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牛と土 福島、3.11その後。
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牛と土 福島、3.11その後。

眞並恭介(著者)

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牛と土 福島、3.11その後。

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 集英社
発売年月日 2015/03/01
JAN 9784087815672

牛と土

¥1,650

商品レビュー

4.3

7件のお客様レビュー

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2017/08/21

出荷制限のかかった原乳が廃棄される。そんな映像を覚えている。 2011年3月11日に発災した東日本大震災、その後に起きた東京電力 福島第一原子力発電所の事故の影響だった。 安全神話に依存し、原発の危機的な状況を想定してこなかった この国は、明確な避難計画もないままに避難...

出荷制限のかかった原乳が廃棄される。そんな映像を覚えている。 2011年3月11日に発災した東日本大震災、その後に起きた東京電力 福島第一原子力発電所の事故の影響だった。 安全神話に依存し、原発の危機的な状況を想定してこなかった この国は、明確な避難計画もないままに避難区域を拡大させ、 人々は帰還の目途も知らされず生まれ育った故郷を離れる ことになった。 住人のいなくなった避難区域に取り残されたのは動物たちだった。 ペットは勿論、家畜も置き去りにされた。 犬や猫のペットが家族同然なら、家畜もまた畜産業に携わる人たち にとっては家族同然だ。手塩にかけて育てた牛や豚。それなのに国は 警戒区域内の家畜の殺処分の指示を出した。 本書は国による殺処分に同意せず、警戒区域内で牛の世話を続ける 飼育者たちと、牛たちを追ったノンフィクションだ。 食肉としては出荷できなくなった牛を生かし続けることに意義はある のか。国は「ない」と判断したからこそ、安楽死処分という指示を 出したのであろう。 だが、牛の命を守ろうとした人たちは警戒区域内で牛を生かし続ける 新たな意義を見出す。 放射性物質に汚染され、手入れをする人間がいなくなった田畑。 放っておけば雑草が生い茂り、再び農地として利用しようとすれば 多くの手間をかけなくては再生できない。 しかし、牧柵で囲った田畑の中では牛たちが自由に草を食べ、いつ 人が戻って来てもすぐに農地として使用できるような田畑となる。 循環型農業の基礎が出来上がる。 一方で、殺処分に同意した人たちとの間に溝が出来ているとも言う。 どちらが正解だったのか。部外者である私には判断は出来ない。 殺処分ばかりではない。自分たちが避難する際に、人家に迷惑を かけないよう牛舎に牛をつないだままだった人もいれば、どうにか 生きてくれと牛たちを解き放して避難した人たちもいた。 それぞれに苦渋の決断だったのだろう。そして、殺処分に携わった 人たちも心を痛めていたことを知った。 「生きている牛のために、土は緑の絨毯を敷きつめてくれた。死んだ 牛のために、土は布団を用意し、土の国へと招き入れてくれた。 牛は土に還り、土はまた牛に還る。 牛の外にも内にも大地がある。 牛は大地そのものだ。」 汚染された大地で生きる牛と牛飼いたちの想いが濃縮された秀逸な ノンフィクションだ。 尚、チェルノブイリ原発事故の時には地域内の家畜は全頭移送され たそうだ。それなのに、日本は無策のままあの時まで過ごして来た のだよね。 ※買って積んでおいたら講談社ノンフィクション賞を受賞してました。

Posted by ブクログ

2016/10/06

 命とは何か、生きるとはどういうことかという問いを、真っ直ぐに突きつけてくる本である。 「警戒区域内において生存している家畜については、当該家畜の所有者の同意を得て、当該家畜に苦痛を与えない方法(安楽死)によって処分すること」  原発爆発当時の総理大臣菅直人からの福島県知事へ...

 命とは何か、生きるとはどういうことかという問いを、真っ直ぐに突きつけてくる本である。 「警戒区域内において生存している家畜については、当該家畜の所有者の同意を得て、当該家畜に苦痛を与えない方法(安楽死)によって処分すること」  原発爆発当時の総理大臣菅直人からの福島県知事への指示である。それも仕方ない、くらいに思ったような気がする。心の中に、いずれ殺されて肉になっていく命だと、軽く見ていたのは間違いないだろう。迂闊だった。何も考えていなかった。  このお触れが出たとき、牛をそのままにして避難した人がいる。自力で生きていくことを願って、牛を野に放った人もいる。それを責めることは誰にもできない。当然の行動である。そうした人々がどれほどつらかったかは、この本を読めばわかる。しかしそれでも、安楽死に同意せず、危険区域に通いながら牛の世話を続けた人々がいる。この本はそうした人々を追ったルポである。  原発爆発後、牛、豚、鳥、犬、猫など、餓死した命たちが、葬られることなく、死んだその場で、死んだ瞬間の体勢で、腐臭を放ちながら融けていった。原発が生んだ無数の悲劇のうちの1つの光景。牛の世話を続ける決心をした人々が通い続けるのは、こんな地域である。ただ牛が可哀想なだけで世話を続けたのではない、というより、それはできない。牛は猫のような愛玩動物ではなく、産業動物に分類されるため、経済的価値が伴わなくてはならないからだ。放射能のせいで食肉にはできず、その乳も市場に出せない牛たちに、単に生かす以上の価値を、見つけなければならないのだ。そして、彼ら・彼女らは、答えにたどり着いていく。  詳しくは是非とも本書を読んでほしい。人間という生き物を見直したい気になる。著者の抑制された文体も、非常に好感が持てる。この本を読んでも原発を推進することの罪深さが分からない人には、私はもう語る言葉を持たない。

Posted by ブクログ

2016/01/21
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

東京電力福島原発事故のせいで、汚染地帯に置き去りにされた牛たちを生かそうとする牛飼いの姿が描かれている。  ここに登場する牛はペットではなく家畜である。私たち人間の食糧として養われてきた。被爆した牛たちは肉にはなれない。国は安楽死処分を勧めた。安楽死処分に同意する牛飼いと、同意しない牛飼い。牛飼いたちは苦悶する。正しさを簡単に結論付けていないところがこの本の深いところだ。牛を生かす道を選んだ牛飼いたちは、経済的価値のない牛を生かす意味を探しながら、自らの被曝を承知で、厳しく立ち入りを禁止される警戒地域に入り、牛の命をつなげようとする。一方安楽死処分の決断も重い負担となる。世話をできず柵に囲ったままにすると牛は餓死するしかない。放てば自力で生きていく可能性があるとしても近隣に迷惑をかける。体の大きな牛はしだいに野牛となり、人間にとって危険になるからだ。冬場の食糧の不安もある。どうするのが正しいかなんて判断しようがないのだ。  「肉にするためにどうせ殺すんだから」と割り切れない。安楽死処分にのぞむ獣医師たちも苦しんでいる。肉用牛は人間が定めた寿命30ヶ月をまっとうするのが幸せな生涯と、牛飼いは信じ愛情を注ぐ。 本作を読み、本来は食肉とされすでに死んでいるはずの牛が原発事故によって生かされている皮肉をどう理解すればいいのかわからなかった。肉にされるのなら幸せなのか、ただ殺されるだけは無駄死ということなのか。    牛たちは自分が被曝しているのだと知らない。汚染した土に育った汚染された草を食べ、自ら汚染される。そして汚染された糞を出す。被曝した牛は研究対象として価値があるとか、猛烈な量の草を食べて野が荒れるのを防ぐとか、食べて土地を浄化するとか、ここでいう生きる意味とは、殺さなくてもいい意味にとれるがそれだけではない。  この本を読みながら風景を想像した。牛がゆっくりと土を踏みしめ歩き、ゆっくり草を食べている姿に、希望を感じた。人間の勝手で牛たちが被爆し続けられているとしても人が住めくなっている土地で、牛たちは生きようとし生きてくれている。牛に感謝したい。土に生かされている生きものは牛だけではない。人間もそうだ。私たちは忘れてしまっていたのではないだろうか。牛は人間と土をつないでくれる。人間だけでは生きていけない。 警戒区域で必死に活動をされている人々の姿に心が震える。私は未来への希望を描こうとしている本であると思う。生きる牛たちが希望だ。

Posted by ブクログ

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