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異教の隣人
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異教の隣人

釈徹宗(著者), 毎日新聞「異教の隣人」取材班(著者), 細川貂々

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 晶文社
発売年月日 2018/10/26
JAN 9784794970619

異教の隣人

¥1,815

商品レビュー

4.3

11件のお客様レビュー

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2024/11/15

細川貂々さんの本と一緒にたまたま図書館で借りていた一冊。 タイトルが硬いので一見手に取りにくそうですが、内容は読みやすくてとても面白いです。 気にはなるけどよく知らないちょっと怖いんではって感じのイスラム教とか、ジャイナ教とか、仏教だけど台湾?ベトナム?キリスト教だけど正教会って...

細川貂々さんの本と一緒にたまたま図書館で借りていた一冊。 タイトルが硬いので一見手に取りにくそうですが、内容は読みやすくてとても面白いです。 気にはなるけどよく知らないちょっと怖いんではって感じのイスラム教とか、ジャイナ教とか、仏教だけど台湾?ベトナム?キリスト教だけど正教会って何?コプト、巫俗(ふぞく)って何?聞いたことないぞ、看取り?春節?とか、宗教そのものだけでなくてちょっとだけ斜めのところからの話も入っていて大変興味深い。 内容は「異教の隣人」というタイトルそのもので、日本に住んでいる外国人の方々の宗教とそのあり様を「ちょっと覗かせてもらう」「ちょっと体験してお話聞かせてもらう」というコンセプトの一冊。 気にはなるけどよく知らない宗派について、一編当たり数ページという読みやすさで取り上げてくれています。各章のあとに「釈の目」という釈先生の小コラムまとめ的文章があるのも良い。 「日本に住む異教さん」というだけあり信仰を継続するのにとても皆さん苦労していらっしゃる。 でもどの人も、日本社会の中でうまく馴染めるよう工夫して苦労して自分の信仰を大事にしていらっしゃる。 ベトナム仏教の寺院をカトリックを信仰している人が支援してくれたり、台湾仏教の人たちが宗派というよりも共同体としての交流を大事にしていたり、「信仰を持つ」ということは本来このように他者に寛容で戒律はあるけれども心持ちとしてはゆったりとしたものなのではないかなぁと思いましたね。 イランの名物店主メヘラリさん、すごく素敵な人だなぁと思いましたね。 どの宗派の方も日本の暮らしにおいて「子どもたちへの教育か思うようにできない」という悩みを言っていました。 そうだろうなぁと思います。本書は2018年発刊ですが、現在もっと日本のあらゆる地域・職種で外国の方々が働くようになり、その子供たちが親の母国語が話せなかったり、日本語もよく理解できていなかったり、自分の両親とさえ言葉がうまく通じない状況になっていたりという深刻な状況が広まっています。 宗教も含めた外国の方々の生活環境が整うのが追いつかない中で、子供たちが置き去りになっている状況が由々しいといつも思っています。(自分にはどうにもできないんですが…) てんてんさんの「生きづらいでしたか?」に釈徹宗さん登場していましたが本書は逆に釈徹宗さん著に細川貂々さん登場。 本書に登場するてんてんさんも「生きづらい〜」同様(?)「体験した」以上の深みはないのですが、漫画が途中で挟まることで小休止的なほっこり感がでます。 発刊より六年経ってますが、むしろ今これから読まれる本だと思います。

Posted by ブクログ

2021/05/31
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我が身につまされる話だし大阪ってすごいな···って思った あとコプト正教会の教皇がファンサで自分の顔写真入り扇子配ってたのはおもろい

Posted by ブクログ

2021/05/04
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

あなたのそばにいる人を知ることがまず第一歩。 毎日新聞の連載を本にしたものである。取材先が関西中心なので、特に関西の人は驚きや発見が多いだろう。知らないものは怖い。だから近付いて知ろう。同じになる必要はない。ただちょっと想像するだけでも、まったく知らないものは想像できない。的外れになるかもしれない。だから、知っていきたい。 様々な宗教の祈りの場が紹介されている。いわゆる教会や寺、礼拝堂だけではなく、墓地、学習の場なども取り上げられている。同じ場に集まることに意味がある。今、気軽に集まることができないからこそ、大切さを感じる。 宗教を核としたコミュニティーについて。母国ではそんなに信仰に熱心ではなかったけど、という人の言葉がある。異国での生活で自分のアイデンティティは母国の文化に寄るだろう。文化が宗教とほぼ同じ意味になることがある。宗教にアイデンティティを置いた場合、移民が孤独を増し、宗教を理由として過激な行動に走るのがネガティブな面なら、日本でそれぞれの宗教の場に集い、つながりを得て、前向きに生きるエネルギーに変えているというのは、宗教のポジティブな面なのだろう。このような異教の場を地域の人がどのように受け止め、どのように関わっていけるのかは、大きな課題だと思う。 ハラールフードという言葉が日常にも現れ、つい食文化にだけ目がいきがちだが、葬儀・埋葬についても大きな課題がある。ここは今まで考えていなかった。 キリスト教がおこなう社会活動について。キリスト教会に助けられたベトナム人たちはそのありがたさに感謝しているが、それでも違和感があり自分の宗教を求める。当然のことである。また、社会活動は布教・宣教なのではという疑問に対して、シスターがキリスト教の愛からの行動であり、その愛を知ってほしいけれど、何を信じるかはその人に委ねる、と答える。同じ宗教の人だけとくくらない愛と、同じ信仰だから得られるもの。それを間違えないようにしたい。

Posted by ブクログ