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遅いインターネット 幻冬舎文庫
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遅いインターネット 幻冬舎文庫

宇野常寛(著者)

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遅いインターネット 幻冬舎文庫

825

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 幻冬舎
発売年月日 2023/04/06
JAN 9784344432772

遅いインターネット

¥825

商品レビュー

3.6

9件のお客様レビュー

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2025/05/14
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※このレビューにはネタバレを含みます

村上春樹がエルサレム賞を受賞した2009年、インターネット上では、ガザを攻撃するイスラエルの賞を受賞すべきか?という議論が起きていたのを覚えている。「賞を辞退すべきか?」「授賞式には出るべきか?」「戦争、侵略行為の反対を唱えないのか?」受賞に賛成の声や、村上に失望したとの声、彼の考えは?彼はどう行動すべきか?など、多くのブログ記事と、その記事のコメント欄での盛んな議論、受賞式直前の沈黙の時間帯、すぐに海外から伝わってきたあの「壁と卵」の見事な受賞スピーチ(NHKのニュースになったのは確か2日後くらいだった)。インターネットの言論空間の意義を感じていたあの頃とは異なり、SNSが中心となりコンテンツの閲覧数を増やすことが直に収入に繋がるようになった今、インターネットは大きな害をもたらしている。インターネットに意味を取り戻すための具体的な試みを行おうとしている著者の主張や行動に共感するし、今後の展開に期待もしている。

Posted by ブクログ

2025/04/28

私は宇野常寛の本は『ゼロ年代の想像力』と『母性のディストピア』しか読んでいないのだが、彼の思想はある種戦後民主主義の崩壊とその後の情報社会に対するそのアップデートという一本の軸に貫かれている感じがして、論旨も明快で非常に読むのが楽しい。今回の『遅いインターネット』を読んで得た収穫...

私は宇野常寛の本は『ゼロ年代の想像力』と『母性のディストピア』しか読んでいないのだが、彼の思想はある種戦後民主主義の崩壊とその後の情報社会に対するそのアップデートという一本の軸に貫かれている感じがして、論旨も明快で非常に読むのが楽しい。今回の『遅いインターネット』を読んで得た収穫は、いわゆる批評家が(東浩紀しかり宇野常寛しかり宮台真司しかり中島義道しかり)活動の主眼を本を書くことからコミュニティを形成することに移していることへの疑問(というか半分は不信感)が多少なりとも解消されたということだった。 本書は4章構成だが1章はほぼ『一般意志2.0』や『22世紀の民主主義』、『なめらかな社会と、その敵』と似ていて、衆愚政治に堕した民主主義から情報技術によって本来の政治を取り戻そうとするものだった。特徴的なのはそこで志向されているものがある種テクノクラート的な職業人による仕事の延長として政治が捉えられていることおよび、選挙というものを祝祭と捉え、選挙以外の日常生活の中に政治を接続しようとする試みを描いていることだろう。まあこれもオードリー・タンの受け売り感はあるが(自分で言及してるし)。誤解のないようにいうが、私自身はこういう情報技術の政治は(東や成田のような半ポピュリズムはどうかと思うが)首肯できるところがある。問題はそうした手法が必ずしも全ての政策分野に当てはまるわけではないことで、例えばきわめて専門的な知見を要する事業や長期的な規模間の政策、また誰もやりたがらないが必要不可欠な政策については日常の延長としての政治という手法だけでは無理があると思う。まあその辺も織り込んだ上での議論を宇野はしているので、こうした議論の中では比較的手堅いものか。 2章はほぼ『ポケモンGO』おもしれーっていう話。『母性のディストピア』でみた。 面白かったのは3章で、ここでは吉本隆明の『共同幻想論』の再評価を行いながら現代の情報社会(『母性のディストピア』で描いていた肥大した母胎としての情報技術)における自己像を肥大した自己幻想が共同幻想や対幻想を取り込んでいる状況に喩えている。またここで重要なのが(言い忘れたが本書全体を貫く通奏低音でもあるが)階級の問題で、そもそも情報社会で自己幻想のみで自立しうるのは経済的・人的資本を持った個人のみで、大半の大衆は自己の意見を持つ能力もなく他人の意見をリツイートしたりすることによって自分の意見を言った気になるという意見の格差とでもいうべきものが存在しているということだ。これは本書の冒頭でも、世界に経済活動を通して素手で触れている層と、その実感を持たず政治にその捌け口を求めている大半の大衆層との分断を非常に問題意識を持って述べている。再びトランプ政権が台頭しつつある現代ではこの格差という見方は今の分断の図式を整理してくれたと思う。 4章は1〜3章の議論を踏まえ、リテラシーを養いタイムラインの流行に流されずじっくり熟考する主体を養うためにコミュニティを作ろうという自身のプロジェクトを描いたもの。このコミュニティが成功したのかは私も部外者なのでよく知らないが、理念自体はいいと思う。ただそれは結局、そういうコミュニティに属そうとするだけの意識高い系エリートだけしか包摂できてなくね?という感じがして、宇野が批判している『ポケモンGO』のエリート主義との差別化がうまくできてない気がする。まあこの辺はサロンの人のセールストークと捉えるべきか。 全体としてはまあ今となっては「そうやろなあ」という感じです当たり前のことを言っている感じだった。

Posted by ブクログ

2024/10/20

言語が国境に規定され、いわゆる母国語としての壁を超えるには、外国語を習得した上で、外国語の媒体を読み解くか、直接外国人と交流するという方法がある。インターネット以前は、これには物理的な限界があった。今、ネット上では、グローバルな距離は縮み、かつ、タイムリーに情報が公開され氾濫する...

言語が国境に規定され、いわゆる母国語としての壁を超えるには、外国語を習得した上で、外国語の媒体を読み解くか、直接外国人と交流するという方法がある。インターネット以前は、これには物理的な限界があった。今、ネット上では、グローバルな距離は縮み、かつ、タイムリーに情報が公開され氾濫する。更に、機械翻訳も可能。とても便利な時代になって、情報も民主化され、より平和な世界市民的社会が到来するのだ…と無垢に考える人はいないだろう、残念ながら。 フェイクニュース、快楽のための生贄探しや炎上、排外的なヘイト、欲望を刺激するための性的ポルノや消費を煽るリコメンドが溢れる。ここでいう遅いインターネットとは、アナログ回線の事でも、スペックの低いCPUの事ではない。一呼吸おいて自ら思考した上で扱う媒体たれ、というニュアンスを含む。インターネット至上主義は間違いで、であれば民主主義の究極は、結局、全員参加型の意思決定プロセスにはない、と私は思う。弁証や最適解を扱う分野には、それなりのトレーニングが必要なはずで、ポピュリズムに任せたり、それをハックできてしまう状況は危険なのだ。大衆迎合は、大衆操作のためにある。 コミュニケーションをネット空間に置換しても、結局、人間はテキストを誤読するし、自らの感情や論理をテキストで表現仕切れない。原始的な言葉は、顔の表情や身体ランゲージに表れるのであり、声の大きさや震え、つまり、テキストの行間は肉体に任される部分も大きく、対外的には、更に語彙力に致命的に制限されるからだ。この語彙力を駆使した論理の力こそが学問や学歴、偏差値の序列に作用する。インターネットは、一見、この壁を取っ払ったかに見えたが、行間の壁は崩せなかった。 検索でヒットしない現実は存在しない。同様に、語彙に語られぬ現実もまた、表出しない。 なんて事はない。語彙力など、顔文字における眉毛の角度、いいねの指の位置と変わらない。直角のいいねを傾ければ、それは一部不同意を示すなど新たな認識をルール化すれば、そこから一つ語彙が生まれ、運用されるに過ぎない。数学的語彙など、0〜9の記号のみでも大方の論理を説明できてしまうではないか。本当に大切なのは、論理を紐解く読解力である。専門用語は、論理の独占と権威付けのために用いる隠れ蓑であり、内輪ネタ、他者排除のための縛りゲーである。 バベルの塔の本質もまた、言語の多様化ではなく、語彙と論理を権威側が我が物としてしまう事での排外主義的思想にあるまいか。そこに辿り着けない知性の残滓でインターネットを扱うなら、早かろうと遅かろうと、自ず、民主主義は限界であったという事だ。

Posted by ブクログ