ポプラの秋 の商品レビュー
さらりと読んだ。 疲れ休め(ややこしい読書の後)にはもってこいの作者の資質。こういう癒し系の効用というところ。 ロバート・A・ハイラインの『夏の扉』しかり、スザンナ・タマーロ『心のおもむくままに』もそう。 ポプラの木を見に行きたくなった。
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夏の庭以来二作目。 どちらもお年寄りと子供の交流を 優しく書いた作品で どちらがいいかと聞かれるとなかなか甲乙つけ難い。 夏の庭はやってることが結構インパクトがあるので 印象に残りやすいかな。 こちらは細々したことはあるものの 長い人生を見続けた、という感じなので 穏やかな感...
夏の庭以来二作目。 どちらもお年寄りと子供の交流を 優しく書いた作品で どちらがいいかと聞かれるとなかなか甲乙つけ難い。 夏の庭はやってることが結構インパクトがあるので 印象に残りやすいかな。 こちらは細々したことはあるものの 長い人生を見続けた、という感じなので 穏やかな感じがする。
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短編小説ではないが、短い小説だった。 私は、ネタバレなど、絶対言いたくない類の人間だ。 少なくともそれくらいの、デリカシーはあるつもりだ。 だから、ネタバレは言わない。 ただ、黙って最後まで読めばわかる、と言いたい。 父親を亡くした少女と、大家のおばあさんの関係が、 交通事故で、...
短編小説ではないが、短い小説だった。 私は、ネタバレなど、絶対言いたくない類の人間だ。 少なくともそれくらいの、デリカシーはあるつもりだ。 だから、ネタバレは言わない。 ただ、黙って最後まで読めばわかる、と言いたい。 父親を亡くした少女と、大家のおばあさんの関係が、 交通事故で、9歳の時に父を失くした私と、私の祖母を思い出させた。 祖母は、とても優しくて、大家のおばあさんのような、性格ではなかったが、 年寄りというのは、優しくて、包容力があり、子供を和ませるものだ。 私は、一癖あろうとも、自分が年を取った時に、子供に親しまれる老人でありたい。 読み終えた後も、ポパイのようなおばあさんの顔が、クシャっとなるのが 頭の中に映像を結ぶような気がした。
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十代の頃は、「私」とおばあさんの関係ばかりが気になった。 今は母親の置かれた状況と決心に震える。 何十年後には、おばあさんのように生きるにはどうしたらいいかと考えるかもしれない。 こういうのが、世代を超えて読むことのできる本というのじゃないか。私の人生を支える存在と呼べるのじゃな...
十代の頃は、「私」とおばあさんの関係ばかりが気になった。 今は母親の置かれた状況と決心に震える。 何十年後には、おばあさんのように生きるにはどうしたらいいかと考えるかもしれない。 こういうのが、世代を超えて読むことのできる本というのじゃないか。私の人生を支える存在と呼べるのじゃないか。
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父が急死した夏、母は幼い私を連れて知らない町をあてもなく歩いた。やがて大きなポプラの木のあるアパートを見つけ、引っ越すことにした。こわそうな大家のおばあさんと少しずつ親しくなると、おばあさんは私に不思議な秘密を話してくれた―。大人になった私の胸に、約束を守ってくれたおばあさんや隣...
父が急死した夏、母は幼い私を連れて知らない町をあてもなく歩いた。やがて大きなポプラの木のあるアパートを見つけ、引っ越すことにした。こわそうな大家のおばあさんと少しずつ親しくなると、おばあさんは私に不思議な秘密を話してくれた―。大人になった私の胸に、約束を守ってくれたおばあさんや隣人たちとの歳月が鮮やかに蘇る。『夏の庭』の著者による、あたたかな再生の物語。
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じんわり心が温まる、時間の流れが穏やかな小説だった。 悲しいことや寂しいことはあるけれど、急いで消化しなくていいんだよ、ゆっくりでいいんだよと言ってくれているような気がした。
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全体的に悲しいことの多いお話でしたが、おばあさんを中心としたポプラ荘の人たちの暖かさにほっとしました。 大事な人は生きているうちに大事しなきゃな〜
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幼い頃に母と暮らしていた『ポプラ荘』の大家のおばあさんの訃報。 そこで暮らした3年間を思いながら、千秋は居ても立ってもいられない思いで、ポプラ荘に向かう。 その頃、まだ7歳にもなっていなかった私=千秋は、交通事故で突然いなくなってしまった父の死を理解できず、得体の知れない不安や恐怖を抱えていた。 病気になった時、はじめ不気味でおそろしかった大家のおばあさんから、不思議な話を聞かされる。 おばあさんは、自分が天国へ行く時に持っていけるように、先に天国に行っている人たちへの手紙を預かっているというのだ。 それ以来、千秋はおとうさんに宛てた手紙を書いてはおばあさんに預けるようになり… 幼い頃の千秋の、脈絡のない心の震えは、忘れてしまっていたような、どこか記憶にあるような。 読み終えて、何かを思い出したような心地になった。これからきっと起こるに違いないおそろしい事に出くわさずにすむにはどうしたらいいのかと、ぐるぐる考えていたんだった。 今でも、その傾向は変わらないけれど。 『夏の庭』でも本作でも、それまで身近に感じたことのなかった血縁のない年長者との交流で、子供たちは心のなかに健やかな芯のようなものを得て、前を向いて生きる力を持つようになった。 人はみな、生まれた瞬間から死に向かって歩き始める、とよく言われる。 老いも死も知らないで生きるということは、自分もやがて通る道を知らないということ。 死への恐れは、逃れられない変化への恐れでもあるのかな… 『長生きすることのリスク』を無視することはできないけれど、生きることを楽しんでいる大人〜高齢者でいることで、年若い誰かに、“歳を取るのは悪いことばかりではない”と教えられるような歳の取り方をしたいものです。
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秋を感じたくて再読。 こんな話だっけ…?と思ったけど子供千秋の心の声に所々笑って、大人千秋の心の声にちょっと切なくなった。
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再読。 よかった。 生と死。子どもと老人。 亡くなった人へ届けられる手紙。 生きている人の再生。 千秋がポプラ荘の大家のおばあちゃんによって、生きる力を得て行く。そしておばあちゃんの死によって、再びそのことに気づく。
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