プレーンソング の商品レビュー
「プレーンソング」は「plain song」なのか。「率直な歌」「質素な歌」「はっきりした歌」、どれもいまひとつしっくりこない。 どこかの会社員である主人公は離婚したため一人暮らしには広すぎる部屋で暮らしている。会社の競馬仲間と競馬に行ったり競馬の話をしたりする。近所で猫を探す。...
「プレーンソング」は「plain song」なのか。「率直な歌」「質素な歌」「はっきりした歌」、どれもいまひとつしっくりこない。 どこかの会社員である主人公は離婚したため一人暮らしには広すぎる部屋で暮らしている。会社の競馬仲間と競馬に行ったり競馬の話をしたりする。近所で猫を探す。古い知り合いと電話で猫のことを話す。主人公の弟分のような男とその彼女が主人公の家に居候を始める。彼女が猫を見つけて毎日餌付けをする。主人公の別の友だちも居候を始める。4人で近所をぶらぶらする。弟分の友達もときどき訪れて8ミリフィルムを回す。主人公、居候3人、8ミリで海に出かける。耳の遠い犬に大声で話しかける男に海で出会う。 何も起こらないんだけど、ちゃんと何かはある。というかすべてがある気がする。そんな小説。 何かの職業に従事する人が苦労しながら成功を収める物語とか、最後にどんでん返しがあるミステリーとか、そういうものよりもこれを読んでいたい。 登場人物たちのやりとりがとても良くて、こういう人付き合いができるとよいよなと思える。 海に浮かぶゴムボートの上で4人で会話する短いセリフの羅列がすごく良い。
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ゴンタの話がやや自己言及的すぎる気もしたが、その技法によってなんでもないことをなんでもないこととして描いてみせることでなんでもないことのなんでもなくなさが浮かびあがってくる感じがする、このひとはぼくの何億倍も小説というものについて考えているのだなあと思わされる、すごい、猫がたくさ...
ゴンタの話がやや自己言及的すぎる気もしたが、その技法によってなんでもないことをなんでもないこととして描いてみせることでなんでもないことのなんでもなくなさが浮かびあがってくる感じがする、このひとはぼくの何億倍も小説というものについて考えているのだなあと思わされる、すごい、猫がたくさん出てきてうれしい
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初めに感じてた読みにくさも、最後には違和感なく受け入れられて、引き込まれた。癖になる。 何気ない日常を文章にするには、綺麗で整った文章じゃなくて、このくらいの、一見無駄が多く見える長ったらしい文章がちょうどいいと思った。 日記みたいで、でも日記ではない。 不思議やけど、引き...
初めに感じてた読みにくさも、最後には違和感なく受け入れられて、引き込まれた。癖になる。 何気ない日常を文章にするには、綺麗で整った文章じゃなくて、このくらいの、一見無駄が多く見える長ったらしい文章がちょうどいいと思った。 日記みたいで、でも日記ではない。 不思議やけど、引き込まれる小説で、続編も気になる。
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話が横にズレていくというか、脱線していく面白さを感じた。猫の話、女性の話、野郎の話、映画の話、競馬の話。考えてみれば登場人物たちは決して絶対的な縦関係を結ばない(歳の差から来る相対的な縦関係はあるとしても)。会社や学校という組織から(あるいは社会から?)はみ出した者同士が出会い、...
話が横にズレていくというか、脱線していく面白さを感じた。猫の話、女性の話、野郎の話、映画の話、競馬の話。考えてみれば登場人物たちは決して絶対的な縦関係を結ばない(歳の差から来る相対的な縦関係はあるとしても)。会社や学校という組織から(あるいは社会から?)はみ出した者同士が出会い、そして祝祭めいた時間を猫と一緒に過ごす。哲学/衒学めいた話題も多く、それらはある種の「ダレ場」というか停滞した贅肉めいた部分のようでもあり、だが同時にこの話に独自の旨味を加えている部分でもある。ここまで完成されたデビュー作も珍しい
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高校のころに初めて読んでからなぜか数年おきに繰り返し読んでいるけど、この本を読むたびに小説を読むという体験そのものの不思議さみたいなものをすごく意識させられる気がする。 この本を読んでいると、小説を読むという体験は本質的には小説を読んでいる時間にしかなくて、ストーリーや登場人物や...
高校のころに初めて読んでからなぜか数年おきに繰り返し読んでいるけど、この本を読むたびに小説を読むという体験そのものの不思議さみたいなものをすごく意識させられる気がする。 この本を読んでいると、小説を読むという体験は本質的には小説を読んでいる時間にしかなくて、ストーリーや登場人物やテーマは、ある意味では本を読むという時間を構成するひとつの要素に過ぎないのかもしれないということを、つらつらと考えてしまう。ものごとの本質というものをあえて考えるのであれば、小説の本質は小説を読んでいる最中の読者の中で流れる時間そのもので、そういう意味では小説もある種の時間芸術なのかもしれないとかなんとか。僕はプレーンソングを読むたびに、頭の中ではそんなような小説の欄外の、全く別のことを考えているように思う。 そういうような思いを持ってこの本を読んでいるものだから、僕にとってこの本をひとつの小説というより、ある種の処方箋みたいな認識になっていて、つまりそれは単にとても好きな本ということなんだど、とにかく何度も読んでいるしお風呂で読んだりしたものだからページもくたくたになっているし、折を見て新しいのを買おう。
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読み終えた。筋のない小説、っていうふうによく紹介されてて、実際筋はなかった。主人公の家に何人かの居候が集まってきて、それで海に行く。海でもなんだかゆらゆらと日常が過ぎて、突然に小説が終わる。 エンタメ小説とか映画におけるストーリーテリングの技法としては、物語はなにかの問題を扱い...
読み終えた。筋のない小説、っていうふうによく紹介されてて、実際筋はなかった。主人公の家に何人かの居候が集まってきて、それで海に行く。海でもなんだかゆらゆらと日常が過ぎて、突然に小説が終わる。 エンタメ小説とか映画におけるストーリーテリングの技法としては、物語はなにかの問題を扱い、それの解決を語ることで観客を惹きつけてる。 で、本書はそれがない。それがなくても読める。別にエピソードが強いとかでもない。 なぜ読めるのかというとキャラクターの力かなあとは思うんだけど、そのキャラクターにしても脚本術的なキャラクターのアークは見当たらないし、キャラクターの三次元構造みたいなのもない。ただ色とりどりのキャラクターが、ああいそうだなという感じで描かれている。 これを読めてしまうのはキャラクターを好ましいと思えることで、たとえばこれが病気とか老いとかを扱った上でやれるのか? 「不愉快な」ひとたちを描けるのか? というようなことも思う。 それとは別の話として、えーと、この何も起きない話というのが面白いと思うのは、現代的な脚本術で作られたストーリーというのは「語られるべきこと」というのを規定していて、それはつまり何か問題がおきてキャラクターが成長するとか。これは神話的なレベルで組み込まれている、みたいなことを言うんだけど、かなり西洋的な、そしてアメリカナイズされた思想の影響も強い。つまり何が言いたいかと言うと神話理論を持ってしてどこまで脚本術の普遍性を説明できるのかということだ。とかいいながら俺は千の顔を持つ男を読んでないし、そこで扱われる神話がどういう分布なのかも知らないが、とにかくこの問いと答えみたいな構造の枠外がどこなのか? なぜ枠外の物語が書けてしまうのか? ということを考えるのはかなり有意義なことだと思う。 という感じでぶん投げた感想なんだけど、まあいつも考えてることを書いただけだな。そんなかんじです。
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「でも、自分の撮ったのをあとで見直しても、それで自分がどういう世界にいるんだろう、なんて、全然わかってこないし。撮ってたときの自分の気持ちとか考えてたことだって、わからなくなっちゃってるんだから」 「でも、小説って、何かないと書けなくて。ただ時間が経っていくって、書けなくて」 ...
「でも、自分の撮ったのをあとで見直しても、それで自分がどういう世界にいるんだろう、なんて、全然わかってこないし。撮ってたときの自分の気持ちとか考えてたことだって、わからなくなっちゃってるんだから」 「でも、小説って、何かないと書けなくて。ただ時間が経っていくって、書けなくて」 ・リアリズムについて考えている。乗代雄介と青木淳吾と円城塔。 ・並行して、田山花袋と佐々木敦を読んでいる。綿矢りさのkeep it all が達成したことはなんだったのだろう。 ・保坂自身の回顧 http://www.k-hosaka.com/note/comment/pre.html
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プレーンソング言うだけあって平凡な日々というか日常をまったりと語っていく・・と見せかけて、全く平凡では無い人達が全く平凡ではない怪しげな日常を送っているのである。大雑把に言えばちょっとおかしいといっていい人達なんだけど、でもなんかその狙ってる感が!妙にイラっとさせられるんだよなぁ...
プレーンソング言うだけあって平凡な日々というか日常をまったりと語っていく・・と見せかけて、全く平凡では無い人達が全く平凡ではない怪しげな日常を送っているのである。大雑把に言えばちょっとおかしいといっていい人達なんだけど、でもなんかその狙ってる感が!妙にイラっとさせられるんだよなぁ。なんでだろう。と思ったら何より主人公が一番何考えてるんだか訳わからん感じでそれが違和感のようで。だって色んな人がわさわわさ家に居ついていくというのに、妙に取りすまして何でもないですよーって感じでいるのが、なんつーか、偽善者っぷりが激しいというか。 まぁ要するに波長が合わなかったんかな。
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※このレビューにはネタバレを含みます
興味深いのは、とくに、発言と発言のあいだ、つまり会話をつなげる当人同士で「無意識に察する」ところ、言いかえれば本来なら表立ったところでは「無」にあたる隠れた部分を、因数分解して明らかにして表記するとでもいうような書き方でしょうかね。おだやかにぼんやりとした内容だけれども、そういうところはしっかりきちんとして、おざなりじゃないです。中盤から最後にかけて、ゴンタというキャラクターが登場して自分の考えを吐露し、ビデオカメラでの撮影の仕方が特徴的な事が、主人公たちによって語られるのだけれど、そのゴンタの考え方や行動の根っこのところは、この小説自体を作成するに当たっての著者の考え方に通じているような感じがしました。まるで入れ子みたいな。ぼくとしては、三谷さんがバリから帰って来たあたりの語りから著者の筆力のアクセルが強くなっていったように感じられました。そのシーケンスがなにか唐突のようで、それでもそこにアクセントがあり、それがアクセルが強められる合図にでもなっているような感じ。そのあとすぐのところで、唐突に見えるバリやカバラの語りが、三谷さんなりの競馬の考え方に通じるものとして回収されるのだけれどもそこでついた勢いがアキラの行動に方向性が出てくることとゴンタの登場とにエネルギーを与えていると思いました。三谷さん無しに、ずうっとノーマルに日常を綴られていくと「破」のような掻きまわしというか、飛躍というかがなくてつまらなくなる。『プレーンソング』は序破急なのかなあ。長い序につづいて短い破があり、仕舞に海が舞台になって、という。『プレーンソング』が何も起こらない小説だからって、書くのに技術を使わないだとか構成を考えないだとか、何もしてないわけじゃないですよね。文体のみで引っ張っていっているのではない、とぼくは思います。なにも考えずにだらだら書いていたら、ずうっとつまらなくなっているはずだもの。そう思いながら、巻末の解説を読んでみたら、文章作成の仕方が細かく腑に落ちる感じで、そのすごい技が説明されていたし、やっぱり、文章の練り込みに構成的な頭の使い方をしているのがわかり、ぼくの感想も当たらずとも遠からずだよなあ、と自分に甘い感じで納得したのでした。もう30年くらい前の小説ですが、おもしろかったですよ。きっとその後の文学世界に一石投じて波紋を生んだような作品であると思います。
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※このレビューにはネタバレを含みます
筋らしい筋のない小説で、面白くないと感じる人も少なくないと思う。語り手と、登場人物との会話では競馬、猫、映画、そして海などの話題があるが、どれも小説全編を通して語られているものではないし、語られていることの内容そのものに多分それほどの意味もないのかもしれない。それは、会話の内容とか傾向とかは、作中でも示されていたように会話する両者の「好きな冗談の違い」程度のものであるから。 ほとんど、解説の受け売りになってしまうが、ドラマ性とか、物語っぽさのような要素を排除しているし、語り手にしても主体的に行動したり自らの意見や主張をしたりすることがない。例えば一つ前に読んだ「しゃべれどもしゃべれども」では、主人公は、あるいは他の登場人物は実に生き生きと動くし、悩み考えるし、そして悩んでいる内容や理由が、やはり描写されている。しかしこの小説はそうした内面の吐露といった箇所は全然見当たらない(そもそも作者が「説明」しすぎるということが、たいていの場合自分が好きではない小説の条件になってしまうのだけど)。 唯一だと思うが、ゆみ子という相手にだけは、自分から電話し、後半では自分の意見を話している。「つねに日本や世界の大状況が出来事の中心にあるように言われていて、どうしてもそこから何かを考えることしかできなかった」。そして、この物語はそうした「大状況」の対極にある、極小的というか偶発的というかそうした日常をあくまで描いている。そういうと、いかにも現代の内向き志向の若者たちの無為な日常、といった感じだが、一応この物語では主人公側とアキラ側の2つの世代が書かれている。そもそも、この作品は解説によれば、1986年が舞台というから、私が生まれてもいない。だからいまいちピンとこないのだけど、ともかく内向き無気力、お気楽な今時の若者ライフ、といっただけで読んではいけない小説と思う。 プロットがあるより、よほど印象に残りそうな本だった。 それにしてもワイシャツやネクタイを脱がずに寝てしまう島田のキャラは、単純に楽しかった。
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