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なぜ私たちは燃え尽きてしまうのか バーンアウト文化を終わらせるためにできること
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なぜ私たちは燃え尽きてしまうのか バーンアウト文化を終わらせるためにできること

ジョナサン・マレシック(著者), 吉嶺英美(訳者)

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なぜ私たちは燃え尽きてしまうのか バーンアウト文化を終わらせるためにできること

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 青土社
発売年月日 2023/10/27
JAN 9784791775910

なぜ私たちは燃え尽きてしまうのか

¥2,420

商品レビュー

3.8

12件のお客様レビュー

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2025/01/09

あなたはどんな性格ですか?と聞いた時、帰ってくる回答が、その人が何を大切にしているかってのは面白い バーンアウトとは「仕事に対する自分の理想と現実のギャップを埋めるために無理を重ねた結果」である。バーンアウトしやすい人の特徴として、仕事に対して報酬以上のことを期待していること、...

あなたはどんな性格ですか?と聞いた時、帰ってくる回答が、その人が何を大切にしているかってのは面白い バーンアウトとは「仕事に対する自分の理想と現実のギャップを埋めるために無理を重ねた結果」である。バーンアウトしやすい人の特徴として、仕事に対して報酬以上のことを期待していること、というのは自分のことすぎて驚いた。仕事で自分を定義しちゃダメなんだと、思った。友達や家族を大事にする元年にしてみようと思った。でも、何も元手にせずに、どう自分の価値を定義すればいいんだろう?「ありのままの自分」が最高なんでことはない中で。

Posted by ブクログ

2024/12/20

現代の仕事が工場労働的な作業中心ではなく、サービス業的な対人の仕事が増え、仕事に意欲などの感情が求められるようになってきたという分析には衝撃を受けた。 さらに、給与や裁量権は増えず仕事の環境は悪化しているとも指摘されていた。 一方で仕事が、良い人格、尊厳、人生の目的を与えてくれ...

現代の仕事が工場労働的な作業中心ではなく、サービス業的な対人の仕事が増え、仕事に意欲などの感情が求められるようになってきたという分析には衝撃を受けた。 さらに、給与や裁量権は増えず仕事の環境は悪化しているとも指摘されていた。 一方で仕事が、良い人格、尊厳、人生の目的を与えてくれるという期待は増すばかりだという分析もあり、自分の実体験も踏まえて腑に落ちた。 このような理想と現実のギャップによって人々はバーンアウトしてしまうという。 このような「高貴な嘘」を再編して、より良い社会を構成しようというのが著者の目的なのはわかる。 ただ、労働至上主義的な「高貴な嘘」が無くなっても別の「高貴な嘘」が作られて同じようなことになるだけなのかなと思った。 もちろん、バランスを考え、今より良い嘘にすればいいと考えるかもしれない。 それは確かにそうだと思うが、労働至上主義も生まれや貴族主義のような価値観へのカウンターだったんじゃないかという気もしてくる。 全ての人に尊厳を与えるというのも難しそうだ。 あなたを認めますと言われれば確かに嬉しいが、皆がそうするなら普通のことになってしまうのではないかと思った。 また、人にも仕事にも人気や不人気がある。 これは尊厳と密接に関係してそうだし、相当根が深い話のように思える。

Posted by ブクログ

2024/12/01

私には必要な本だった。 「勤労が美徳」なんていう価値観は、資本主義や為政者が労働を搾取するために打ち出したもの。働いて稼ぐという行為は、自らの時間を収益化するために、その関係性や制約において、少なからず不愉快なもの、と諦めていた。しかし、美徳に反してそう考えてみる事はストレスで...

私には必要な本だった。 「勤労が美徳」なんていう価値観は、資本主義や為政者が労働を搾取するために打ち出したもの。働いて稼ぐという行為は、自らの時間を収益化するために、その関係性や制約において、少なからず不愉快なもの、と諦めていた。しかし、美徳に反してそう考えてみる事はストレスでもあった。まして行動を起こすには罪の意識さえある。 マルクスならこれを人間的な疎外と表現するだろうか。つまり、この本でも取り上げられる「脱人格化」の事だ。教育機関は職業訓練校の機能を果たし、生まれながらに上流ではない階層や、途上国や敗戦国は大方この仕組みに組み込まれ、日々、精神も肉体もすり減らし、同じ労働者との僅かな余暇に健全性と勤労の清々しさを味わった気分になり、ひたすら名誉奴隷を目指すのだ。 ー 働けばかならず幸せになるという約束は、ほぼまやかしだ。それは哲学者のプラトンが「高貴な嘘」と呼ぶもので、社会の基本的な仕組みを正当化する一種の虚構にほかならない。けれどもしその嘘を人々が借じなかったら、社会は大混乱に陥るとプラトンは説いている。そしてこの高貴な嘘は私たちに、勤勉に働くことには価値があると思い込ませる。たとえ上司のために働いているだけでも、自分は最高善を行っていると思い込ませるのだ。 この〝気付き“の果てに、バーンアウトは存在する。我々が会社と呼び、仲間意識を醸成して忠義を感じたり、社会貢献していると信じた集合体は、隠しもせず、株主のものだと教えられる。しかし、株主からは働くあなたは見えず、会社は株主を見るから、あなたが心を砕き、自ら我慢を強いて、家族を犠牲にして生きていく人生は、報われない。気まぐれで偶発的な名誉奴隷の判断で、面接され査定され辞令を下される運命にある。 ー たとえどんなに頑張っても、得られる報酬は変わりそうになかったからだ。いまとなっては、あのころ大学にあんなに気を遣う必要などなかったと思うことさえある。もっと手を抜いても、かまわなかったのだ。一世紀以上前のことだが、ドイツの社会学者、マックス・ヴェーバーは、野心に燃える若き大学数授たちに「きみは毎年、毎年、凡庸なやつらが自分を飛び越して昇進していく状況に対して、憤慨もせず、ひがみもせずに耐えられると思うかね?」とつねづね尋ねていたというが、私は彼の言葉に妙な慰めを覚える。ほかの多くの業界でもそうだろうが、学者の世界も不公平なことは頻繁に起こる。成果主義を装ってはいるが、長年の積み重ねが不運によって一瞬でなかったことになることも多いのだ。 資本主義がどうなろうかと関心を持つが、最も気にしておくべきは、それが我々の労働にどのような影響を持つかだ。気力も体力も吸い尽くされ、人生の晩年に釈放されても、あなたの青春は取り戻せない。健康寿命の分だけ生きられたとしても、鏡に映るのは、老けた労働者。何かしらの病や常備薬の必要な生活、痛みを抱えた足腰、鈍った頭、つまり労働価値を失った存在だ。 ー 政治哲学者のカティ・ウィークスの言葉を借りれば、いまや上司は労働者の「態度、やる気、行動に基づいて」採用し、評価し、昇進させ、解雇することができるのだ。つまり従業員の感情は売買可能であり、シフトのあいだ雇用主は彼らからその感情を借り受け、変容させているのだ。 ー だが皮肉なことに、勤勉に働くことで良い人生が手に入るという理想を言じること自体が、良い人生を手に入れる際の最大の障害になるのだ。 残念なことに、起業家も経営者も、こうした呪縛からは解き放たれない。洗脳された幸福の中で死を迎えられるなら怖くはない。しかし、自ら洗脳を解こうとする人間は、取り返しがつかない。読書を重ねて考え続ける事は、その立ち位置を中途半端にする意味では自殺行為であり、罪深い。 社会的な進化や成長なんて本当に必要だろうか。持続のためにゆっくりと衰退軌道に入る時、蓄積されたグリードは何を吐き出し始めるのか。 我慢せずに生き始めなければ。

Posted by ブクログ