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母親になって後悔してる
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母親になって後悔してる
¥2,200
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商品レビュー
3.5
114件のお客様レビュー
本のタイトルを見て、思わずドキッとしてしまった。社会に染み付いているように、私自身も母親を一種の神聖な存在として認識していたからかもしれない。母親になって抱える後悔について、想像をした事などなかった。だから、「母親になって後悔してる」という言葉は私に衝撃を与え、本を手に取るきっか...
本のタイトルを見て、思わずドキッとしてしまった。社会に染み付いているように、私自身も母親を一種の神聖な存在として認識していたからかもしれない。母親になって抱える後悔について、想像をした事などなかった。だから、「母親になって後悔してる」という言葉は私に衝撃を与え、本を手に取るきっかけになった。 母親は愛情を持って接してくれていたけれど、「母親になって後悔してる」と感じた事はあったのだろうか。自分自身が「母親になりたいと思わない」理由は何だろうか。そんな、母と私の視点で本を読み進めていきました。 読後には、母になる事や母親に求められている事に対する、もやもやと感じている感情が言葉として認識できるようになった。出生率が下がっている世の中ですが、それは環境的な要因だけではなく、多くの女性たちが社会が女性たちに強いている事への”NO”の感情の表れではないかと思う。 性別に関わらず、全ての人にこの本を読んでもらいたい。そして、私は意見を交わしたい。「母親になりたいか?」と。
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深い、ほしてストーレート こんなにも多くの人が、感じていたとは タブーで他言できないからこそ、この本の存在は大きい この本は 現在進行系で苦しみの中にある人だけが研究対象で、 母になったことは後悔しているが、子供は愛していると語る 産んだメリットは、 まったくないと言い切る...
深い、ほしてストーレート こんなにも多くの人が、感じていたとは タブーで他言できないからこそ、この本の存在は大きい この本は 現在進行系で苦しみの中にある人だけが研究対象で、 母になったことは後悔しているが、子供は愛していると語る 産んだメリットは、 まったくないと言い切る人 人生に深みが出る コミュニティが広がる 大事にしたいと思う一方 もう勝手にしてほしいと 相反する思いが交錯する 産んでなければ、後悔もないのだから、 産んだから、後悔できたのだということもあるかもしれない。 毎日が良いことだけの子育てではないから 向いてないと思うことも、助けを求めながらできればと、思った
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「大変だ、辛い」と感じる時、それが人類にとってもしかしたら不自然な形なのではと疑ってみる。原始的には狩猟採集、集団生活であったが、それが気候変動や人口増により、否応なく定住を強いられた。子育てにしても、定住化により出産サイクルが早まり、集団間の闘争とジェンダー固定に繋がり、更に厳...
「大変だ、辛い」と感じる時、それが人類にとってもしかしたら不自然な形なのではと疑ってみる。原始的には狩猟採集、集団生活であったが、それが気候変動や人口増により、否応なく定住を強いられた。子育てにしても、定住化により出産サイクルが早まり、集団間の闘争とジェンダー固定に繋がり、更に厳しくなった。ようやくこの1世紀位の間に機械化が多少の家事からの解放を齎したが、料理や子育ては変わらない。 「産まなければ良かった」とは思わないし、言わないようにしているが、大多数が一度は考える、母にならない選択肢とその後悔。本書では多くの女性が勇気を出してそれを口にすることで、強いられた運命を見つめ直す。 排泄や生殖、暴力は動物的だ。生々しい。それだけではなく、妊娠も出産も子育てそのものも、動物的で原始から変わらない。これだけ脱動物化していく世界において「動物的な状態」は避けられていない。歪みが生じている。で、脱動物化志向の結果の一つが少子化ではなかろうか。 ー すべての女性は出産すべきであるという社会的前提は、一部には、女性とその肉体との間の緊密で基本的な相関関係に端を発している。女性が、自然界の要素と同一視されるのは、妊娠・出産と母乳育児という動物的を見なされる能力を持つためだ。したがって、私たちの体は、妊娠できるかどうかによって評価される。つまり出産能力こそが、私たちの生命の本質であり、そのことが存在を正当化すると考えられるのだ。女性は「すべての生命の母」と認識され、生命の泉であり、人間の生存意欲に深い関わりを持つとされる。女性に対するこの評価基準は、女性を自然界の網に閉じ込めている。というのも、この問答無用の仮定によって、解剖学的に生殖できる可能性があるというだけで、女性は母になることを義務付けられているからだ。 「教師の前に人間である」みたいな言葉がある。私はこうした定型句は基本的に「人間である事と動物的である事」を切り離さず、性や保身を自己弁護する表現として嫌悪するが、「女性の前に人間である」という考え方は重要だと思う。強制的動物性(女性)と志向的動物性(男性)は、峻別して語られるべきであるからだ。
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