

商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 講談社 |
発売年月日 | 2024/06/20 |
JAN | 9784065360125 |
- 書籍
- 新書
AIは短歌をどう詠むか
商品が入荷した店舗:店
店頭で購入可能な商品の入荷情報となります
ご来店の際には売り切れの場合もございます
オンラインストア上の価格と店頭価格は異なります
お電話やお問い合わせフォームでの在庫確認、お客様宅への発送やお取り置き・お取り寄せは行っておりません
AIは短歌をどう詠むか
¥1,034
在庫あり
商品レビュー
4.1
8件のお客様レビュー
「AI短歌」の構造、人間とAIの差異を著者の取り組みをベースに語られている。 AIを壁打ち相手とするや批評の実例とするなど、短歌に限らないAIとの付き合い方を提言される。 そもそも短歌に疎いので、そちらから攻めていこうと思う。
Posted by
浦川通(1988年~)氏は、早大大学院基幹理工学部研究科数学応用数理専攻修了、大学在学中からプログラマーとしてモバイル・アプリケーション制作等に携わり、メディアアート・広告制作等を行った後、2019年より朝日新聞社で自然言語処理の研究開発に従事。 本書は、著者が自然言語処理の研究...
浦川通(1988年~)氏は、早大大学院基幹理工学部研究科数学応用数理専攻修了、大学在学中からプログラマーとしてモバイル・アプリケーション制作等に携わり、メディアアート・広告制作等を行った後、2019年より朝日新聞社で自然言語処理の研究開発に従事。 本書は、著者が自然言語処理の研究開発の中で心血を注いできた「短歌AI」について、その仕組みを解説しながら、より根本的な「コンピューターが言語を処理するとはどういうことなのか?」から、「AIが短歌をつくる際にはどんなことをしているのか?」を明らかにしたものである。 また、著者が短歌AIの試作を始めた頃、朝日新聞社の朝日歌壇を担当する文化部が、テクノロジーを使った新たな企画を欲しており、俵万智や朝日歌壇選者の歌人・永田和宏らの協力を得たられたことが、同研究および本書の内容に格段の厚みをつけている。 私は、コロナ禍の頃から某新聞歌壇に投稿を始め、ときどき掲載されるようにもなったのだが、まさに「AIが短歌を詠むとはどういうことなのか? それは自らの短歌作りの参考になるのか?」と思い、本書を手に取った。 一通り読んでみて、AIが短歌を作る仕組みについてはよくわかったが、AIを短歌作りにどう活かすかといった部分については賛同しかねるところもあった。 まず、仕組みに関しては、ChatGPTが一般に解放された頃、生成AIの言語モデルの核心は、「膨大な言語データの中から、次に来る可能性のある言葉を予測し、それを繋いで文章を作る」ことだと知り、驚いた覚えがあるのだが、短歌AIの仕組みも、当然ながら全く同様である。ただ、(生成AI全般において)単純に最も高い確率の言葉を繋ぐだけでは、自然な文字列にはならないため、「ビームサーチ」や「サンプリング」等の様々な手法が試みられている。そして、本書では、短歌AIに、学習データをウィキペディア日本語版にした場合と、俵万智の作った短歌にした場合に分けて、様々な条件を付けて短歌を作らせ、比較をしているのだが、モデルの仕組みから考えて当然ながら、俵万智の短歌で学習した場合の方がはるかに短歌らしいものができる。これらについては、(おそらく)短歌に限らない、文章を生成するAI全般に当てはまる仕組み・特徴でもあり(「五七五七七」のリズムにする点は短歌に特有のものだが、それは本書で語られていることの本質ではない)、それについてはよくわかった。 そして、最後段には、そうした短歌AIとの「付き合い方」として、「壁打ち相手になってくれたら」、「私をうつす鏡になったら」、「似ている歌を教えてくれたら」等のアイデアが紹介されているが、私としては、データベースとして使うことの有効性は理解するものの、それ以外については賛同することは難しい。それは、短歌AIが、過去のデータに基づいて確率的に言葉を並べているだけである以上、人が見、聞き、感じたことを言葉にする短歌とは、本質的に異なるものだからだ。(そんなことは、著者も百も承知のはずではあるが) 「短歌AI」を通して、生成AI・言語モデルの仕組みと限界を知ることができると同時に、人が短歌を詠むことの意味を再認識させてくれる一冊と言えるだろうか。 (2024年12月了)
Posted by
読書会をきっかけに、以前から気になっていた本書を図書館で借りた。移動中に読了。 タイトルに私が抱いた印象は「AIは短歌をよめるのか?!」という驚きと疑問。人の心が宿る短歌を、心を持たないAIがよめるのだろうか。 結論は、「現時点ではAIによる学習と人間の工夫により、短歌らしい...
読書会をきっかけに、以前から気になっていた本書を図書館で借りた。移動中に読了。 タイトルに私が抱いた印象は「AIは短歌をよめるのか?!」という驚きと疑問。人の心が宿る短歌を、心を持たないAIがよめるのだろうか。 結論は、「現時点ではAIによる学習と人間の工夫により、短歌らしい言語配列が可能となる」ということ。 AIに短歌を詠ませるために、膨大な既存のデータを覚えさせる。言わば、詠むために読む作業が必要なのだ。言い換えれば、AIが出力する短歌は、人間が過去に生み出した膨大な創作物の集積から生み出されたものであるといえる。 ひとにあって、AIにないもの。それは、短歌を詠む動機である。また、言語データとしてデータベース化できない個人の体験を含んだ短歌の創造も、ひとにしかできない。 逆に、AIにしかできないこと。それは短時間に数百の短歌を書くこと。 ひとはあたたかいとよく言われる。 「AIはあたたかい」この言葉の響きはどうだろうか。人は冷たくなることがあるが、AIにはそのようなことがない。そう思うとAIは確かに温かい。 AIと人のよむ短歌の違いから、人が短歌をよむ意義を再認識できる。 湯川秀樹さんは著作の中で『人間は具象以前の世界を内蔵している。そしてそこから何か具象化されたものを取り出そうとする。科学も芸術もそういう努力のあらわれである』と述べていることを思い出した。 AIとの付き合い方を考えるヒントになった。
Posted by