村上春樹、河合隼雄に会いにいく の商品レビュー
知的だけどよくその気持ちがわかる。気の合う二人の対談。ウンウンいいながら線引きまくった。河合先生はやはり聞き上手で、文章にしてもかなりいい形のものだと思う。時代に対する感性とか、若者への理解のある二人だなと思った。『ねじまき鳥クロニクル』をまた読み返したくなった。
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個人の認識と表現、物語のはたらき、のふたつの話題に興味あり。 さらに社会の変化と関連づけて展開される対話。非常におもしろかった。 もっと学んで自分でものごとを考えられるようになってからまた読めたらいいな。 井戸を掘ってみたいものです。
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読みやすいが、難解… 「死を知っているのは人間だけ」確かにそうだ。 「ねじまき〜」を再読したくなった。
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村上春樹と河合隼雄の『ねじまき島クロニクル』の事についての対談。 3部まで読んだけれどほとんど理解出来なかった作品。 「井戸を掘る=精神世界に入る」っていうメタファー(隠喩)なのか。村上作品では色んな所で井戸出てくるもんな。全然関係ないけど、ドラクエ6のゲームでは現実と夢の世界...
村上春樹と河合隼雄の『ねじまき島クロニクル』の事についての対談。 3部まで読んだけれどほとんど理解出来なかった作品。 「井戸を掘る=精神世界に入る」っていうメタファー(隠喩)なのか。村上作品では色んな所で井戸出てくるもんな。全然関係ないけど、ドラクエ6のゲームでは現実と夢の世界が井戸で繋がっていたなぁ。あれは村上春樹を意識していたのか( ゚д゚)⁈ 愛情と暴力は表現の仕方が違うだけで紙一重かもしれない。根本的には対象に依存している状態だし。同じといっては語弊があるけど、重なる部分もある、ということで。
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結局のところ、自分の欠落を埋めることができるのは自分自身でしかないわけです。他人がやってくれるものではない。そして欠落を埋めるには、その欠落の場所と大きさを、自分できっちりと認識するしかない。 自分のしていることがだれに害を加えているかということは、つねに考えるべきだと思うのです...
結局のところ、自分の欠落を埋めることができるのは自分自身でしかないわけです。他人がやってくれるものではない。そして欠落を埋めるには、その欠落の場所と大きさを、自分できっちりと認識するしかない。 自分のしていることがだれに害を加えているかということは、つねに考えるべきだと思うのですよ。
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再読。この間、京大で村上さんが講演したのは、確か河合さん絡みだった。亡くなった桂枝雀さんの好好爺ぷりが河合のそれと似ていて好感を持っていた。内容は難解なところ多しもお二人の楽しさが伝わってくる。何度か読み返し語っている内容を深く理解したい気持ちが生じた。
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村上春樹の対談集は色々読んでるけど、ここまで緊張している様子が伝わってくる対談は初めて。いつもの軽妙なやりとりはなく、ひたすら大家の意見を傾聴するという第一夜は、ぎこちなさが目立ったけど、第二夜はようやく緊張がとけた感じ。できれは続きを読んでみたかった。精神分析の分野は自分がのめ...
村上春樹の対談集は色々読んでるけど、ここまで緊張している様子が伝わってくる対談は初めて。いつもの軽妙なやりとりはなく、ひたすら大家の意見を傾聴するという第一夜は、ぎこちなさが目立ったけど、第二夜はようやく緊張がとけた感じ。できれは続きを読んでみたかった。精神分析の分野は自分がのめり込んだ時期があったので、読んでいて新しい発見がなかったから、こんな印象だったのかもしれない。いずれにしても、相変わらず村上春樹は真面目で、真剣で、深い。
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未読の方に紹介するにあたり再読。無意識・病理・物語と癒し・デタッチメントとコミットメント・身体性と暴力性etc.
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この本は読みやすく ムラカミハルキの創作の基本的なスタンスがわかって 興味深かった。ムラカミハルキが素直に話しているのに好感が持てた。いくつかのテーマを中心にして話されている。 ムラカミハルキは 68年から69年は コミットメント(関わり)の時代だった。 学生運動の収束によ...
この本は読みやすく ムラカミハルキの創作の基本的なスタンスがわかって 興味深かった。ムラカミハルキが素直に話しているのに好感が持てた。いくつかのテーマを中心にして話されている。 ムラカミハルキは 68年から69年は コミットメント(関わり)の時代だった。 学生運動の収束によって デタッチメント(関わりのなさ)にむかった。 阪神大震災、オウム事件によって コミットメントせざるを得なくなったという。 69年という時代は コミットメントせざるを得ない時代であり 私は、そのままコミットメントしようと青春をおくった。 仕事を持つようになって 仕事にまい進していく自分がいた。 その中でコミットメントはうすれていった。 沖縄にいたときに名護に基地が出来るということには コミットメントせざるを得なかった。 自分という存在が脅かされると感じるときにコミットメントするのだろう。 阪神大震災のときに 日本ではボランティアのヒトが多く生まれた。 それは、どんな質を作り出したのだろう? 中国の大震災のときにもボランティアがうまれたが、それよりも たくさんの人が募金に応じた。ずいぶん中国のイメージが変わった。 河合隼雄氏は言う 日本人は PTSDがおこりにくい。 『日本人の場合は衝撃を個人で受け止めなくて、 全体で受け止めるのですよ。・・・ つまり それをがっちり一人で受け止めて悩む力がない と言う方も出来ます』 おもしろいなぁ。個人というものの確立が遅れているのだろうか? 河合隼雄は言う 『アメリカだったら・・・ 徹底的に言葉を使って原因を究明して解決していこうとする。 われわれ日本人はそのときにそんなこと聞かない』 日本の場合は理屈で対応するのでなく なんとなく対応する。 つまり 禅問答的な答えなんですね。 人生相談も、 アメリカのように 理屈で回答するのか? 日本のように 情緒で回答するのか? 情緒で答える日本語のシステム。 「大変ですねぇ。あせらずにやりましょうよ」 相談者の中にある回答を導き出してやる。 救いとは 宗教的なものと 心理学的治療との 度量のさとなる。 ムラカミハルキは 『日本語で物を書くというのは、 結局、思考システムとしては日本語なんです。 日本語自体は日本で生み出されたものだから、 日本というものと分離不可能なんですね』 という。日本語思考の中では日本から抜けられない。 自分のスタイル・・・の確立。 反抗 というのは 敵対するものではなく 補完するものだ。 コミットメントとデタッチメント その間を揺れ動いていく。
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『1Q84』でタマルがユングの話をしたもんだから、 急に思い出して本棚から引っ張り出しました。 対談が行われたのは阪神大震災や、オウムの事件のあった後ですね。 オウムの話は、『1Q84』にもつながったわけですが。 対談の前半は、コミットメントとデタッチメントの話。 この問題は...
『1Q84』でタマルがユングの話をしたもんだから、 急に思い出して本棚から引っ張り出しました。 対談が行われたのは阪神大震災や、オウムの事件のあった後ですね。 オウムの話は、『1Q84』にもつながったわけですが。 対談の前半は、コミットメントとデタッチメントの話。 この問題は、その後もこの日本でくすぶり続け、 東日本大震災後に「絆」という形で一気にコミットメントについて語られるようになりました。 そういう意味で、今の時代にも共通する内容です。 対談では『ねじまき鳥クロニクル』について多く語られています。 結果、これも読み直したくなったわけですが…時間が無いな(汗)。 「井戸掘り」「壁抜け」等、興味深いトピックがいっぱいです。 僕自身、そろそろ「井戸掘り」をする時期に来ている気がします。
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