ道を生きられない人達を肯定する作品。サティのピアノ曲を聴きながら読むと心地よいです。
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大人になるということ。 生きるということは、変化の連続。 さみしくても切なくても、やるせなくても。 戸惑いながらも、自分自身や周りの変化をしなやかに受け入れて大人になっていく過程が垣間見えた。 肯定するということ。 否定することよりも、もっともっと難しい。 私自身の永遠の課題...
大人になるということ。 生きるということは、変化の連続。 さみしくても切なくても、やるせなくても。 戸惑いながらも、自分自身や周りの変化をしなやかに受け入れて大人になっていく過程が垣間見えた。 肯定するということ。 否定することよりも、もっともっと難しい。 私自身の永遠の課題でもある、と感じた。 ありのままを受け止める。自分自身も、相手も。 どんな状況でも。 難解で難題だ。 「アーモンド入りチョコレートのように生きていきなさい。」とても素敵な言葉。 どんなことがあっても、チョコレートのように優しく包み込んでいける大きな自分になれたらいいな。
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「アーモンド入りチョコレートのように生きていきなさい」 わたしもワルツが好きなので序盤の表現だけで胸がわくわくした。 ざわざわした後に胸に残るあたたかさ。みんな少しずるくて、愛おしい。 表題の曲とともに読むと、より深く作品に入り込める。
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感性が足りず、良さがわかるまで行きませんでした。 短編3作品。クラシック音楽がベースに流れています。いとこ5人の夏休みを描いた子供は眠る。不眠症の僕と虚言症の彼女の、彼女のアリア。 絹子さんとサティおじさん、君絵と奈緒のお話、アーモンド入りチョコレートのワルツ。
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ビアの曲と子どもを巡る短編集。 夏に訪れる海辺の別荘でのできごとを描いた「子供は眠る」、不眠症について旧校舎で語り合う「彼女のアリア」、ピアノ教室に現れた不思議なフランス人のおじさんを巡る「アーモンド入りチョコレートのワルツ」。 いずれも、ちょっと非日常な場面で、子供独特の興味...
ビアの曲と子どもを巡る短編集。 夏に訪れる海辺の別荘でのできごとを描いた「子供は眠る」、不眠症について旧校舎で語り合う「彼女のアリア」、ピアノ教室に現れた不思議なフランス人のおじさんを巡る「アーモンド入りチョコレートのワルツ」。 いずれも、ちょっと非日常な場面で、子供独特の興味と不安定さのなかで揺れる様子が描かれた、不思議な物語だった。
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ピアノ曲をテーマにした短編集。曲自体はどの曲も知らなかったのですが、奏でられる物語は優しい雰囲気を纏っていて、読んでいて心地良かったです。一番印象的なのは「アーモンド入りチョコレートのワルツ」かな! 絹子先生の穏やかさが、サティのおじさんの破天荒さを際立たせていて、おじさんの陽気な人柄がよく伝わって来ました!
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彼女のアリア →自分の不眠を分かってもらいたいという主人公の気持ちは甘えである。 しかし彼女が虚言癖で自分との会話を嘘で作り上げていたことを知り、腹は立てるが後に彼女をあるがまま受け入れようとする、その姿はまさしく心の成長。嘘をついて自分にかまって欲しいという女子も甘えであるから...
彼女のアリア →自分の不眠を分かってもらいたいという主人公の気持ちは甘えである。 しかし彼女が虚言癖で自分との会話を嘘で作り上げていたことを知り、腹は立てるが後に彼女をあるがまま受け入れようとする、その姿はまさしく心の成長。嘘をついて自分にかまって欲しいという女子も甘えであるから、両成敗といったところか。 アーモンド入りチョコレートのワルツ →絹子先生は人を否定せず、あるがまま受け入れる。 明らかにレッスンをサボろうとしている行動にもユーモラスな対応をとるし、周りに踊らされない芯を持っている。 1人の闖入者によって幸せな木曜日の30分間は失われる危機に陥り、絹子先生の立場も危うくなる。 そこで子供たちは知る。 自分たちの幸せな環境は大人によって作り上げられたものであり、大人たちによって無くすこともできるのだと。 とにかく読んでいるだけで楽しくなる物語だった。
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いとこたちと別荘で過ごす夏の恒例行事の最後を描いた「子どもは眠る」。不眠症となり、虚言癖のある彼女と過ごした中学3年生、最後の半年を描いた「彼女のアリア」。友達と、ピアノの先生と、謎のフランス人の3人とワルツを踊った中1のを描いた「アーモンド入りチョコレートのワルツ」。3つの短編が入った短編集。それぞれに、テーマとなるクラシックのピアノ曲の副題が付けられている。 3作は共通して、主人公である中学生たちの、特別だった時間の終わりを描いている。個人的には、「彼女のアリア」が1番好きだった。 「ぼく」は、同じ不眠症だと思って一緒に話していた「藤谷」の話が、実は全て嘘だったことを知り仲違いしてしまう。しかし、彼女の嘘は、いつでも自分のための嘘だったことことに気がつき、卒業式の日、もう一度、旧校舎の音楽室で彼女に会い、仲直りする。 二人の関係もさることながら、毎週放課後に出会いの場所にしていた旧校舎の音楽室を出ていくとき、初めて自分が卒業することを意識する最後が印象的だった。 「薄暗い校内。黒ずんだ壁。ひっそりと眠るような静けさ。/やはりそこには神秘の霧が立ちこめていて、ぼくはこの世界が本当に好きだったのだと改めて思う。藤谷とはまた会えるけど、ぼくがここに足を踏み入れることは、二度とない。/そうかぼくは卒業するんだ……と、初めて思った。」 その場所に二度と来ないことに気がついて、卒業を自覚する。卒業式が終わり、誰もいなくなった校舎を見る「ぼく」の視線に、共感した。
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