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文明の生態史観 の商品レビュー

3.9

60件のお客様レビュー

  1. 5つ

    20

  2. 4つ

    12

  3. 3つ

    17

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2022/06/28

このように世界史モデルを提示できる日本人がいるとは思っていなかった。 この本には初刷以来、小松左京氏による推薦文が掲げられている。その文章は、「発表後数年を経てなお色あせぬのみか、将来、一層みのりの多い成果が、この視野からもたらされると期待される。」とむすばれているが、この本が刊...

このように世界史モデルを提示できる日本人がいるとは思っていなかった。 この本には初刷以来、小松左京氏による推薦文が掲げられている。その文章は、「発表後数年を経てなお色あせぬのみか、将来、一層みのりの多い成果が、この視野からもたらされると期待される。」とむすばれているが、この本が刊行されたのはなんと1967年であり、数年どころか50年以上を経て今もなおまったく色あせていない。

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2022/03/23
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

西洋東洋の二項対立の世界に対して新しい世界観を提示した。ハンチントンやマクニールの世界観と共通項を見出した。日本が第一地域に入っているのは当時の状況を反映しているはずなのでアジア経済の発展が著しい今日とは状況が違うことは踏まえておく必要があると思う。 東と西のあいだ 南アジア旅行記。同じアジアでもここまで違うのかという筆者の感嘆が見える。そこから中洋という概念が筆者に浮かぶ。インドは聖>俗(宗教的充電)・自己礼賛・握手・人種からして東洋ではないのだと。日本の近代化を真似ようとしても社会構造が違うから無理だと梅棹は言ったが、経済発展の進んだ現在のインドを見てどう言うだろうか。 文明の生態史観 トインビーのオリエンタリズムに反発して、平行進化説が提示された。封建制を通じてブルジョワによる高度資本主義が形成された西洋・日本が第一地域で乾燥地域(遊牧民族)に跨り専制帝国が繁栄した第二地域(中印露アラブ)に世界を分けるのだ。封建制・資本主義に対応して専制・植民地・社会主義が存在する形。中緯度帯にあったことや遊牧民族の強襲を避けられたことを踏まえると、マクニールやダイアモンドの議論に繋がるようにも思える。中洋から発想が飛ぶことに天才性を感じる。 新文明世界地図 各地域の文化の様子を示す。第一では聖俗分離や教育の普及が、第二では官僚制や超家族が進んだ。両地域とも貴族制は残っているらしい。 生態史観からみた日本 生態史観への反応が日本一国の地位に関するべき論ばかりで想定と違ったことから、梅棹は第一地域で教育の普及が進んだので、為政者意識は持っているのに統治から疎外される知識人層(産業社会に置いて行かれた)が形成されているのではないかと考えた。論壇が挫折した政治家として不満をため込んでいるように見えるのも納得である。今の左右政治論壇に突き刺さる言葉で痛快であった。 東南アジアの旅から 旅を通じて梅棹は東南アジアは民族的文化的にも多様な地域であることを知る。また第一地域からの侵略で日本のように落ち着いて発展できなかった地域であると述べる。東欧と相似形。同じアジアという考えは観念的だとさえ言いきっている。 アラブ民族の命運 アラブ世界が再構成されて共産世界からの防波堤になるとの意見。まあ普通。 東南アジアのインド 東南アジアの建築にインド風が多く含まれている。 中洋の国々 西洋と東洋の間に存在する中洋でさえも包括的で、実はアラブ・ペルシャ・インドと文化的人種的違いがあると述べる。如何に西洋的合理主義で普遍を求めることが乱暴かを示していると思う。 タイからネパールまで タイの国学不在を嘆き、美術の停滞を嘆き、宗教の日本との異質さを説く。 比較宗教論への方法論的覚書 宗教を人類の生活現象として生態学的(起源や流布)に分析する。梅棹は宗教(精神的疫病)と疫病に類似を見出す。また土地と宗教に関連して段階対応仮説を提唱する。 東→バラモン・仏教・ヒンドゥ 西→ユダヤ・キリスト・イスラム 仏教とキリスト教は発祥地で消え去ったが周辺(第一地域)で発展した。 刺激的な話題が多くゆっくりと読み進めた。世界観としては地政学・マクニールの流れを汲んでいる?日本論は自分の胸中を代弁してくれたようで嬉しい 2021/10

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2022/02/11

いつか読みたいと思っていた書。シャレド ダイヤモンドの「銃・病原菌・鉄」よりも30年も早くこの様な視点を示したことは驚きに値すると思います。世界を見る時の重要な視点をこの本から学ぶことが出来ました。大変面白く読みました。

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2022/01/23

文明圏ごとの歴史的発展を地理的要因の上に議論する書。 インド亜大陸周辺を中洋として補助線を引き、東洋と西洋の二元論から抜け出す。 着眼点は面白いが、特に後半の宗教に関する考察は、仮説の上の仮説が多く議論が杜撰だと思う。 解説にある、当時の日本における受け取られ方についての説明が興...

文明圏ごとの歴史的発展を地理的要因の上に議論する書。 インド亜大陸周辺を中洋として補助線を引き、東洋と西洋の二元論から抜け出す。 着眼点は面白いが、特に後半の宗教に関する考察は、仮説の上の仮説が多く議論が杜撰だと思う。 解説にある、当時の日本における受け取られ方についての説明が興味深い。

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2021/09/02

青木保著「日本文化論の変容」を読んだ際に、いつか読みたいと思っていた日本文化論の代表的な一冊。 文化は文明の進歩に比例して栄えるのだと、1957年に編まれた本作は教えてくれる。

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2021/09/29

学校で世界史を地域別に勉強していた時、同時期に他の地域で何が起こっているか、世界全体を俯瞰した歴史の流れが分かりにくくもやもやしていた。 あーーこういう話が聞きたかったなあと思えた。 こんな風に世界史を見る人がいるのかと新しい発見だった。 視野が広く、いろんな視点をもっていて、梅...

学校で世界史を地域別に勉強していた時、同時期に他の地域で何が起こっているか、世界全体を俯瞰した歴史の流れが分かりにくくもやもやしていた。 あーーこういう話が聞きたかったなあと思えた。 こんな風に世界史を見る人がいるのかと新しい発見だった。 視野が広く、いろんな視点をもっていて、梅棹先生はとても素敵な人だなあと思った。他の本もぜひ読みたい

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2021/04/14
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

海外から見た日本と日本から見た海外を俯瞰的に記している。 日本と西洋諸国の文明をそのまま輸入してきて、近代化を果たしたと言われているが、日本なりにその中身を適応させてきた。ゆえに、まねをして、それを自分のものとするのが非常にうまかった。今の日本でも得意としていることだ。 世界を西洋と東洋で分けるのではなく、これらに加えて中洋というものを加えている。中洋はオリエントやインドといった東西の中心部であるが、どちらにも肌の色や言語的にも属さない地域である。 著者は、世界の地域を比較して、そこから得られる体系的なものや、抽象的な概念を見出そうとしている。 宗教の発達を感染症の伝播のように考えていたのは印象的だった。 斬新な切り口!

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2021/01/10

大晦日に、蟲文庫という所で1974年初版のこの古い文庫本を見つけた。懐かしくて持ち帰った。 高校生の時、本書を読んで、世界を、地理と歴史との丸ごとで俯瞰的に見渡す「手がかり」を得た気になった。大学で歴史を学びたいと思っていた私に、本書はこの方向でやってみたらどうか?と思わせる魅...

大晦日に、蟲文庫という所で1974年初版のこの古い文庫本を見つけた。懐かしくて持ち帰った。 高校生の時、本書を読んで、世界を、地理と歴史との丸ごとで俯瞰的に見渡す「手がかり」を得た気になった。大学で歴史を学びたいと思っていた私に、本書はこの方向でやってみたらどうか?と思わせる魅力的な書だった。何故歴史を学ぶのか。過去に学ばない者は未来を語れない。日本の過去と未来を知ってこれからの日本に役立ちたかった。そこだけは、昔も今も変わりがない。ところが、大学は教養学部の成績で専攻科が決まる。私の成績では1番人気の国史は到底手が届かない。結果、新設の研究室に入らざるを得なかった。 その研究室の教授の概論で、たまたま「文明の生態史観」が俎上にあげられた。なんと生態史観発表直後にその根本的な欠陥を批判した人々がいたらしい。その論旨の明確さに、私は初めて生態史観に疑問を持ったのである。そしていま、文庫を読み返してびっくりしたのだが、本人は74年段階で批判を受け入れているのである。全ての論文の前に本人の「解説」が載っていて、1955年に発表した時に57年に既に加藤周一から批判が出ていることを本人が書いているのだ。その後、竹内好、上山春平からも出ている、と書いている。梅棹忠夫は、「今となっては、わたしの思想の出発点というにすぎず、現在の考えをそのまましめすものというわけではない」と堂々と自論を修正したことを認めているのである(!!)。しかし、当然批判論文の内容までは述べていないし、本格的総合的な修正した各論も書いていない。高校生の私は文庫の「わかりやすい」世界史モデルをそのまま信奉して大学生になったといわけだ。今読めば、梅棹さんは言い訳を書いているのに過ぎない。 世界を第一地域、第二地域に分けて、後続の日本と西ヨーロッパ諸国が距離があるのにも関わらず同様の「発展」をしたのを、生態学的な視点で説明できるとする論理は、あまりにも乱暴なラフスケッチだった。そのせいか、米国・西欧のように発展する日本は当然であり、中国・アジアを下に見る風潮も(本人の意図ではないが)生まれた。 本書で指摘された歴史的事実は、そんなふうに思える事実はたくさんある。だから、生態史観は74年の後も版を重ねて今に及ぶ。解説子は「東西の座標軸しかなかった世界史の見方に革新的な視点を与えた」と絶賛するが、それが持つ悪影響は当然語らない。社会・歴史を自然科学的方法で説明することは慎重でなければならない。今でも教科書的な世界史ではなく社会学史を取り入れた『銃・病原菌・鉄』の先鞭を取ったと評価する者もいる。2つの書は肌の色が似通った全くの別人なのであるが、そんなふうな単純化で、直ぐにわかったような気になる人々が後を絶たない。現在我々は、気象予報ならばかなりの確率で明日を予測することができる。けれども、我々は複雑な要素が絡み合う社会予報は未だ出来ないのである。コロナ禍の明日の感染者数さえ、誰も予測できない。 日本人は日本文化論が好きだ。文明の生態史観は、不幸にも上のように読まれて消費されてゆき、今では殆ど忘れられている。その前後に現れた加藤周一「雑種文化論」では、加藤周一はその名称は一切使わず各論になる「日本文学史序説」を経て「日本文化における時間と空間」に結節させた。また、その後現れた丸山真男の「古層論」も、発表後40年以上経っても、未だ通用している。私はモデルは必要だと思う。モデル化を経ないと、なかなか歴史から未来を見渡せないからだ。日本文化モデルは、長い間の批判に耐えうるものだけを、読むべきだと今は思う。 本書に出会って、43年。 奇しくも私を日本文化論への長い旅に誘う悪魔の役割を果たした本書に再会し、懐かしい女性に出逢ったような想いをした。

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2020/10/04

今日の日本・西ヨーロッパがなぜ文明的に発展でき、そこに挟まれている諸国が反対になぜ発展できなかったのかが筆者の主張である。その他はそれを考えるに至った旅行記や個人的な所感が述べられている。現代から見るとごく一般的な考え方だなという印象ではあるが、それを70年代に見つけ出したという...

今日の日本・西ヨーロッパがなぜ文明的に発展でき、そこに挟まれている諸国が反対になぜ発展できなかったのかが筆者の主張である。その他はそれを考えるに至った旅行記や個人的な所感が述べられている。現代から見るとごく一般的な考え方だなという印象ではあるが、それを70年代に見つけ出したというのは当時の日本にとっては新鮮だったかもしれない。今ほど海外旅行のハードルが低くなく、検討材料が揃えにくかった時代、その時代に世界を見渡し、頭でっかちにならずに世界に目を向けた文明論を展開したのは評価に値する。

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2019/04/06

2011年にみんぱくのウメサオタダオ展に行った時に購入したものを、このたびついに積ん読解消しました。 総合雑誌や新聞連載をまとめたものなので、想像していたよりもずいぶん読みやすかったです。著者自身による解説が各論考の前に付されているのも理解を助けてくれました。 インド・パキスタ...

2011年にみんぱくのウメサオタダオ展に行った時に購入したものを、このたびついに積ん読解消しました。 総合雑誌や新聞連載をまとめたものなので、想像していたよりもずいぶん読みやすかったです。著者自身による解説が各論考の前に付されているのも理解を助けてくれました。 インド・パキスタン・アフガニスタンや、東南アジアなど、いろいろな地を自身の足で歩き、歩くたびに新たな発見があり、それをもとに著者が考えを修正・発展させていく。最初から順々に読んでいくことによって、その様子を見て取れるのも面白いです。 また、最後の谷泰氏の解説が当時の時代背景の話もあって大変わかりやすく、これを最初に読んでから全体を読むのも良さそうだなと思われました。 1955年ごろの論考が多く、今から見ると「そういう考え方は違うのではないか」と思ってしまう点もありますが、第二次世界大戦終わってまもない時代であること、海外の現地調査に行くことが今よりはるかに困難であったことを考えると、文化相対主義的ですごい論考群だったろうなぁと思いました。 個人的には大学で西洋史をかじり、歴史学や人類学などがどんどん細分化されているのをちらと目の当たりにしました。大風呂敷を広げようとすると細かいところに齟齬が出てきてしまうというのはその通りだと思いますが、梅棹さんのような広い視野で歴史や社会の成り立ちを語る視座もどんどん出てきてほしいなぁと思います(ただし、ありがちなナショナリスティックなものではなく、もっと俯瞰的なもの) 2020年が目前に迫り、梅棹さんのいうところの第一地域のあり方や価値観が絶対的ではなくなってきた今、梅棹さんが生きていらしたらどんなふうに思われるのか聞いてみたかったなあとも思いました。

Posted byブクログ