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本居宣長 「もののあはれ」と「日本」の発見 新潮選書
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本居宣長 「もののあはれ」と「日本」の発見 新潮選書

先崎彰容(著者)

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本居宣長 「もののあはれ」と「日本」の発見 新潮選書

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 新潮社
発売年月日 2024/05/22
JAN 9784106039119

本居宣長

¥2,090

商品レビュー

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2024/08/08

本居宣長の「もののあはれ」論を、自我論としてではなく、男女の恋愛を基礎にした人間関係論として、つまりは倫理学であり日本語学として更新する試み。 著者は言う。  宣長にとって自然の風景には、それをどう見るのが適切なのか、古典をふまえた感性の基準が堆積している。人が風景を見て、そ...

本居宣長の「もののあはれ」論を、自我論としてではなく、男女の恋愛を基礎にした人間関係論として、つまりは倫理学であり日本語学として更新する試み。 著者は言う。  宣長にとって自然の風景には、それをどう見るのが適切なのか、古典をふまえた感性の基準が堆積している。人が風景を見て、そこに伝統の息づかいや、古代日本人の感じ方を発見し、それを言葉に発することが歌を詠むことなのだ。「もの」それぞれが含みもつ色あい、味わい、手ざわりを歴史と呼んでも伝統と呼んでも差しつかえない。その歴史と伝統への共感こそ、「もののあはれをしる」ことなのである。宣長は決して個人の内面など重視していない。過去の人びとの感性に共感すること、時空をこえた人間関係の海にみずからをゆだねている。 核心は「もののあはれ」ではなく「もののあはれをしる」こと。この違いは繰り返し吟味に値する。 私が最も感銘を受けたのは、宣長による「やまと」のイメージである。山外とも、山跡とも、あるいは契沖による山止(契沖は、論語の仁者楽山、仁者は天命に安んじているから、山のように静かで不動であるという一節を引用しながら、論じているという)など、夥しい解釈史を越えて、宣長に現れた太古の日本人が眼にしていた「やまと」とは「山処」だった。山々に抱かれた国としての「山処」。なんと静かで、力強く、そしてなつかしい響きであろうか。

Posted by ブクログ

2024/06/25

「やまと」とは、「山処」のこと。  山がたくさんある処だから、やまと。  国の成り立ちを語るにはあまりに単純。  けれど、そもそも何故、単純な話を人々は慕わないのか?その理由は、「対外的な権威を求める政治的意図があるため」に他ならない。  記紀編纂の当時、隋や唐よりも国家...

「やまと」とは、「山処」のこと。  山がたくさんある処だから、やまと。  国の成り立ちを語るにはあまりに単純。  けれど、そもそも何故、単純な話を人々は慕わないのか?その理由は、「対外的な権威を求める政治的意図があるため」に他ならない。  記紀編纂の当時、隋や唐よりも国家としての威厳を際立たせるためには、人々に頷かせる伝説が必要だった。  そのために、難しい話をあえて脚色した。  本来は、やまがある。だからやまと、で事足りたはずなのに——————  記紀をはじめとして、古来から多くの思想家たちが批評、推察を繰り返してきた名著の歴史とは、理性的で、冷たく、鋭い、男性的なものによって切り取られた、「脚色された価値観」なのでしょう。  本居宣長さんは、その違和感に気づきました。  政治的、軍事的な思惑を持たず、また、儒教や仏教による性的な倫理を強要されるより遥か前の———古代から続く、神々の時代においては、人は今よりもずっと、おおらかで、恋や情けに直向きであったことを、時を超えて、私たちに伝えてくれたように思います。  令和現代においても、激動の時代です。  唐に敗れぬために日本国号を作った日本書紀の経緯が当時の賢明な努力なら、私たちが生きる現代は、医療・軍需・学業複合体による金融支配体制と、日本国内敗戦既得権益に、騙されず、負けないための努力が試されると言えましょう。  パブリックコメントを書いて政府に意見したり、デモに参加したり、政治的、軍事的に、より良い未来を目指して行動できることはたくさんあります。  それでも———そう、それでも。  それでも、政治的思惑の外にある、私たちが長く持っていたはずの、情緒的な、ただ思ったことに素直に生きていた感性や、「于多-うた-」のことは、忘れてしまっても、ときどきでいいから、思い出して欲しいと……本居宣長さんは教えてくれている気がするのです。    みなさん。私たちと一緒に、明るく生きましょう。  それでも持て余してしまう寂しさ、儚さ、悔しさ、悲しさは、ただ嘆くのではなく、歌ってみてください。  歌で伝える楽しさや心地よさを知ったら、意外にも、現代に続くPOPやROCKもまた、「もののあはれ」の楽しさがあるなぁと、直感できると思います。  是非、みなさんの好きな于多の歌詞を、じっくり浸りながら、声に出して、歌ってみてください。「ああ、私はこう思っていたのだなぁ」と、誰に許されずとも、自分で自分を許し、癒し、気を休め、また元気になって、明るく生きていくことが———きっとできるはずですから。 ・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・  余談  新渡戸稲造先生の武士道は、セオドアルーズベルトに日露戦争講和を持ちかけるきっかけとなったほど、アメリカ人を感動させた教養書でした。そして、教養となる、政治的に利用できるということは、本居宣長さんからすれば、それは「ますらをぶり」であり、元々の情緒的な于多ではなく、尊いものとは思えないものでしょう。  むしろ、儚さを物語の主題にすることが多い、シェイクスピアの作品の方が、あるいは共感できたのかもしれません。  そうこう鑑みると、「ブシドー!」と「儚い…」が口癖なキャラクター2人が登場する、「Bang_Dream!!」という作品は、奇しくも、「もののあはれ」の感性と、その平和を守るための政治的教養の二つを、同時に伝えています。筆者の中村航さんや、安田猛さんをはじめとした、ブシロード関係者さんには、そうした、于多と絆と心模様の大切さを伝えたい想いが、確かにあり、今も続いているのかもしれません。  特に、音楽を「きずな」と読む中村航さんの感性がふんだんに込められた、『Yes!Bang_Dream!』、『キズナミュージック』、『LIVE BEYOND!』は、検索すれば歌詞だけでも簡単に読めますので、気になった方は一度読んでみてください。Roseliaの『Neo-Aspect』もおすすめです。

Posted by ブクログ

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