商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 集英社 |
| 発売年月日 | 2023/04/20 |
| JAN | 9784087445107 |
- 書籍
- 文庫
パリの砂漠、東京の蜃気楼
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パリの砂漠、東京の蜃気楼
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商品レビュー
4.2
68件のお客様レビュー
『パリの砂漠、東京の蜃気楼』 金原ひとみさん 初のエッセイ …という事なんですが そもそも… わたしはエッセイが得意な方ではない 嫌いではないのだけれど… その人が書く小説とのギャップに ...
『パリの砂漠、東京の蜃気楼』 金原ひとみさん 初のエッセイ …という事なんですが そもそも… わたしはエッセイが得意な方ではない 嫌いではないのだけれど… その人が書く小説とのギャップに 驚かされたりすることが ちょっぴり不安になってしまうからだ それでも… 江國香織 、山田詠美 、三浦しをん 朝井リョウ 、さくらももこ などのエッセイは 結構 読むのだけど (⋆ᴗ͈ˬᴗ͈⋆) 苦手なくせに結構いるね!……って? ねぇ…わたしもびっくりん子 よぉ ( ຶ⍢ ຶ) 金原ひとみさん の エッセイは… ある意味、安心した 等身大の彼女……と 言うか 飾らない 金原ひとみ が魅力的に映る 繊細で…小説との差がそれ程なく 安心なのに…… どこか 不安定で ちょっぴり心配な彼女自身が 不安定なまま描かれている そして そんな 金原ひとみが 私の中に すぅーーーっと入ってくる 決して楽しく愉快というエッセイではない ただ、ある意味…等身大の 金原ひとみさん が 本の中には存在して その 危険なくらい正直な姿に 眩暈を感じてしまうのに 文章からは 彼女の脆さは微塵も感じられない 前半は、フランスに六年間滞在していて もうすぐ 日本に帰国するって頃までのお話 後半は、日本に帰国して生活を送り、 仕事で再びフランスを訪れるまでの 日々を綴っています このエッセイを読んでいると… 金原さんの小説が蘇ってくる感じがするの エッセイなのだけど…連作短編集のようなものを 読んでいるかのような 錯覚 今まで読んできた小説は 時期的にも フランスで書かれていたんだなぁ… と思うとちょっと納得かなぁ これはパリでのお話。 お友達が金原さんを気遣って言った言葉 「あなたは大丈夫?」 「何が?」 「今日は何だか月にいるみたい」 月にいる、というのはぼんやりしている人を 表現する言い回しだ。 ……と、あります。 ここの部分…素敵だなぁって 結構、印象に残ってる一節なんです(* ᴗ͈ˬᴗ͈)” こうして 読み終えると… エッセイも "ありだな"と…… 作家さんの "素" の部分を 知って 次は "エッセイ" だけじゃなく 小説も読んでみようかなって気分になるんだな なんて、感じてしまいました(*´艸`)フフフッ♡
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このエッセイで描かれる金原ひとみの感情に共感したと同時に、何を思ってもいいんだなと思えてすごく楽になった。わたしも金原ひとみと同じようなことを考えることが多くて、それはわたしの頭がおかしいからで直さなきゃって思ってたけど、そんなことはなく、何を感じても思ってもいいんだって心から思...
このエッセイで描かれる金原ひとみの感情に共感したと同時に、何を思ってもいいんだなと思えてすごく楽になった。わたしも金原ひとみと同じようなことを考えることが多くて、それはわたしの頭がおかしいからで直さなきゃって思ってたけど、そんなことはなく、何を感じても思ってもいいんだって心から思えた。赤裸々な感情を綴ってくれてありがとう。
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幸せを感じながら、泣きそうで死にたくもなる。 子育て、母の部分と、自分の部分。 そういうところに自分の感情も揺さぶられて、魅力的なエッセイだった。 金原さんはとにかく生きづらかったのだろうと思う。ただ、その生きづらさをここまで言語化して、きれいな文章で表現できるのはある意味うら...
幸せを感じながら、泣きそうで死にたくもなる。 子育て、母の部分と、自分の部分。 そういうところに自分の感情も揺さぶられて、魅力的なエッセイだった。 金原さんはとにかく生きづらかったのだろうと思う。ただ、その生きづらさをここまで言語化して、きれいな文章で表現できるのはある意味うらやましいと思ったり。 以下メモ ・日本に帰国して以来、自分のからっぽさがよりくっきりと見えるようになった。フランスでは、マイノリティであること、フランス語力が低いまま生活する苦労、雑多乱雑な日常の中で紛れていた空っぽさを、それらがない世界で直視せざるを得なくなったのだろう。 ・入園可の知らせを聞いたとき、安堵で泣けてきたという話をよく聞く。確か私も第一子の入園可の知らせをもらったとき泣いた。でもそれよりもよく覚えているのは、保育園に入れなかったらと想像して強烈な不安の中で泣いていた時のことだ。 入園可の知らせは、出産して以来ずっと孤独だった私の心に初めて明かりを灯してくれた。 ・妊娠した時点でピストルに弾をこめられ、出産したら最後ロシアンルーレットに強制参加という未来が待っている中で子どもを持とうと思える女性がどれだけいるだろう。 ・長女はいつか気づくだろうか。ふとした拍子に「なんか悲しいなあ」と言うとき、必ず私が「私も悲しいんだ」と答えていることに。そして気づく。私は幼いころ、悲しみに共感してくれる人が欲しかったのだと。そして今、もはや私は悲しみに共感してくれる人を欲していないのだと。私の悲しみなど露知らず、自ら進んで修行に赴く人に救われているのだと。 ・長女と笑いあって「かわいいなあ」と目を細める私は本当に愉快で幸せを感じていたけれど、この文章を書いている今の私は、胃が空洞になったような物悲しさを身体の中に感じ涙を浮かべている。 思えばずっと泣きそうだった。でもずっと幸せでもあった。
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