哲学の謎 の商品レビュー
うーん、頭おかしくなりそう笑 社会、人間の営みがあるからそこに哲学が生まれるのだろう。 枯れ葉が舞い落ちかのは枯れ葉の意志なのかそうでないのか、ぶっちゃけ枯れ葉自身は人がどう考えようがどっちでもいいのかもしれない。 そう考えると哲学は自分らしさを問うための学問でもあるよーな。...
うーん、頭おかしくなりそう笑 社会、人間の営みがあるからそこに哲学が生まれるのだろう。 枯れ葉が舞い落ちかのは枯れ葉の意志なのかそうでないのか、ぶっちゃけ枯れ葉自身は人がどう考えようがどっちでもいいのかもしれない。 そう考えると哲学は自分らしさを問うための学問でもあるよーな。 久々に哲学した。
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
哲学とはどういう学問なのかがわかる、すごくわかりやすい入門書でした。哲学に漠然とした興味があったが、もっと勉強してみたくなりました。メモを取りながら熟読というのではなく、サラサラと呼んでしまったので、細かな内容までは覚えていませんが、哲学を学ぶ取り掛かりとして十分良い本だった思います。
Posted by
小さい頃考えたことのある謎や、言われてみれば確かに変かもという謎など、誰でも身近に感じられるようなトピックが多く、楽しく読めた。結局謎は解決せず、答えは見つからないのだけど、議論が議論を呼ぶ過程が非常に面白かった。ところどころ難しい論理展開があったので、自分でじっくり考えながらま...
小さい頃考えたことのある謎や、言われてみれば確かに変かもという謎など、誰でも身近に感じられるようなトピックが多く、楽しく読めた。結局謎は解決せず、答えは見つからないのだけど、議論が議論を呼ぶ過程が非常に面白かった。ところどころ難しい論理展開があったので、自分でじっくり考えながらまた読みたい。
Posted by
意識・実在・他者◆記憶と過去◆時の流れ◆私的体験◆経験と知◆規範の生成◆意味の在りか◆行為と意志◆自由 著者:野矢茂樹(1954-、東京都、哲学)
Posted by
間をあけて読んでしまったので、少し頭がついていかなかった。 それでも、素朴な疑問から広がる哲学を教えてくれる。
Posted by
これが、野矢氏の真骨頂だと思っています。 「日常を哲学する」というスタンス。 そしてそれこそが、哲学ってもんだと思うからです。 本作は、野矢氏の書いた哲学の入門書です。 と言っても、ガチガチの哲学書ではありません。 対話形式で、一つずつじわじわ考えていく、という形式。 ここで描...
これが、野矢氏の真骨頂だと思っています。 「日常を哲学する」というスタンス。 そしてそれこそが、哲学ってもんだと思うからです。 本作は、野矢氏の書いた哲学の入門書です。 と言っても、ガチガチの哲学書ではありません。 対話形式で、一つずつじわじわ考えていく、という形式。 ここで描かれるテーマが、本当に面白いのです。 対話形式で掘り下げされていく、ちょっとした「謎」。 たぶん、誰もが一度が考えたことがある「謎」。 子どもの頃に思い悩み、年齢を重ねるにつれ、忘れ去られる「謎」。 ・世界の大部分の人が色盲であるとき、「赤」は何色になるか? ・ロビンソン・クルーソーは、「狂気」にかかるか? ・世界は五分前に始まった ・「いままでそうだった」ことは「これからもそうである」ことなのか? ・「自由」という行為とは? そういった「謎」を、改めて考えてみる。 そうすると、自分がいかに矮小かが見えてくる。 自分がいかに無知なのかが分かってくる。 それが、つまりはスタートライン。 哲学というものは、小難しいことと捉えがちです。 屁理屈、無意味な言葉遊び、そう捉えられることすらあります。 しかし、そうではない、と野矢氏は教えてくれます。 哲学とは、「考える」ということ、そのものなのです。 何を考えても良い、何を導き出しても良い。それが、哲学です。 一番難しいことは何か、ご存じですか? それは、「問い」を見つけることです。 問いさえ見つけることが出来たのなら、あとはそれを解くだけです。 問いは、始めはあちこちに散在しています。 問いに答えて終わり、ではなく、その答えから問いを見つける。 その繰り返しなのです。 時には、問いに答えることで、前の答えが無効になることもある。 すべてを一本の筋道として綺麗に並べることが出来るか否か、なのですね。 人間、と言う物理的な存在である以上、本当の「自由」は存在しません。 しかし、思考という場所では、すべてが自由なのです。 そして本物の「思考」は、間違いなく愉悦。 その入り口に、すっと導いてくれる名著だと思います。
Posted by
あれは国語の教科書の折り返しのところだつたか。本書の冒頭部分が掲載されてゐたやうな気がする。 あの時、ものすごく驚き、搖さ振られたことを覚えてゐる。ひとがゐなくなつた後でも、やつぱり夕陽は赤いのか。よく死んだらどうなるのだらうとか、自分と記憶も何もかも一緒のひとがいたとしたらとか...
あれは国語の教科書の折り返しのところだつたか。本書の冒頭部分が掲載されてゐたやうな気がする。 あの時、ものすごく驚き、搖さ振られたことを覚えてゐる。ひとがゐなくなつた後でも、やつぱり夕陽は赤いのか。よく死んだらどうなるのだらうとか、自分と記憶も何もかも一緒のひとがいたとしたらとか、途方もなく考へてゐた気がする。さうした中にあつて、あらゆるひとが全滅した中でも夕陽は赤いのかどうかといふことが、さうした考へと響くところがあつたのだらう。 その時は、ただ漫然と、この自分と呼ばれる何かが存在しない世界といふものが考へられず、すごく変な気持ちになつた。「わからない」そのことがわからなかつた。知りたくても知りえない。けれど何かがそこにあるやうな、そんな変な気持ち。 その時から少しは成長した。とはいふもの、幼い時に考へてゐた問ひの魅力は変らない。少し変はつたことと言へば、多少あの時の感覚を見つめなおすことができるやうになつたといふことか。 もしもひとがすべてゐなくなつたら。この想定自体、ひとの存在を前提がなければ不可能なのだ。そして、見つめた夕陽を「赤」と「言へる」ことも、「赤」の存在がなければならなかつた。 しかし、このことは、世界が5分前につくられたとする、あるひは、空飛ぶスパゲッティモンスターがつくりあげたとするといふこともあり得る。想像できれば何でも存在する、さういふことになる。要はどうとでも言へることになつてしまふ。そのことを覆へすだけの論理はそれこそ存在しない。真に存在しないことは、沈黙となつてしまふはずだ。 けれど、世界が5分前につくられたにしろ、誰がつくらうと、それを見つめる、語る何かが存在しなければできないのだ。鈴木大拙先生の言ふ、「光在れ」と言つたのを見つめたのは誰か。このことに尽きる。 在ると言へばあるし、無いと言へば無い。どちらも同じことばだつた。けれどことばが、何かが存在するといふことは、「本当に存在しない」何かに裏付けられなければならない。有るものが無く、無いが有る。どうやらさうした逆説が成り立つやうなところでひとは生きてゐるやうである。 語ることばは確かに虚構かもしれない。しかし、虚構が虚構であるといふことは紛れもない「真実」であるし、その真実が成り立つためには、真実は虚構であるといふことが起きてしまふ。そんな風にできてしまつてゐる。なんにせよ、何かが在り、何もないそのことは存在するが知ることができないやうにできてゐるやうである。
Posted by
う〜む。哲学の謎か…。存在とはなにか?認識とはなにか?経験とは…。つきつめるとわからなくなるな。だから謎なのかな。対話で哲学の問題を取り上げる。だんだんと頭がぐちゃぐちゃしてきた。
Posted by
普段当たり前のように過ぎ行く時間、見え方、考え方を掘り下げ、新たな視点でもの考えてみるということなのだろうが、少々難解である。 新たな視点で物事を考えようとする事自体は悪い事で無いと思うものの、物事をことさら難しく解釈しようとする事自体はあまり生産性のいい事では無い気がする。この...
普段当たり前のように過ぎ行く時間、見え方、考え方を掘り下げ、新たな視点でもの考えてみるということなのだろうが、少々難解である。 新たな視点で物事を考えようとする事自体は悪い事で無いと思うものの、物事をことさら難しく解釈しようとする事自体はあまり生産性のいい事では無い気がする。この本がどうという事では無く、それを哲学と言うのなら。
Posted by
そもそも〜?という当たり前と思うことを見つめ直す哲学的な内容だけど、対話形式で読みやすい なにかの結論があってスッキリするような本じゃないけど、読んでいる間は日頃の悩みやもやもやから逃げられる、ような気がした
Posted by