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それでも人生にイエスと言う の商品レビュー

4.1

135件のお客様レビュー

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2023/03/30

→ https://twitter.com/nobushiromasaki/status/1641367632451629058?s=46&t=z75bb9jRqQkzTbvnO6hSdw

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2023/03/10

数年ぶりに読み返した。「意味への意志」「コペルニクス的転換」「3つの価値」などについての基礎知識はあっても、フランクルがこれらについて力強く語る本書には改めて勇気づけられる。翻訳のためか、言葉の言い回しに分かりにくさを感じることもあるが、一方で今回は、このような言い回しがフラン...

数年ぶりに読み返した。「意味への意志」「コペルニクス的転換」「3つの価値」などについての基礎知識はあっても、フランクルがこれらについて力強く語る本書には改めて勇気づけられる。翻訳のためか、言葉の言い回しに分かりにくさを感じることもあるが、一方で今回は、このような言い回しがフランクルがすぐ近くで力説しているようにも感じさせる所以でもあるように思った。どこまでもポジティブなフランクルの言葉に、少々の事ではへこたれてはいられないとの思いを新たにする。 山田邦男氏による「解説」が分かりやすい。フランクル自身の言葉も解説も、これからも折に触れて読み返していきたい。

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2023/01/24

どんなときも、日々を全うすることこそに人生の意味はある それでも人生にイエスという事を選択する事で自分の求めている生きる意味があるのだ それには未来の希望ではなく永遠の存在としての希望を持つことで内側の成功を保ち続けることができるのだ

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2023/01/24

ヴィクトール・フランクル、夜と霧でナチスの収容所のその凄惨な体験から生き延びた精神科医であることやロゴセラピーの創始者であることは知っていたが「生きる意味を問う必要はない。人生がすでにあなたに問いを投げかけているから」という氏の有名な言葉にひかれて、改めて他の書も読みたいと思い手...

ヴィクトール・フランクル、夜と霧でナチスの収容所のその凄惨な体験から生き延びた精神科医であることやロゴセラピーの創始者であることは知っていたが「生きる意味を問う必要はない。人生がすでにあなたに問いを投げかけているから」という氏の有名な言葉にひかれて、改めて他の書も読みたいと思い手に取った。その言葉の深淵に触れることのできる一冊であった。かの言葉にはもう一つ有名なフレーズがあって「その(人生が投げかける)問いに、あなたはできるだけ<具体的に>応えなければならない」とある。この「具体的」とはなんぞやと思っていたところに、その答えは本書の中にあった。とても明快で、「頓珍漢な記者の取材」のメタファーである。チェスの名人に聞く「チェスに勝つための打ち手を教えてください」、それがいかに的外れなものであるか考えて見よ、というのである。チェスはその場面その場面であらゆる手があって、奇策もあれば王道もある。無数にある。その答えは「今、ここ」にしかないのである。この具体性、これを実存と呼ぶのである。さらに「人生が出す問いは常に新しい」というフレーズが続き胸打たれた。実存の上にあるものは丸い天井で、その先に見えるものは「永遠」である。永遠を仰ぎ見るものの得る「今」である。それは常に新しい。フランクルは言うまでもなく聖書を奉じる人である。フランクルのこの言葉に重なるように、詩編の「主に向かい新しい歌を歌え」という御言葉が響いてきた。この永遠があるゆえの人の「実存」はキルケゴールの語るところと全く同じものと思えた。 夜と霧に描かれたように、収容所で丸裸にされまさに「裸の実存」にされた人々には絶望と虚無に陥る人となおも精神の自由を得る人がいた。フランクル曰く収容所は多くの人を成熟させる場であったという。(あの過酷な日々からわずか一年後の言葉であることに驚く)。それは「期待」という言葉で説明された。〇日にこの戦争は終わる(解放される)という噂は収容所の中で常に立つが、(宗教的な)永遠を持たぬ人はそれに「期待」を抱き、ゆえに絶望し、やがて心を病む。そして死んでいく。フランクルはこのエピソードに箴言の「期待が長びくと心は病む」という御言葉を自ら充てた。永遠を持つものは「期待」はしない、永遠への希望との実存があるだけである。いつ解放されるとか、いつ日常を取り戻すとか、そんな「期待」よりも「永遠」に対する実存の中で、人間らしさの中を生き抜く。それを生き延びた人々に、フランクルは「成熟」を見たのであった。(ただし多くは収容所の中で死んでいった)。 フランクルの精神科医らしい示唆ある考察も随所にあって興味深かった。まず収容所の人々の中に起こる「退行」(アンナ・フロイトがまとめた防衛機制の一つ)の描写である。この退行という人に与えられた素晴らしい機能は、一見みじめなものであるけれど、多くの囚われ人の精神を守ったのではないだろうか。 もう一つ、生きる意味と精神障害者の存在について本書では長く述べられている。精神障害者に生きる意味はあるのか、という世俗の問いに、フランクルは一つ一つ、驚くほど丁寧に反証していく。これは、生産性のないもの、精神を病むものを無用な人間として無残にも葬り続けたナチスへの思いから熱く述べられたものであろう。(繰り返すが本書の演説はナチスから解放されてわずか1年後のものである)。 そして我々は気づく、「やまゆり園」のような事件が現代に起こるなら、ナチスの時代と我々はほとんど変わらない社会に生きているのではないかと。狂気の時代が生み出した異次元とも思える異常な収容所の世界は、現代社会の縮図とも言えるのではないかと。今この時代に生きる私も、それでも人生にイエスと言いたい。

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2022/03/26

ナチスドイツ下で、強制収容所に送られ、戦後解放された精神科医、フランクルの講演録。 名著『夜と霧』を読み、彼の言う「生きる意味」についてより知りたいと思い読んでみた。 驚くべき点は、この講演が彼が解放されてわずか1年後に行われているということ。世界中が戦後の混乱ののさなかであり、...

ナチスドイツ下で、強制収容所に送られ、戦後解放された精神科医、フランクルの講演録。 名著『夜と霧』を読み、彼の言う「生きる意味」についてより知りたいと思い読んでみた。 驚くべき点は、この講演が彼が解放されてわずか1年後に行われているということ。世界中が戦後の混乱ののさなかであり、自身もあれだけ過酷な経験していたにも関わらず、精神科医として、強制収容所での体験もふまえつつ「人間の生きる意味」について、徹底的に言語化して語っている。 後年、『夜と霧』で書かれたことと重複する部分はかなりあるが、この時点ですでに彼の思想、理念と結び付けられて語られている点にも驚かされる。 「私は人生にまだ何を期待できるか」と問うことはなく、「人生は私になにを期待しているか」と問うだけである。 この言葉は「人生のコペルニクス的転換」として紹介されているが、たしかに、私たちは人生というものがそこに用意されていて、そこに期待したり、何かを求めて得られずに落胆したり苛立ったりする。しかし、人生が自分に生きる意味を問いかけているのであり、苦難や死ですら生きることに意味を与えているのだ、という考え方には素直に同意できる。その論理から自殺がなぜいけないのか、あるいは、病や老いなどによって活動が妨げられている人が「非生産的」だからといって、存在意義がないとはいえない、という結論は揺るがしがたいものに感じられる。 また、収容所であらゆるものが剥奪された中で、「人間そのもの」が溶け出した、その生々しい経験から「人間の内面」について語る部分は真に迫るものがある。 これだけ抽象的かつ哲学的な内容であるにも関わらず、平易な言葉で分かりやすく、自身の体験をふんだんに盛り込んで書かれており、時代を経てもなお読み継がれるべき名著だと感じる。

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2021/11/19

英訳するとYes to life in spite of everythingだそうで、これまたぐっときた 「それでも」なんて、そこんじょそこらの人に言われても 大人気ない私は反発してしまいそうだけど フランクルが言う「それでも」はどれだけの勇気を持った言葉なのか 「人生の意味...

英訳するとYes to life in spite of everythingだそうで、これまたぐっときた 「それでも」なんて、そこんじょそこらの人に言われても 大人気ない私は反発してしまいそうだけど フランクルが言う「それでも」はどれだけの勇気を持った言葉なのか 「人生の意味についての問い」のコペルニクス的転回 人生は何かを行う劇場、ただの箱みたいなものでそれ以上でも以下でもないって今は受け取った パリオペラ座でも武道館でもキネマ倶楽部でも、その建物といい演目はきっと別の話! 解説がとても分かりやすかった(P211) 1)現代は意味喪失の時代で、いかにして意味の再発見が可能であるかという問題があって 2) その可能性がフランクルの言う「快楽への意思」「力への意志」「意味への意思」のうち「意味への意思」に求められること、 3)「 意味への意思」における「人生の意味についての問い」のコペルニクス的転回によって「創造価値」「体験価値」「態度価値」が実現可能であること 4) これは人間の「精神的無意識」である「芸術的創造」「愛」「良心」に基づくものであること これくらいまとめられるようになりたいなあ、、、 生きてるだけでいい、なんて言葉が腑に落ちなかったけど 自分らしい態度を持つっていう前提があればなんかそれも受け入れられる気がする

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2021/11/06

それでもと言う言葉が大切。人生にイエスと言うのはどんな時でも疑わず、任すこと。そして人生に問いかけるのではなく、人生の問いにどう答えるかが大事なこと。

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2021/11/05
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あえて引用します。 「私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。人生こそが問いを出し私たちに問いを提起しているからです。私たちは問われている存在なのです。」(27頁) この揺るぎなさ。

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2021/10/09
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どうすれば人としての感情を大切にできるようになるのかを知りたくて購入 ごりさん推薦 ・カント「あらゆる事物は価値を持っているが、人間は尊厳を有している。人間は決して目的のための手段にされてはならない。」 →今自分は単なる手段に過ぎないと感じたときに尊厳が脅かされていると感じて不愉快になるのか? ・すべては、その人がどういう人間であるかにかかっていることを私たちは学んだ。 ・人間は教師口調で叱られたくないもの。

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2021/09/20
  • ネタバレ

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ちょうど、生きる意味なんてなくていい。 ただ生きていくことこそが重要だと考えていたのが肯定されたようで安心した。 本文引用 p128 自分の環境に自分なりの態度をとるという人間としての自由がある これは収容所においても、 人間は自由であるという意味で筆者が述べているが、 現代のコロナ禍においても同様だと思う。 苦しみや辛さは他人と比較できない。 その程度は本人にしかわからないし、 本人ですらもわからないかもしれない。 それでも人生にイエスという謙虚さと勇気をもってこれからも行動したい。

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