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みんなが手話で話した島 ハヤカワ文庫NF
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 早川書房 |
| 発売年月日 | 2022/10/04 |
| JAN | 9784150505943 |
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みんなが手話で話した島
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みんなが手話で話した島
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商品レビュー
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1991年に発行された単行本を文庫化したもの、文庫化されたこの本自体の発行が2022年なので、30年ぶりに復刻したといっても良いかもしれない。 解説によると長らく絶版で、手話の歴史を学ぶ人間ならば知ってて当然の書籍だったという。 岩波ジュニア新書『手話の世界をたずねよう』にも...
1991年に発行された単行本を文庫化したもの、文庫化されたこの本自体の発行が2022年なので、30年ぶりに復刻したといっても良いかもしれない。 解説によると長らく絶版で、手話の歴史を学ぶ人間ならば知ってて当然の書籍だったという。 岩波ジュニア新書『手話の世界をたずねよう』にも引用されていたこともあり、読み始めた。厚みはたいしたことはない訳者あとがきを除けば、250ページである。しかし、センセーショナルな導入もなく、ただひたすらに誠実書かれたこの本は刺激に慣れている読者には、かなり 手強い感覚がある。 当該の島であるマーサズ・ヴィンヤード島の自体の解説に歴史、島に暮らしていた聾者を含む島民の血統や歴史、その背景である世界の歴史、こうした前提となる部分を丁寧に説明しているので、おおきな起伏がなく歴史に素養のない私にはかなり難しいところがあった。けれども後半になると、島の聾者たちの生活についてが生き生きと描写されていて、それがどういう背景によって成されたものなのか、そしてそれがどういった形で失われていったのかが詳細に説明されていた。長らく絶版であったが、強く復刻が望まれていた理由がわかる。 ハンディキャップは、そのハンディキャップの持ち主が所有しているものではなく、社会が所有しているものだという話は見聞きする。30年前、その言葉はおそらくは画期的な視点だったと思う。しかし今となって、その視点は画期的なものではなくなっている。それなのに、現実はハンディキャップによる壁と柵と、断絶ばかりが目についている。長く続いていた偏見は、いまだに払拭出来ていない。否、紀元前から続く偏見を30年そこそこでなんとかしようというのが無理というものなのかもしれない。先は長いが、そのささやかな一歩に貢献したいと思った。
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とあるPodcastで冒頭の朗読を聞いてからずっと読みたくて、地元の本屋で探したけど見つからないまま、なぜか数年が経過。 2025年、デフリンピックを見に行くことになり、ふと本屋に入ったら特集コーナーに置いてありようやく読めた。街に本屋があることって本当に大事だ。 とても面白か...
とあるPodcastで冒頭の朗読を聞いてからずっと読みたくて、地元の本屋で探したけど見つからないまま、なぜか数年が経過。 2025年、デフリンピックを見に行くことになり、ふと本屋に入ったら特集コーナーに置いてありようやく読めた。街に本屋があることって本当に大事だ。 とても面白かった。2025年に読んだ本の中で、個人的重要度トップ5に入るくらい大事な本になった。 聾がありふれているため聾も健聴も関係なく手話を話し、聾であるということが欠陥として認識されない社会。障害というのは、個人ではなく社会の側にあるということをヴィンヤード島の事例は本当に示してくれる。島の遺伝性聾の当事者はすでに全員が亡くなっているが、著者は、現地に赴き、当時を知るインフォーマントの証言を多数採集している。「あの人は漁が上手でしたよ、ああ、言われてみれば聾でしたね、忘れてました」という島民の証言は、聾がどれだけ島でありふれていて、聾の人がどれだけ普通に当然に島の社会に溶け込んでいたかを表している。裕福な聾者もいれば、貧しい人もいたという。 そもそもどうやってそんな社会ができたか。遺伝性聾の遺伝子を持った先祖からはじまった孤立した地域集団が、島という環境で近親交配を数世代にわたって続けたことで聾が顕著に多い地域社会が出来上がった。聾の発生は完全にランダムであったために、特定の人や一族のスティグマではなく、社会全体のものとして捉えられた。 (遺伝の優性劣性というワードを高校生の生物の授業以来、久しぶりに聞いた…) 20世紀になり、島が外界と交わるようになると、遺伝性聾は劣性であったために聾は減少し、聾=特異なものという概念が輸入されてくる。手話を話せる人が減っていく。また、外部からは近親交配の野蛮な社会として貶されるようになる。この時期の島の聾者が感じたであろうストレスを想像すると、「交流」がもたらしたものに対して、何とも言えない気持ちになる。 ヴィンヤード島の事例について考える時、例えば聴力以外の何らかの身体的特性の遺伝だったとしても、同じように社会として適応することができたのか、とか考える。すなわち、聴覚ではなく、視覚や、運動能力、知的特性、あるいはもっと重い身体条件に関する遺伝が頻発する社会だったとしたら、それでも(手話のような)共通の社会的適応や、「欠陥」ではなく「ありふれた差異」としての位置づけが可能だったのだろうか?そんな仮定に意味はないのかもしれないけど、なんとなく考えてみたい。 地域社会というものの可能性を知る一冊。 障害とは何か、社会とは何か、考えさせられる素晴らしい本です。
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音が聴こえる人も、自然と手話を習得して、聴こえない人を区別する事なく社会に受け入れていたという、そんな素敵な社会が、かつて存在していたという話。障害とは一体なんだろうか?意思の疎通さえできれば障害とはみなされない社会。むしろ現在、同じ日本語を使っていると思っている人でも、意思の疎...
音が聴こえる人も、自然と手話を習得して、聴こえない人を区別する事なく社会に受け入れていたという、そんな素敵な社会が、かつて存在していたという話。障害とは一体なんだろうか?意思の疎通さえできれば障害とはみなされない社会。むしろ現在、同じ日本語を使っていると思っている人でも、意思の疎通ができなければそれは障害なのではなかろうか。
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