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プレーンソング の商品レビュー

4

89件のお客様レビュー

  1. 5つ

    24

  2. 4つ

    30

  3. 3つ

    13

  4. 2つ

    6

  5. 1つ

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2014/10/09

内容自体はとてもとりとめ無いのだけど、 その「とりとめないことを書き表す」という作者の主張がかなり全面に出ているように思った。 作中のゴンタ君の行動と発言がかなり象徴的。 最後の海のシーンはいっそうとりとめなく。 唐突にみじかい会話文だけが数ページ続いていたりする。 確かに、ぐ...

内容自体はとてもとりとめ無いのだけど、 その「とりとめないことを書き表す」という作者の主張がかなり全面に出ているように思った。 作中のゴンタ君の行動と発言がかなり象徴的。 最後の海のシーンはいっそうとりとめなく。 唐突にみじかい会話文だけが数ページ続いていたりする。 確かに、ぐだぐだしているところを実際に全て書き表したらこうなるのかも。 全体としてモラトリアムな雰囲気が漂っていて、どうも私から見たらダメ人間の集まりと言った風なんだけど(笑)、みんなやけに楽観的で自信を持って生きているように見える。 これは登場人物の若さゆえ?それともバブル前という時代ゆえなのかな。 いま同じ状況の小説が書かれるとしたら、もっと違う雰囲気になるんじゃないかな。 この雰囲気はちょっと面白かった。 競馬と猫のことを軸に話が進んでいくにもかかわらず、最後の最後は犬エピソードで締められるのも面白い。 意図的に外しているのだろうか。 一文が長く句点が少ない地の文が、まるで日記のような小説でした。

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2014/09/14

保坂和志「プレーンソング」 http://www.chuko.co.jp/bunko/2000/05/203644.html … 読んだ。デビュー作。凝った筋や展開の意外性やグロや、単語をいかに変に組み合わせてタイトルにするかに気合いが入っているようなくだらない小説が多い中、これ...

保坂和志「プレーンソング」 http://www.chuko.co.jp/bunko/2000/05/203644.html … 読んだ。デビュー作。凝った筋や展開の意外性やグロや、単語をいかに変に組み合わせてタイトルにするかに気合いが入っているようなくだらない小説が多い中、これで小説家になろうと思ったのがすごい。褒めている(つづく 筋もなければ事件も起きない、人物は誰も何もしない。文章や思想の骨格がないと読み通せないと思う。こんなの誰でも書けないよ。「カンバセイションピース」もだけど、登場する中に、傲慢無知だったり厚かましかったり非常識だったりする人物がいて、読んでいて心底その人にいらいらする(つづく 小説という形態でなければ成立しない。これが映画ならフィルムを変えるとか映像に凝るとか台詞を思わせぶりにするとか音楽やファッションとか、とにかく別の何かで特徴を出さなければホームムービー的な素人の記録動画になるだろう(とは言え最近YouTubeでさえ事件の切り取りだけど)(おわり

Posted byブクログ

2014/09/01
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

何も起きない小説。全体的に曖昧模糊としていて、それがプレーンということなのかな。 猫と競馬に興味がない自分としては、流し読みに近い形で終わってしまった。

Posted byブクログ

2014/05/21

会話文のみで書かれた後半の約15ページ。 ここに醸し出される雰囲気から、あぁなんかそういうことなんかなぁ、と思う。

Posted byブクログ

2014/04/15

これといったドラマティックな展開のないほのぼのしたストーリー。ドラマがなくても、なにげない日々の生活が幸せだと感じられる話。なんにも起こらなくても、ダラダラしていても、誰かその瞬間を共有することができる人がいると幸せがより大きくなると思った。 あらすじを読むとよく、4人の〜と書...

これといったドラマティックな展開のないほのぼのしたストーリー。ドラマがなくても、なにげない日々の生活が幸せだと感じられる話。なんにも起こらなくても、ダラダラしていても、誰かその瞬間を共有することができる人がいると幸せがより大きくなると思った。 あらすじを読むとよく、4人の〜と書いてるけれど、あんまり4人で一緒にいることないし、いっそのこと5人の〜にした方が良いんじゃないかと思う。

Posted byブクログ

2014/04/10

『書きあぐねている人の小説入門』の中で、筆者が「悲しいことは起きない話にする」「悲しいことが起きそうな気配すら感じさせないように文章を書く」というルールを設定して書いたということに興味を持ち、読んでみることにした。 本当にその通りで、悲しいことも、悲しいことが起きそうな気配もなく...

『書きあぐねている人の小説入門』の中で、筆者が「悲しいことは起きない話にする」「悲しいことが起きそうな気配すら感じさせないように文章を書く」というルールを設定して書いたということに興味を持ち、読んでみることにした。 本当にその通りで、悲しいことも、悲しいことが起きそうな気配もなく、私はとても好きなタイプの小説だと思った。 何か大きな出来事や物語の起伏があるわけではないけど、一行読み進めるごとに次も読みたくなっていくし、とても惹かれるし好みにあう文章で、テンポもよく考え方やものの見方にも共感する。 飾り気やひねくれがなく、自然で素直で冷静でユーモアもある。こんなに心地よい小説があるのかと、この小説に出会ったことにとてもうれしさを感じた。 きっと他の小説も好きだろうと思うから、この著者の作品をもっと読んでみようと思う。

Posted byブクログ

2013/09/02

冬の終わりから真夏の海へ行く日まで、四人が過ごす日々。何も起こらない。ただ時間が流れていく。しかし、これが人生ということ。 機会があれば「草の上の朝食」を読みたい。

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2013/07/21

バブル前夜にこのような草食系の男女が共同生活する設定は当時では新しさがあったのだろうが、現代ではリアリティーを持ったある種の癒し系小説として読まれるのかなという気がした。まあ、ケータイもネットも出てこないので、そこに昔の日本を感じるのかもしれないが。チェルノブイリが爆発して、日本...

バブル前夜にこのような草食系の男女が共同生活する設定は当時では新しさがあったのだろうが、現代ではリアリティーを持ったある種の癒し系小説として読まれるのかなという気がした。まあ、ケータイもネットも出てこないので、そこに昔の日本を感じるのかもしれないが。チェルノブイリが爆発して、日本の競走馬の心配する牧歌的なシーンは311後に読むと何とも言えない気持ちになる。 語り手の主人公の存在感は皆無で、ある種の神視点になっており、共同生活している3人や職場の仲間の人間模様を描いている形式だが、淡々と日常が続くだけで何も起こらない。が、競馬のレース日程が時計のように一定間隔で時を刻むので季節変化はあり、ワープしたり、遡ったりもしない。この予定をこなすかのようなスケジュール感は機械的ですらある。最後は誰が話しているのかもわからない会話文だけが延々と続き、「こんな調子で2日間が過ぎていった」というのは今読んでも斬新。 先に著者の小説論を読んでしまったので、登場人物に小説・映画(物語)とは何か?を語らせて、本書の解説っぽくなっているのは少々クドイかな?と思ってしまったぐらいだが、予備知識無しで読んだらこの構造に気がついたかどうか。あまりにもリアリティー追及型のこのテイストが気に入って慣れてしまうと、事件や殺人が起こる物語が逆に白けてバカバカしく思える危険性もあり、それはそれでどうなのかなって気もするが。ハリウッド映画やミステリー小説が好きな人は全く受け付けないだろうけど。

Posted byブクログ

2013/06/09

  本当に、ただただ淡々、坦々と日々が紡がれていくおはなし。近所の猫をぼーっと見守ったりするところがスキ。

Posted byブクログ

2013/06/01

「書きあぐねている人のための小説入門」を再読して、「じゃあこの人の言う小説ってのはなんなんだ」と思いから読んでみたもの。確かに、と感じる中身だった。「偉そうにしてた割には……」と言ってやるつもりだったのだが、そのまんまなので逆に困惑している。で、評価に困っている。面白かったかどう...

「書きあぐねている人のための小説入門」を再読して、「じゃあこの人の言う小説ってのはなんなんだ」と思いから読んでみたもの。確かに、と感じる中身だった。「偉そうにしてた割には……」と言ってやるつもりだったのだが、そのまんまなので逆に困惑している。で、評価に困っている。面白かったかどうか、で評価するしかないので、それなりに面白かったと言っておけば十分だろう。 ただ、読んだ動機が動機なだけに照らし合わせみたいなものがフラッシュバックして、結果的に評価まで面倒なことになるのだ。 ストーリーなんてクソ食らえ、とまでは行かないが、そもそもその辺りに純文と娯楽小説の対立じみたものの根のひとつはあったわけだろうし、それが新しいかというとそうでもない。 筋がないといっても、人間がいて場面があり行動があるわけだからエピソードは存在する。それが時系列的に流れているので停滞しているわけでもない。 文章にしても、状況の微細な説明と言えばそうだし、ただのらりくらりと描写を引き伸ばしているだけじゃないかと思われてしまえば、それはそのとおりであるとも思う。 その辺りを感じながらずっと既視感にとらわれていた。「やっぱりそうだ」と確認しながら読んでいたように思う。こういう形のものに慣れ親しんでいるからそう思うのだろうと納得した。 つまるところ、このヤマ無しオチ無し意味無しの日常感は、「ほのぼの系日常四コマ」や、特に「シムシティ」「A列車」「どうぶつの森」等のゲームに酷似しているのだなあ、と思う。一応の目安はあるが終わりはなく、時々エピソードが挟まれて、それに対してちょっと笑ったり文句を言ったりする。どこで終わっても構わないというのもそうだ。 もっとも、二十年以上前の作品で、しかも媒体が小説なのだからそれは凄いことだ。発刊当時に読んでいたらもっと衝撃的だったろう。先駆的だったと考えれば感服するばかりだ。ただ、面白いかと言うと人を選ぶだろうなと思う。評価までゲーム的になる。そういうスタンスにあると私は思うので、当時と今とでは評価の形がきっと変わるのだろうなという感想である。 ※以下は個人的なすり合わせ。 が、膝を打ち、なるほどねと「書きあぐねている人のための~」の内容を反芻するのと同時に、妙に「しっくりきすぎてしまった」ことで、すっきりしたのかモヤモヤしたのかよく分からないことになってしまった。「新しいことをやる」とずっと書かれていたことが、よく見知ったものとそう変わらないことなのではないかと思えばこそ、当然の反応だとは思うし、たぶんいちばん引っかかっているのはそこなのだろう。ある種、この手のやり方がスタンダードになったと言うだけなのかもしれないが。つくづく、やり方だよなあ、という感想になる。 だから貶めるわけでなく、むしろ「書きあぐねている人のための~」の小説論に捕らわれ萎縮していた自分にため息が出るのだ。結局、この内容にあまり振り回されてはその辺のテクニック本を読んでいるのと同じだろう、というところに落ち着いたわけで、それに気づけただけでも読んだ価値は大いにあった。

Posted byブクログ