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マックス・ヴェーバー入門 の商品レビュー

3.9

33件のお客様レビュー

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従来ヴェーバー解釈と…

従来ヴェーバー解釈とは異なり,ニーチェとの近縁性に着目する新しいヴェーバー論.入門書のかたちをとっているが,中身は本格的で難しい.ある程度従来の議論に詳しい人向けの本なのかも.自分にはわかりにくい部分も結構あった.

文庫OFF

2024/08/07

マックス・ヴェーバー入門 著:山之内 靖 紙版 岩波新書 新赤版503 本書は、「マックス・ヴェーバー」の入門書であるかもしれないが、社会学の入門書ではない 19世紀のドイツでは、マルクスとニーチェという知の怪人が足跡を残していました。 マックス・ヴェーバーは、近代と現代のは...

マックス・ヴェーバー入門 著:山之内 靖 紙版 岩波新書 新赤版503 本書は、「マックス・ヴェーバー」の入門書であるかもしれないが、社会学の入門書ではない 19世紀のドイツでは、マルクスとニーチェという知の怪人が足跡を残していました。 マックス・ヴェーバーは、近代と現代のはざまに立つ、知の巨人である あまりにも、時代に先行する彼がみたものは、「近代知の限界点」であった アダム・スミスや、マルクスが経済を人間の心をもたない外的なモノとして捉えたが、マックス・ヴェーバーは、それに加えて、内的な倫理的・道徳的な動機付けを加えた ニーチェの思想を引き継いだ、マックス・ヴェーバーは、経済の拡大を発展とは捉えていない。 ギリシアを頂点として、世界の文明は、荒廃の一途をたどっている。それを意味するのは、「神の死」だ 私がとらえたラインは、3つ ①アダム・スミス⇒マルクスという経済学に対する、内的動機を加味した社会学 ②ニーチェが語る、神の死と、逆行する人間の精神史 ③西洋文化が持つ合理性の外の文化への浸透 です。他にもたくさんあるのでしょうが、幹はこれだと思っています。 気になるのは、以下です ■ヴェーバの思想 ・アダム・スミスや、マルクスとは異なって、市場メカニズムという外的な枠組みが強制する客観的な力にだけ注目するのでなく、宗教的救済を約束する「合理化された、世界像」と、それが持つ観念の力に注目したわけである。 ・神の死とそれによるニヒリズムの蔓延は、ニーチェにとって、必ずしも失望すべき状態ではない 近代精神のこの危機こそは、人類がギリシア古代に生きた人々の精神を取り戻し、一切の確実なものの喪失ー神と真理の喪失ーの中で再生を果たするための絶好のチャンスであるとニーチェは考えました ・ヴェーバは、神の死という事態を、異常なこととしてでなく、日常的な事、として理解する必要を語っている ■「プロタンティズムの倫理と資本主義の精神」 ・「プロタンティズムの倫理と資本主義の精神」という作品は、あたかもシンフォニーのような複雑な構成をもっています ・我々が精神的に所属している世界は、マルクスとニーチェの刻印を大幅に受けた世界なのだ ・ベンジャミン・フランクリンの助言を読んでいくと、そこには、一切の幸福主義や快楽主義には、目もくれずに生涯を職業的な労働に捧げるのだ、という観点が、徹底して終始一貫、あたかも、それが自己目的であるかのように貫かれています  幸福や快楽こそが人生の目的だとすれば、それを追求するという意味での合理性とは著しくかけ離れた性格をフランクリンのパンフレットは、もっているのです  その意味で、著しく非合理的な性格を帯びていると言わざるをえません ・宗教改革における文化革命と、それによる伝統主義的で帰属主義的なきずなからの人間の解放こそが、ヴェーバーが「鉄の檻」とよんだ、近代の官僚制的秩序をもたらしたところの「倫理的基礎」なのです ・ヨーロッパで生まれた、合理化は、普遍性を有しているので、その合理化にであった他の諸文化も、それに巻き込まれて、この機能的合理化の道を歩まざるを得なくなる、そして、もはや、引き返す道はなくなるのです フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(1844年10月15日 - 1900年8月25日) カール・マルクス(1818年5月5日 - 1883年3月14日) マックス・ヴェーバー(1864年4月21日 - 1920年6月14日) 目次 プロローグ―近代知の限界点に立って 第1章 神なき時代の社会科学 第2章 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』再訪―悲劇の精神 第3章 精神の病―死と再生のドラマ 第4章 古代史再発見―回帰する時間の社会学 終章 受苦者の連帯に向けて 文献案内 あとがき マックス・ヴェーバ略年譜 ISBN:9784004305033 出版社:岩波書店 判型:新書 ページ数:224ページ 定価:880円(本体) 1997年05月 1997年05月20日第1刷 2012年06月25日第23刷

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2024/01/04

杉田俊介著『橋川文三とその浪曼』第三章「柳田國男と日本ナショナリズム」中に、橋川がマリアンネ夫人の『マックス・ヴェーバー』を引きながら、「戦争はその極限的な暴力を通して、日常の社会秩序から切り離された特別な共同性を作り出す」と述べていると指摘している。 杉田は続けてこう述べている...

杉田俊介著『橋川文三とその浪曼』第三章「柳田國男と日本ナショナリズム」中に、橋川がマリアンネ夫人の『マックス・ヴェーバー』を引きながら、「戦争はその極限的な暴力を通して、日常の社会秩序から切り離された特別な共同性を作り出す」と述べていると指摘している。 杉田は続けてこう述べている。 戦争が終わってから戦争責任を問う道徳家や平和主義者どもには品位がない、とウェーバーが軽蔑的に罵倒したことは有名である。 この「有名」なことを知らず、心底驚いた。 杉田が巻末に挙げている参考文献中に、山之内の本書があったので読み始めたのだが、ウェーバーの道徳家や平和主義者に対する嫌悪の根拠の一部を理解できたように思う。 山之内はいう。 本書の中で、私は第二期以降のヴェーバーの多くの作品に流れているこの騎士的・戦士的市民層の精神への共感を発見しようと努めてきたのであり、この見失われた観点の復元に努めてきました。 ……………… しかし、これらいずれの道をとるにせよ、現代の社会科学は、近代の「呪われた運命」というヴェーバー合理化論の「頭を狂わせる」問題から簡単に逃れることはできないでしょう。現代社会は、近代が設定した合理化の方向を今後も進みつづけるでしょうし、また、そうする他に道はないでしょう。しかし、すでに明らかになったように、このヨーロッパ近代に始まる合理化の道は、人類の歴史を価値的にみてさらに高度なレヴェルに引き上げることを保証するものではないのです。 本書が出版された1997年時点での見事な予言であると思う。 本書の眼目は、従来のウェーバー研究者、例えば『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の訳者である大塚久雄や、『古代ユダヤ教』の訳者、内田芳明らの単なる近代化論者としてウェーバーをとらえる理解の一面性を批判して、近代合理主義に対するデモーニッシュな批判者としてのウェーバーを浮かび上がらせること、ニーチェとの親近性やさらにはニーチェをも乗り越える視点をウェーバーから救い出すことにある。 余談だが、山之内自らの研究の先駆者として内田義彦を挙げていることを記しておこう。 山之内には中期マルクスを検討した『マルクス・エンゲルスの世界史像』(未来社、1969年)がある。 本書の最後の方で、「受苦者の連帯」という、現代における宗教的な救済と背中合わせのような「生の態度」について言及している。そして、この問題は「実は、若きマルクスの『経済学・哲学草稿』(一八四四年)に見出されるのであり、フォイエルバッハに由来するテーマです」と、初期マルクスとウェーバーの関連性について述べているのである。 おそらくは、ここらあたりに橋川文三がウェーバーから感得した、いわば<死の共同性>(渡辺京二「戦争と基層民」)という宗教性を帯びた問題が潜んでいるような気がするのである。 いろいろな意味で考えさせられる本であった。

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2018/11/14

『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の記述だけ抜き出して、伝記的な箇所は流し読み。 西欧近代社会に始まる合理主義への根本的な懐疑というヴェーバーの姿勢について書かれたあたりと、「読解のための補助線」としての背景の解説は役に立ちそうだが、もう少し『プロテスタンティズムの...

『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の記述だけ抜き出して、伝記的な箇所は流し読み。 西欧近代社会に始まる合理主義への根本的な懐疑というヴェーバーの姿勢について書かれたあたりと、「読解のための補助線」としての背景の解説は役に立ちそうだが、もう少し『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』に絞った内容であると自分にとってはよかったのかも。 入門とするには少し踏み込んだ内容で自分にはよかったが、実際に本書で入門しようとすると挫折する気も。 https://twitter.com/prigt23/status/1062674080762015745

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2016/04/24

マックスウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」については前から耳にはしていたが、なぜプロテスタントの気質と資本主義が結びつくのかいまいちピンとこなかった。この入門書でそのあたりの事情が少し明確にはなったが、だからといってそういう議論がそれほど意義深いものとは未...

マックスウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」については前から耳にはしていたが、なぜプロテスタントの気質と資本主義が結びつくのかいまいちピンとこなかった。この入門書でそのあたりの事情が少し明確にはなったが、だからといってそういう議論がそれほど意義深いものとは未だに実感できない。ニーチェが古代を通して近代を批判したのと同様に、マックスウェーバーも古代史研究によって近代をもう一度見つめ直した。マックスウェーバーは脳天気に歴史の進化の法則を唱えていたのではなく、社会の官僚制化に普遍性を見いだしこれを危惧した。マックスウェーバーはやはり偉大だった、しかしこれが正統に評価されてこなかったというとがこの著書の主旨のように思えた。

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2015/06/08

うむむ、入門なのに何か難しい・・・? 今回は本書で中心的に触れられている、間違ったウェーバー解釈を解き明かすことではなく、理念型と価値自由の姿勢について知りたかった。まあ、中盤からは適当に読み飛ばしていたわけですが、いずれプロリンを読みたいなと思うので、もっと真剣に読めばよかっ...

うむむ、入門なのに何か難しい・・・? 今回は本書で中心的に触れられている、間違ったウェーバー解釈を解き明かすことではなく、理念型と価値自由の姿勢について知りたかった。まあ、中盤からは適当に読み飛ばしていたわけですが、いずれプロリンを読みたいなと思うので、もっと真剣に読めばよかったと早速後悔。

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2014/09/15

―――――――――――――――――――――――――――――― 「冷たい骸骨の手が温かい生命を掴む」20 ―――――――――――――――――――――――――――――― 営利機械としての人間93 合理化された支配秩序の形成、つまり近代官僚制度の形成にいたる過程を明らかにしてそのフィ...

―――――――――――――――――――――――――――――― 「冷たい骸骨の手が温かい生命を掴む」20 ―――――――――――――――――――――――――――――― 営利機械としての人間93 合理化された支配秩序の形成、つまり近代官僚制度の形成にいたる過程を明らかにしてそのフィナーレを迎えるのです。95 ―――――――――――――――――――――――――――――― ギリシャ民族はこの信託に従うべきか否かをめぐって運命的な岐路に立たされましたが、周知のように、アテネとスパルタを中心とするギリシャの都市連合は、この信託にもかかわらず、ペルシャと戦うことを決断し、奇跡的大勝利を得ました。160 「祭司と騎士」という対抗関係の理念型が、ここに成立します。166 普遍的救済に向かうのではなく、運命的な不確実性に立ち向かおうとする社会層としての騎士的・戦士的市民層の対抗、という図式なのです。167 ――――――――――――――――――――――――――――――

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2014/06/10

前半はウェーバーが実は資本主義の精神を運命的な力として批判していたという内容、後半はウェーバーの実際の人生の変遷と対照しながら前半の論の根拠づけを行っている。ウェーバーは『プロ倫』『客観性』『職業としての~』で有名だが、古代宗教論にも軸を置いているということがよく分かる。

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2013/08/23

マックス・ヴェーバーという人がどんな考え方を持つ人かを考察した本。 「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」が大変有名ですが、なぜ、中国ではなく西洋で資本主義が生まれたのかなど、一見、白人主義者のようにも見えるといいますが、仏教やそのほか、芸術、文化にも精通して、多角的な...

マックス・ヴェーバーという人がどんな考え方を持つ人かを考察した本。 「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」が大変有名ですが、なぜ、中国ではなく西洋で資本主義が生まれたのかなど、一見、白人主義者のようにも見えるといいますが、仏教やそのほか、芸術、文化にも精通して、多角的な角度から考えることができる人だったようです。「宗教」と「経済」は高度に発展した現代社会にあっては、切り離された関係であると「プロテスタントと~」では述べている箇所があったと思いましたが、複雑化する社会にあって宗教はますます根本的な行動理念としてあるようにも思えます。 精神病に苦しんだり、「ニーチェ」に影響を受けたりと新たな一面を知ることができました。

Posted byブクログ

2013/03/17

いや、「入門」にしては全然わからなすぎる 宗教の世界と、資本主義の精神の齟齬の分析みたいな感じでしょうか・・・。 そこらへんを歴史的にうじゃうじゃ考えておるようです。 ニーチェとの親近性もあるみたいです。

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