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マックス・ヴェーバー入門 岩波新書
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マックス・ヴェーバー入門 岩波新書

山之内靖(著者)

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マックス・ヴェーバー入門 岩波新書

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 岩波書店
発売年月日 2003/04/04
JAN 9784004305033

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商品レビュー

3.9

35件のお客様レビュー

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2010/05/28

従来ヴェーバー解釈と…

従来ヴェーバー解釈とは異なり,ニーチェとの近縁性に着目する新しいヴェーバー論.入門書のかたちをとっているが,中身は本格的で難しい.ある程度従来の議論に詳しい人向けの本なのかも.自分にはわかりにくい部分も結構あった.

文庫OFF

2025/01/05

入門とタイトルにあるが、事前にある程度の知識がないと読みこなせない。キリスト教やニーチェの思想についての理解を前提としている。入門と銘打っていいのだろうか。。。正直、私は半分も理解できていないと思うが、苦しみながらなんとか一通り読み通した(目を通しただけと言った方がいいのかもしれ...

入門とタイトルにあるが、事前にある程度の知識がないと読みこなせない。キリスト教やニーチェの思想についての理解を前提としている。入門と銘打っていいのだろうか。。。正直、私は半分も理解できていないと思うが、苦しみながらなんとか一通り読み通した(目を通しただけと言った方がいいのかもしれない)。 ヴェーバーは西欧のキリスト教近代的合理主義を賛美していると捉えられがちだが、晩年はむしろ歴史における不確実性と向き合っていた。主観的な宗教的救済への欲求が、意図せざる形で客観的に社会的・経済的・政治的な秩序の形成に向かう。このズレは避けることができない不確実性であり、運命的なものなのだ。このようなヴェーバー観を筆者は主張している(と思う)。 私にはこれが現在の通説的理解なのかもよく分からないが、1997年の本書の初版時点では画期的な視点だったのだろうか。

Posted by ブクログ

2024/11/03

第1章 神なき時代の社会科学 p.11 市場においては、社会的公共性への奉仕にかかわる道徳心は消え失せてしまいます。けれども、自己の利益を最大化しようと努力することを通して、人々は「見えざる手」の働きによって、結果として社会公共の利益に奉仕するのです。 p.26 ヨーロッパ近代...

第1章 神なき時代の社会科学 p.11 市場においては、社会的公共性への奉仕にかかわる道徳心は消え失せてしまいます。けれども、自己の利益を最大化しようと努力することを通して、人々は「見えざる手」の働きによって、結果として社会公共の利益に奉仕するのです。 p.26 ヨーロッパ近代文化の普遍性というとき、ヴェーバーはそれについて価値判断的に善だとする評価を与えたのでは決してありません。資本主義にせよ、民主主義にせよ、あるいは科学の発達にせよ、合理的な技法による芸術にせよ、それらはいずれも人類にとって「運命的な力」として作用しているのだということ、これがウェーバーが伝えたかった事柄の真意なのです。 p.49 距離の間隔という言葉は、ニーチェやウェーバーによが示そうとしたこと、それは、我々は現代という時代に所属してるし、また、自分が所属している社会集団の枠の中で生きていること、他らならぬこの事実をどう自覚化するかということでした。 第3章 第4章 古代史再発見 p.154 古代社会は、近代社会と違って市場関係-つまり自由で独立の生産者たちが取り交わす商品交換-を基礎とする社会とは全く異なった世界となり、さらにまた、発達した都市経済をもつヨーロッパとも決定的に異なる社会ということになります。 p.194 近代社会の形成に際して、非合理的な呪術から脱却して現実世界の合理的改造に向かう心理的態度が生み出せられること、ここにウェーバーの研究の重点がおかれました。非合理的な瞑想から脱出することにより、宗教倫理に導かれつつ、合理的な世界改造に向かって時間が絶えず向上的に進行していくことそうした意味において、世界史は普遍的な発展傾向をたどってきたということ。

Posted by ブクログ