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ポストモダン・ニヒリズム
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ポストモダン・ニヒリズム

仲正昌樹(著者)

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ポストモダン・ニヒリズム

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 作品社
発売年月日 2018/11/30
JAN 9784861827181

ポストモダン・ニヒリズム

¥2,860

商品レビュー

3.5

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2025/10/29

著者の現代思想にかんする解説書は、地味ではあるものの、それらの議論が登場する思想史的な脈絡や歴史的・社会的経緯がていねいに説明されており、他の解説書とは一線を画しているように思います。また、本の執筆のペースが非常に早いことも、読者としてはたいへんありがたく、なかには著者の経験に由...

著者の現代思想にかんする解説書は、地味ではあるものの、それらの議論が登場する思想史的な脈絡や歴史的・社会的経緯がていねいに説明されており、他の解説書とは一線を画しているように思います。また、本の執筆のペースが非常に早いことも、読者としてはたいへんありがたく、なかには著者の経験に由来する不満や苛立ちがあからさまに表明されていて驚かされることもあるのですが、わたくし自身はこれまで著者の本から多くのことを学んできました。いわゆる「現代思想」を、現代社会や世相を理解するためのツールとして紹介するのではなく、あくまで哲学ないし思想のテクストとして読み解く著者のスタンスに対して、大きな信頼をいだいています。 ただそれでも、現代思想の解説書というスタイルを採用しているためか、西洋哲学の中核的な問題に踏み込むことを回避する傾向があるように感じました。本書に収録されている「ハーバマスとデリダ」は、比較的長大な紙数が割かれており、デリダ=サール論争にも触れつつ両者の関係がわかりやすく解説されているのですが、ハーバーマスの普遍的語用論および討議倫理学がもつ、超越論的な性格には触れられていません。著者は、ハーバーマスの考える「コミュニケーションする主体」が、「不透明で非人称的な「エクリチュール」の差延の効果にすぎないとすれば、……ハーバマスの普遍的語用論やそれに基づく討議倫理学は根底から崩れる」とデリダの批判の意図を解説しています。しかし、こうしたデリダの批判が意義をもつものになりえているのであれば、まさにそのとき、彼は倫理学の条件にかんして有意義なコミュニケーション行為をおこなっているのであり、超越論的語用論にもとづくフォーラムに参与していることになります。 『ポスト・モダンの左旋回』増補新版(2017年、作品社)に収録されている「ドゥルーズのヒューム論の思想史的意義」という論考でも、ていねいに解説してほしいと思うところが書かれていないという気分をあじわったのですが、今回も同様の感想をいだきました。わたくしの邪推なのかもしれませんが、一般の読者向けの解説書にふさわしいテーマかどうかということにかんして著者なりのラインが存在しており、それを越える内容に立ち入ることを避けているのではないかという気がしています。

Posted by ブクログ

2019/08/24

著者の議論についていけるか、不安を覚えながらも、試し読みで理解ができたので、購入した。しかし、本格的に読解をしてみると、20世紀のヨーロッパにおける思想状況は、説明を読んでも上の空だった。ロックやアダム・スミスやヘーゲル、それにマルクスの思想の骨子を説明した内容はすうっと理解でき...

著者の議論についていけるか、不安を覚えながらも、試し読みで理解ができたので、購入した。しかし、本格的に読解をしてみると、20世紀のヨーロッパにおける思想状況は、説明を読んでも上の空だった。ロックやアダム・スミスやヘーゲル、それにマルクスの思想の骨子を説明した内容はすうっと理解できるのに、20世紀の思想状況であるポストモダン思想は上の空で説明を聞くしかなかった。従って、最終章のヨーロッパ事情は鼻から無理だと決めつけて読まなかった。しかし、ポストモダンやマルクス主義を踏まえて、日本の近年の思想動向を説明したあたりは、やはり自国の事情である故、極めて現実味を帯びた話として興味深く読んだ。実際、フリーターが新しい生き方として称揚された時代が一変して、バブル崩壊以後、不安定な職業生活としてネガティヴに受け取られていくあたり、掃除のおばちゃんから同様の評価を私は聞いていた。また、全共闘の加担者たちが寄る辺なき自分たちの思想的基盤をどうにかしようと、怪しい実践活動に従事していた、そんな裏話も興味深く読んだ。そもそも、先の大戦で敗北し、アメリカに日本のそれまでの思想を粉砕された我々日本人は、思想的に迷える子羊となり、生きる指針としても諸説紛々として定まらない、そういう状況が続いたのではないか。しかし、日本という国は絶対的価値で統御するはできず、タコツボのような社会の中の狭い居場所でそれぞれあまり干渉し合わず生きているのが現実かもしれない。そんな日本人が隣の人は何する人ぞと芭蕉の句を見た時、文学が人々の絆となる可能性は露わになっていたと思う。仏教の儀式、お盆や葬式も絆を生む形式だが、宗教的絶対価値、南無阿弥陀仏などに絶対帰依する人もそんなに多くない。つまり、生きる信条を振りかざすより、我々は世の中の流れに乗って気持ちよく生きている。そんな我々でも国際社会と協調して社会生活を送るには、戦前の価値には戻れず、アメリカの粉砕を一旦受け入れて再スタートせざるを得ない。結果、迷える子羊のままだが、必要なのは古来の日本的価値と連続性を再構築し、国際的にも門戸を開くこと。曖昧だが、立ち位置を定めなければならない。

Posted by ブクログ