商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | マガジンハウス |
| 発売年月日 | 2017/08/24 |
| JAN | 9784838729463 |
- 書籍
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君たちはどう生きるか
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君たちはどう生きるか
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商品レビュー
3.9
304件のお客様レビュー
通底しているのは個人主義的・民主主義的なヒューマニズム
本書には、父親を亡くして母親と暮らす旧制中学2年生のコペル君こと本間潤一を主人公として、学校や日常生活において直面する様々な出来事や体験を通して成長していく彼の姿が生き生きとした物語として描かれている。子どもたちに向けた哲学書、道徳の書であるという。コペル君の傍らにいる叔父が、彼...
本書には、父親を亡くして母親と暮らす旧制中学2年生のコペル君こと本間潤一を主人公として、学校や日常生活において直面する様々な出来事や体験を通して成長していく彼の姿が生き生きとした物語として描かれている。子どもたちに向けた哲学書、道徳の書であるという。コペル君の傍らにいる叔父が、彼の気付きや悩み、相談事に対し一緒に考えながら、ものの見方や考え方を教え、行動の指針を与えてくれており、それらがコペル君に宛てた私信の形式に纏められ、「おじさんのNOTE」という付票で物語の節目節目に挿入されている。物語の中で取り上げられ、問われているのは、貧困やいじめ・暴力、歴史や学問などといった普遍的とも言えるテーマに、人としてどう向き合うべきかということであるが、通底しているのは個人主義的・民主主義的なヒューマニズムである。先の大戦前の1937(昭和12)年に刊行された本書は、戦後も読み継がれてきた歴史的名著とされるが、池上彰の前書きにもあるとおり、刊行された年には日中戦争の発端となった盧溝橋事件が勃発し、軍国主義・国粋主義の浸透の中でリベラリストまで弾圧された時代であったことに鑑みれば、刊行自体が歴史的意義を持つものと言えるのではなかろうか。本書から得られる示唆や教訓を絵空事、理想論と片付けるのは簡単かも知れないが、理想のないところに人間の夢や希望そして進歩はないであろう。本書は最後に改めて読者に問う。人としてどう生きるかと。この問いかけを真摯に受け止め、自分で考え、行動しなければならないのは、子どもたちだけではあるまい。
fugyogyo
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Tatsuya|人生どん底からの逆襲 @deccawa_tatsuya · Apr 21 【読書038】 #君たちはどう生きるか 帝国主義に向かう時代背景の中で、人としての正しい在り方を説いた書籍。主人公コペル君の日常の中で、彼の素直さや心の持ち様、そして叔父がコペル君に託す一つ一つの言葉が心に響く。原作出版から約90年。現代の我々にもこの本は問う、さてどう生きるか。 Tatsuya|人生どん底からの逆襲 @deccawa_tatsuya · Apr 21 「ありがたい」と言う言葉に気をつける。感謝すべき、お礼を言う値打ちがある、と言う意味ではなく、「そうあることが難しい」「滅多にあることじゃない」という意味である。今の状況下でどの様な心がけで生きるか。 #吉野源三郎 #君たちはどう生きるか Tatsuya|人生どん底からの逆襲 @deccawa_tatsuya · Apr 21 「汝自身を知れ」「己を省みよ」 ー 言葉だけの意味を知ることと、その言葉によって表されている心理を掴むことは、全く別のこと。我々は自分を振り返ってみるということがどういうことか。 #吉野源三郎 #君たちはどう生きるか
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「僕たちは、自分で自分を決定する力をもっている。だから誤りを犯すこともある。 しかし―僕たちは、自分で自分を決定する力をもっている。だから、誤りから立ち直ることもできるのだ。」という「おじさんのノート」の中の言葉が私は最も印象に残った。 なぜこの一節が私のなかで印象に残ったのか? それは、自分で自分を決定する力は私含め、皆が持っている力だが、誤りから立ち直るためにその力をうまく使えている人は意外と多くないのではないかと考えさせられたからである。 私がそう考えたのは、私自身の経験からである。私は高校時代、コペル君が北見君(ガッチン)たちにしてしまったように仲の良い友達を裏切るようなことをしてしまった経験がある。その友達をここではA君と呼ぶ。クラスマッチのチームを決める際、A君はあまり運動が得意ではなかったためにチームから外そうという意見が出た。たしかに運動が他の人より少しだけできなかったかもしれないが、その決め方はA君の意思や気持ちを尊重せず、あまりに一方的な決め方だと私は感じた。しかし、私は他の決め方で、「もし自分がメンバーから外されてしまったら」と不安になり、なにも言い出すことができなかった。結局そのままA君は他の種目に移ることになり、ひとり悲しい思いをさせてしまった。私は、ずっとA君に対して、あの時なにも言えなかったことや、その後声をかけてあげられることができなかったことを今でも悔むことがある。 私と同様にこの世界にはその力を持っていながらも、その力をフルで活用できずに苦しみ、なかにはうつ病などの病気を抱えてしまう人も多くいる。 「自分の生き方を決定できるのは、自分だけだ」 わたしはこの教訓を本作を読んで得た。しかし、実際に自分が思い描いた(決定した)生き方をできている人はこの世界にどれくらいいるだろうか。この問いは今後も考え続けていきたいと思う。 コペル君はおじさんのノートを読み、立ち直り、彼らに直接謝ることができた。これは当たり前なことではない。作中にも述べられているが、自分が誤っていた場合にそれを男らしく認め、そのために苦しむということは決して簡単ではない。私は、私自身の経験からコペル君の行動に深く感動させられた。それと同時に中学生なのにもかかわらず、面と向かって自分の過ちを認め、謝罪することができるコペル君の芯の強さに驚かされた。 私は世の中のことはすべて法則性があって、それは世の中を回しているものも太陽や地球の関係と同じで、目には見えない不確かで抽象的な、大きいなにかが回しているとあまり深く考えていなかった。しかし、コペル君が最後に言ったように、なにかが中心で回しているのではなく、小さな意思や感情が粒となって集まり、世の中を回すほどの大きなものになっているということを考えた。これは最近あった選挙や、政治にも当てはまる。 私はこの本からあまり考えもしなかったような身近な教えを得た。「当たり前」や「身近」なことこそ目を背けてはいけないと教えてくれたような気がする。 この本は、これからの社会に生きていく私たち若者に「なにが正しさかわからなくなったとき、静かに背中を押してくれる」そんな本だと私は感じる。
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