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マックス・ヴェーバー入門 の商品レビュー

3.9

34件のお客様レビュー

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2013/03/17

いや、「入門」にしては全然わからなすぎる 宗教の世界と、資本主義の精神の齟齬の分析みたいな感じでしょうか・・・。 そこらへんを歴史的にうじゃうじゃ考えておるようです。 ニーチェとの親近性もあるみたいです。

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2024/09/23

内容が専門的であり、読み応えがありました。 また、正統派を紹介するのではなくむしろ否定し、筆者の独自の主張をしていて、その主張がとても深いもので画期的である点で、新書の「入門」の域を超えた大作であると思いました。 前半を読み進めたときは「なぜそこまでウェーバーにこだわるんだ...

内容が専門的であり、読み応えがありました。 また、正統派を紹介するのではなくむしろ否定し、筆者の独自の主張をしていて、その主張がとても深いもので画期的である点で、新書の「入門」の域を超えた大作であると思いました。 前半を読み進めたときは「なぜそこまでウェーバーにこだわるんだろう?」 と、ウェーバー主義とでもいうべき立場に懐疑的でしたが、だんだんと近代化についてのウェーバーの本当の思想が伝わってきて、最後は生き方を示唆してくれている点で、筆者の理解する仕方でのウェーバーの思想そのものに僕自身、とても大きな意味を見いだすことができたのでした。 社会学や思想を学ぶ方には、是非おすすめの1冊です。 僕自身は、さらに「職業としての政治」やニーチェを読みたいという気持ちになりました。 語り出すと興味の尽きない内容ですので、 ここではこの辺で。

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2012/09/27

久しぶりに本を読了した。 すごい間隔を空けてダラダラと読んでしまったので、全体的に内容をあまり覚えていない。 最後の方に書いてある文章で少しなるほどと思った文を以下に書いておこう。 宗教における救いの欲求は、現実の組織的・実践的な合理化の試みとして生まれてきた。キリスト教の「現世...

久しぶりに本を読了した。 すごい間隔を空けてダラダラと読んでしまったので、全体的に内容をあまり覚えていない。 最後の方に書いてある文章で少しなるほどと思った文を以下に書いておこう。 宗教における救いの欲求は、現実の組織的・実践的な合理化の試みとして生まれてきた。キリスト教の「現世内的禁欲」は合理化を目指したものだが、皮肉なことに自己破壊的結末を招くことになった。 合理化に成功した結果が、政治、芸術、エロス、科学などと対立することになり、それらの理念などを生み出してしまった。 まぁこの本難しかったよね(笑)

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2014/08/29

ヴェーバー入門としながらも書いてある事は結構難しいと感じます。それは、本書がヴェーバーにおける社会学の基本的な考え方や「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神(以下、プロ倫)」を読み解くのに必要な考え方(世界像、理念型、支配の類型、官僚制など)を教えてくれる一方で、ヴェーバー...

ヴェーバー入門としながらも書いてある事は結構難しいと感じます。それは、本書がヴェーバーにおける社会学の基本的な考え方や「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神(以下、プロ倫)」を読み解くのに必要な考え方(世界像、理念型、支配の類型、官僚制など)を教えてくれる一方で、ヴェーバーと言う人物像に対して迫るものでもあるからです。 ヴェーバーの学問の方法、またその人物像を理解するためには、ヴェーバーが生きた時代の様々なモノ、コト、ヒトを押さえておかないといけません。本書を一読して「あーなるほど」と思えるとすれば、それはもはや”ヴェーバー入門者”ではありません。 つまり、本書は”入門レベル”ではないのですが、入門者がじっくり読み返して、ヴェーバーへの理解を出発点に様々な方向へ進んで学習してゆくのがよいのではないでしょうか。 私は「プロ倫」を読む前にと思って本書を読みましたが、本書で印象に残ったのは、「プロ倫」において強調されているのは「意図せざる帰結」、歴史の偶然性にあるということです。 この点、「歴史は一定の段階を踏まえながら発展してゆく」とするような見方に基づけば、資本主義はなぜ西洋においてのみ成立したかと言う問題設定自体が、西洋を(さらに言えば近代的合理化)を賛美するようなニュアンスを持ってしまいかねません。 ところが、実際はまったくそうではない。歴史の偶然性を強調するとともに、合理化を批判する。この点を意識して、たびたび読み直してゆきたいと思います。 分からない点は、さておきました(恥 しかし、社会学を学ぼうとする人にとっては必読すべきだと言えるのではないでしょうか。

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2012/07/30

ヴェーバーの解説書としては分かりやすい部類に入るのだろうが、それでもこれで入門書と題されると辛い。大塚久雄でヴェーバーを読んでから出直そうと思う。

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2012/06/16

しんどい@6月2日原因として考えられるのは、 1.自分の思考力がこれを読むレベルに達していない 2.これを読むにあたっての前提としての知識が乏しい かなと。まずはなんとかなりそうな方(2)をどうにかすべく、社会学自体の入門書をあたってみようと思う。 とりあえず読了(2012....

しんどい@6月2日原因として考えられるのは、 1.自分の思考力がこれを読むレベルに達していない 2.これを読むにあたっての前提としての知識が乏しい かなと。まずはなんとかなりそうな方(2)をどうにかすべく、社会学自体の入門書をあたってみようと思う。 とりあえず読了(2012.6.6)。 とりあえず読み切ることによって、ヴェーバーという人の思想の大枠をつかむことはできたように感じる。ただ、自分自身の理解力、理解するための知識があれば、得るものはもっと多くなったのではないだろうか。 知識をつけて、もう一度読もうと思う。

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2012/02/16

「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」が複雑だったので、 脇に置いておいてひとまずこれを読んだ。 ヴェーバーの社会学は人々の無意識的な身振り手振りを分析する、 フロイトの精神分析的な手法が取られているんかな。 この人のすごさはその姿勢にあるんだと思う。

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2012/02/17

名著『ニーチェとウェーバー』(未来社)で知られる著者自身の解釈に基づくマックス・ウェーバーの入門書。ヨーロッパ近代の「合理化」を賛美した社会学者としてではなく、合理化の進展がゆきつくことになる問題を見据えた上で、その帰趨を引き受ける人間像への展望を開こうとした思想家としてウェーバ...

名著『ニーチェとウェーバー』(未来社)で知られる著者自身の解釈に基づくマックス・ウェーバーの入門書。ヨーロッパ近代の「合理化」を賛美した社会学者としてではなく、合理化の進展がゆきつくことになる問題を見据えた上で、その帰趨を引き受ける人間像への展望を開こうとした思想家としてウェーバーを解釈している。 著者は本書の第1章で、これまでの社会学を二つに類型化している。第一の類型は「構造論的アプローチ」と呼ばれており、スミスとマルクスに代表される。第二の類型は「行為論的アプローチ」と呼ばれ、ウェーバーの社会学はこれに属する。第一の構造論的アプローチが、社会の客観的構造の解明をめざすものであるのに対して、ウェーバーの立場は倫理や道徳、さらには感情といった個人の意識の内側に入り込むことで、社会的行為の内面的動機づけを解明するものだという。 著者はこうした観点から、まずはウェーバーの主著である『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の解説をおこなう。そこでは、宗教的信仰が大衆に受け入れられてゆく非合理的なプロセスの中で、ウェーバーの考える合理的なエートスが育まれていったということが説明されている。 続いて、ウェーバーがヨーロッパの合理化にひそむ問題を捉えていたという著者の見解が論じられる。著者はまず、ウェーバーが精神に変調をきたした時期にキリスト教的倫理への反逆をおこない、人間の「生」の根底にひそむコントロールできない無意識の力を認める方向に歩みだしたと主張する。このような発想はニーチェやフロイトと響きあうものである。だがウェーバーは初め、ニーチェやフロイトが「生」の基盤を生物学的なところに求めたことに同意せず、カント的な自律の立場に近い考えを抱いていた。本書ではその後のウェーバーが、人間の奥底にひそむ非合理的な力は意味解釈や動機の探究によっては説明できないという立場に転じていったことを明らかにするとともに、ウェーバーはそうした運命を引き受ける「受苦者の連帯」という展望を切り開こうとしていたのではないかと論じている。

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2011/10/25

従来の合理主義の権化としてのヴェーバー像を批判し、ニーチェと気脈を通じ近代を批判するヴェーバー像を打ち立てた研究者によるヴェーバー入門書。ポスト・モダンが叫ばれる今日、近代批判としてのヴェーバーの言説という視点をヴェーバー解釈に導入することで、ヴェーバーの言説は今日でもアクチュア...

従来の合理主義の権化としてのヴェーバー像を批判し、ニーチェと気脈を通じ近代を批判するヴェーバー像を打ち立てた研究者によるヴェーバー入門書。ポスト・モダンが叫ばれる今日、近代批判としてのヴェーバーの言説という視点をヴェーバー解釈に導入することで、ヴェーバーの言説は今日でもアクチュアリティーを失わないものとなった。その点にこそ、著者の年来の研究とこの著書の意義が求められるべきだ。

Posted byブクログ

2011/04/24
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

[ 内容 ] いまヴェーバーはどう読まれるべきなのか。 従来無視されてきたニーチェとの親縁性を明らかにし、ヴェーバー社会学の方法を解きほぐしながら、近代社会に根源的批判の目をむけ知の不確実性を見すえたヴェーバーの姿を浮き彫りにする。 通説にラディカルな書き換えを迫る本格的入門書であり、同時にまたとない社会科学入門の書でもある。 [ 目次 ] プロローグ―近代知の限界点に立って 第1章 神なき時代の社会科学 第2章 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』再訪―悲劇の精神 第3章 精神の病―死と再生のドラマ 第4章 古代史再発見―回帰する時間の社会学 終章 受苦者の連帯に向けて [ POP ] [ おすすめ度 ] ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度 ☆☆☆☆☆☆☆ 文章 ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性 ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性 ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度 共感度(空振り三振・一部・参った!) 読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ) [ 関連図書 ] [ 参考となる書評 ]

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