村上春樹、河合隼雄に会いにいく の商品レビュー
そもそも村上さんの小説、ねじまき鳥クロニクルを読もうと言うきっかけになった本。河合隼雄さんのファンでした。。
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20140827 後日再読して詳しく感想を書きたい。 お二人とも大好きな作家、先生なのでとても興味深い対談だった。
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芸術家の人は、時代の病とか文化の病を引き受ける力を持っているということでしょう。 ですから、それは個人的に病みつつも、個人的な病をちょっと超えるということでしょう。個人的な病を超えた、時代の病とか文化の病というものを引き受けていることで、その人の表現が普遍性をもってくるのです。
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2014.7.14 村上さんめあてで借りたら、はじめて知る河合さんもとてもよかった。抽象的な病とかかわる仕事をされていて、事物の捉え方がおもしろい。 村上さんは自分の作品の内容やら、向き合い方やら、よく語っていた。河合さんの力か。
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“作者のいっているのがいちばん正しいと、思う人がいるということですね。そんなばかなことはないのですよ。” 文章においては、作者の意思ではなく、読書の意見の方が大事だと言う部分に、作家村上春樹の作品向き合いを垣間見る。 それを引き出した、河合氏も深い。
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2015年2冊目。(再読) 身体的パワーはきちんと入った物語には、書き手にも読み手にも癒しをもたらすことがある。 そこに描かれていることが暴力性であっても、暴力として表出する以外の方法でそれを解消する場になる。 歴史をもっと学んで縦の視点をもっと得てからまた読みたい。 ====...
2015年2冊目。(再読) 身体的パワーはきちんと入った物語には、書き手にも読み手にも癒しをもたらすことがある。 そこに描かれていることが暴力性であっても、暴力として表出する以外の方法でそれを解消する場になる。 歴史をもっと学んで縦の視点をもっと得てからまた読みたい。 ===================== 2014年38冊目。(初読:2014年5月17日) 小説家・村上春樹と心理療法家・河合隼雄の対談集。 井戸を掘った先にある無意識に触れることで生まれる(この表現が正確かはまだ自信がない)癒しという点で特に、 二人は確実に共有しているものがあり、 それは今の自分にとっても最も共有したいことだった。 時事的・歴史的なことは自分の知識・思考が足らず読み直しが必要だが、 「物語」の重要性という主題においてはとても大事なものを得られた。
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癒しで検索するとこの本が上の方に出てきます。 村上「河合さんと向かい合っていろんな話をしていると、頭の中のむずむずがほぐれていくような不思議な優しい感覚があった。「癒し」というと大げさかもしれないけれど、息がすっと抜けた。」 ★単なる治癒ではない、「癒し」がここに見られる。 ...
癒しで検索するとこの本が上の方に出てきます。 村上「河合さんと向かい合っていろんな話をしていると、頭の中のむずむずがほぐれていくような不思議な優しい感覚があった。「癒し」というと大げさかもしれないけれど、息がすっと抜けた。」 ★単なる治癒ではない、「癒し」がここに見られる。 村上:ノンフィクションを書くために「人の話をいっぱい聞くことによって自分がある意味で癒されたいという感覚もあるのです」・・・★これもそう 河合:源氏物語を書いたのは「紫式部だって、やっぱり自分を癒すためでしょう」 河合:「そういう人(患者)にお会いすることによって、僕の病も癒されているということがたいへんおおいと思います」 ★河合隼雄はほとんど治癒の意味で「癒し」を使っている。 村上「小説を書くことによって自分が癒されるということはあるわけですが、それはもちろん同時に読者を癒すものでなくてはならない」 村上「読者のある部分を、多かれ少なかれ治癒するということ」が「うまくいけば、その作用がもう一度作者にフィードバックしてくるという感覚があります。それによってまた自分が励まされ癒されるという感覚があります。おおくの作家はそれを『手応え』と呼んでいます」 ★と言いながら、最後には以下のようにも言っている。 村上「僕が自分の小説に求めているのは、誰かを癒すことでもなく、誰かに癒されることでもない」・・・? 村上:小説を書くことは「『癒し』を目的とする作業ではない。癒しとはつまり心を鎮めることであり、僕が小説を通してやりたいと思っていいるのは、人々の心を公正に喚起することなのだ」 ・・・・??? ★一体全体どっちなんだと言いたくなる。小説は作者も読者も癒すが、それだけではない、もっと遠くの目的があるのだということかな。 ―――――――――――― 中井久夫(精神科医)「創造と癒し序説」『アリアドネからの糸』所収 作家にとって「創造が癒しであるとして、その治癒像がどうなるかという問題である」 「文体獲得によって初めて創作行為は癒しとなり得ると考える」 「創作活動が結果的に破壊あるいは癒しをもたらす」 ★定義は見あたらないが、・・・面白そうな人だ。
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心理學的、抽象的な話であった。物理的には、時間短縮、利便性向上の進化が行われているが、精神的には稚拙化しているのかもしれない。自分もサイムラの世なら、初老、隠居を意識する歳になっているが、現実問題としては、まだ何もかも半人前。高齢化も影響してるのか・・・
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実に面白い。 感情のある人間として、自分とは何かを考える視点がある。 とかく、自分とは?ということを仕事という領域で考えてしまいがちであるが、 人間としての約束事や、人間であることとはどういうことなのか?個性とは何か? 言葉そのもののポジティブな側面やネガティブな側面を超えて...
実に面白い。 感情のある人間として、自分とは何かを考える視点がある。 とかく、自分とは?ということを仕事という領域で考えてしまいがちであるが、 人間としての約束事や、人間であることとはどういうことなのか?個性とは何か? 言葉そのもののポジティブな側面やネガティブな側面を超えて、 その両方、光と影があることの大事さや、矛盾と葛藤の美しさを感じる。 そして、自分そのものを受け止めることができそうになる。 それが癒しというモノなのかもしれないが、自分を大切に考える時間になる。 表現とは何か?・・・人が言葉を持つことの意味を新たな視点で考えることになる。 その他・・・ 病みと迫力。 芸術~創造性と病み。 創造的である環境。 偶然を待つ力。 治るばかりが能ではないこと。生きることが大事。 人殺しという生き方。 自分の生き方を見つけること。 宗教と治療。 人間は死ぬという病み。 暴力性。 などなど、、、引っかかる言葉を挙げてみる。 刺激的である。
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他の人が書いているように、『ねじまき鳥クロニクル』を読み返したくなった。全体通して読みやすい。読み進めるのは楽だけど、あれ?どういう意味だろう?と思うところも多い。コミットメント、デタッチメントみたいなカタカナ言葉が鼻につく。日本語だと表現しにくい? 『ねじまき鳥クロニクル』を...
他の人が書いているように、『ねじまき鳥クロニクル』を読み返したくなった。全体通して読みやすい。読み進めるのは楽だけど、あれ?どういう意味だろう?と思うところも多い。コミットメント、デタッチメントみたいなカタカナ言葉が鼻につく。日本語だと表現しにくい? 『ねじまき鳥クロニクル』を読んでからもう一度読みたい。
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