商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | ナナロク社 |
| 発売年月日 | 2020/06/25 |
| JAN | 9784904292945 |
- 書籍
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おやときどきこども
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おやときどきこども
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商品レビュー
4.7
34件のお客様レビュー
なんだか色んな子供、親がいて、それぞれの関係性も千差万別で、自分が親になることがあれば絶対もう一回読みたいと思った。
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子どもと親の関係性についての本。 『自分の親に読んで欲しかった本』と内容がかぶる部分もあり、信頼性が高そうだと思った。 一番心に残ったエピソードはマリアさん。彼女が幸せに過ごしていることを心から願いたい。 いかに『良い子育て』をしたとしてもそれが良い結果になるとは限らない この...
子どもと親の関係性についての本。 『自分の親に読んで欲しかった本』と内容がかぶる部分もあり、信頼性が高そうだと思った。 一番心に残ったエピソードはマリアさん。彼女が幸せに過ごしていることを心から願いたい。 いかに『良い子育て』をしたとしてもそれが良い結果になるとは限らない この言葉が一番刺さったかな。 ユマニチュード、外在化、リフレクションの技法はもう少し詳しく知りたい。 子が大きくなったら自制の意味でまた読み直したいと思う。
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子どもが産まれた時福岡の友人がおすすめ書籍をドサっと贈ってくれて、その一冊 産んだ直後でなく子が生後10ヶ月を迎えたいま、おうち知育だの幼児教室だの 「子どもにとっていいことをしましょう」のメッセージがタイムラインを埋め尽くすようになってそれにモヤモヤを感じつつすべてが手探りが故...
子どもが産まれた時福岡の友人がおすすめ書籍をドサっと贈ってくれて、その一冊 産んだ直後でなく子が生後10ヶ月を迎えたいま、おうち知育だの幼児教室だの 「子どもにとっていいことをしましょう」のメッセージがタイムラインを埋め尽くすようになってそれにモヤモヤを感じつつすべてが手探りが故のぼんやりした不安感を解消したくてつい見てしまう、けどこの「解消」が「期待」になり「呪縛」にならないかという不安感が同時に生まれるマッチポンプ、そんないま現時点にこの本を読めてほんとうによかった 特にこころにブッ刺さった箇所↓ 「でも考えてみれば、その時期の子どもは、ただ自分が置かれた環境に身を置き、与えられた条件に追従するしかない存在です。とすると、子どものその後の長い人生の命運を握っているのは、人生においてごく初期の数年間にそばにいる、親や兄弟といった家族に他なりません。 そう考えると、子どもというのはひとりの例外もなく不憫な存在です。自分の人生を決定づける最も大切な時期が、自分の力ではどうにもならないところでいつの間にか過ぎ去ってしまい、そして過ぎ去ったあとには、それをどれだけ悔いても当人の力では取り返しようがないのですから。」 (p.119-120) 「いかに「良い子育て」をしたとしても、それが良い結果をもたらすとは限らないということは、そもそも初めから「良い子育て」なんてないのかもしれません。良い子育てをしようと日々の努力を惜しまないお母さんたちは、まじめさ自体がその人であり、良くも悪くもそうでしかいられません。(中略) しかし、お母さんたちの誠実さの発露そのものが、場合によっては子どもに毒になることがあるというのは悩ましい問題です。 そう考えていくと、子育てというのは、むしろ親が方法論や良し悪しという価値判断からできるだけ離れることからしか始まらないのかもしれません。良い子育てをしようなんて思わずに、日々目の前で繰り広げられる出来事をそのままに肯定する。自分のたよりなさに幾度となく揺れながらも、子どもに触れ、感応することを通して、その存在を新たに肯定し直す。その繰り返しが子育てなのだろうと思います。」 (p.125-126) 「例えば、子どもに何かを要求するときには、父と母が意見を一致させて子どもに言えばいい。または、子どもに言う担当を決めて、どちらかだけが言えばいいということになります。または、子どもの言い分をできるだけ聞いて、もしそれが間違っていると思えば理を尽くして穏やかに子どもを説得しようとします。そうすることで、夫婦は不和になりにくく、子どものほうも混乱せずに済みます。 こうして、よそよそしい人間関係が家庭内に持ち込まれます。この新しい家族像こそが昨今のさまざまな親子問題の由来でもあるのですが、それでもこれを書いている私自身、昔の葛藤が多い家族に戻りたいとは思いません。また、戻ろうと思って戻れるわけでもありません。 でも、いかに私たちがよそよそしさの中にその身を浸したところで、葛藤がほんとうに消えてなくなるわけではありません。家庭内の葛藤に対して見て見ない振りをし続ければ、必ずどこかに無理が生じます。そしてその歪みは、家族の中で最もたよりない存在(多くの場合は子ども)に災禍となって降りかかります。」(p.112) 「親は子どもに、祝福と呪いとを同時に与えうる存在なのです。」(p.143) 「子どもの「遊び」にかまっていられない親が、その代理物としてすがるのが「企て」です。中でも、塾や習い事は、やってる感が得られやすいので、安心したい親としては便利なツールです。子どもが手から離れる上に、将来のために目的を見つけて成長していく子どもの姿を見ることができるわけですから、親にとってこれ以上のことはありません。こうして「遊び」を侵食する形で、ある目的を達成するための「企て」が子どもの生活の大半を占めていくことになります。 こうした「企て」には本来的に転倒が潜んでいます。私たちはある目的を達成したいから「企て」が生じると考えますが、そうではなく「企て」という欲求によって事後的に「ある目的」が召喚されるのです。目的というのは初めから素朴にあるのではなく、目的的に動きたい私たちが目的的に動くために自らの手で立てるフラグの一種です。」(p.152) 「私たちは、「意志」という都合のいいものを利用して子どもたちに責任を押し付けようとする行為をそろそろ割らなければなりません。子どもたちが、他人に押し付けられた「意志」に目を曇らされることなく、いまここの現実に開かれたまま、即興的に生きていく喜びを見出すことを願ってやみません。」(p.205)
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