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牛と土 の商品レビュー

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2023/11/01

「東日本大震災で被曝地となった福島で、殺処分を受け入れず被曝した牛を生かそうとする牛飼いたちと、帰還のため土壌の調査に奮闘する研究者を通し、失ったものは何かを問いかけるノンフィクション。」 「事故の後、国は警戒地区に置き去りにされた牛の殺処分を決める。多くの牛飼いは泣く泣く従っ...

「東日本大震災で被曝地となった福島で、殺処分を受け入れず被曝した牛を生かそうとする牛飼いたちと、帰還のため土壌の調査に奮闘する研究者を通し、失ったものは何かを問いかけるノンフィクション。」 「事故の後、国は警戒地区に置き去りにされた牛の殺処分を決める。多くの牛飼いは泣く泣く従ったが、抵抗した人たちもいた。彼らは被ばくした牛を生かし続け、牛の「生きる意味」を求めた。例えば放射線物質による汚染がひどくて人が入れない地域は、すぐに荒れ果てる。だがそこに牛を放てば除草や農地保全の役割を担ってくれる。  牛飼いと牛の強いきずなが印象的だ。ー牛の生きる意味とは何か、幸せとは何なのか、眞並は何度も問いかけ、考えを深めていく。牛への愛と敬意に満ちた賛歌である。」 (『いつか君に出会ってほしい本』田村文著の紹介より)

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2017/08/21

出荷制限のかかった原乳が廃棄される。そんな映像を覚えている。 2011年3月11日に発災した東日本大震災、その後に起きた東京電力 福島第一原子力発電所の事故の影響だった。 安全神話に依存し、原発の危機的な状況を想定してこなかった この国は、明確な避難計画もないままに避難...

出荷制限のかかった原乳が廃棄される。そんな映像を覚えている。 2011年3月11日に発災した東日本大震災、その後に起きた東京電力 福島第一原子力発電所の事故の影響だった。 安全神話に依存し、原発の危機的な状況を想定してこなかった この国は、明確な避難計画もないままに避難区域を拡大させ、 人々は帰還の目途も知らされず生まれ育った故郷を離れる ことになった。 住人のいなくなった避難区域に取り残されたのは動物たちだった。 ペットは勿論、家畜も置き去りにされた。 犬や猫のペットが家族同然なら、家畜もまた畜産業に携わる人たち にとっては家族同然だ。手塩にかけて育てた牛や豚。それなのに国は 警戒区域内の家畜の殺処分の指示を出した。 本書は国による殺処分に同意せず、警戒区域内で牛の世話を続ける 飼育者たちと、牛たちを追ったノンフィクションだ。 食肉としては出荷できなくなった牛を生かし続けることに意義はある のか。国は「ない」と判断したからこそ、安楽死処分という指示を 出したのであろう。 だが、牛の命を守ろうとした人たちは警戒区域内で牛を生かし続ける 新たな意義を見出す。 放射性物質に汚染され、手入れをする人間がいなくなった田畑。 放っておけば雑草が生い茂り、再び農地として利用しようとすれば 多くの手間をかけなくては再生できない。 しかし、牧柵で囲った田畑の中では牛たちが自由に草を食べ、いつ 人が戻って来てもすぐに農地として使用できるような田畑となる。 循環型農業の基礎が出来上がる。 一方で、殺処分に同意した人たちとの間に溝が出来ているとも言う。 どちらが正解だったのか。部外者である私には判断は出来ない。 殺処分ばかりではない。自分たちが避難する際に、人家に迷惑を かけないよう牛舎に牛をつないだままだった人もいれば、どうにか 生きてくれと牛たちを解き放して避難した人たちもいた。 それぞれに苦渋の決断だったのだろう。そして、殺処分に携わった 人たちも心を痛めていたことを知った。 「生きている牛のために、土は緑の絨毯を敷きつめてくれた。死んだ 牛のために、土は布団を用意し、土の国へと招き入れてくれた。 牛は土に還り、土はまた牛に還る。 牛の外にも内にも大地がある。 牛は大地そのものだ。」 汚染された大地で生きる牛と牛飼いたちの想いが濃縮された秀逸な ノンフィクションだ。 尚、チェルノブイリ原発事故の時には地域内の家畜は全頭移送され たそうだ。それなのに、日本は無策のままあの時まで過ごして来た のだよね。 ※買って積んでおいたら講談社ノンフィクション賞を受賞してました。

Posted byブクログ

2016/10/06

 命とは何か、生きるとはどういうことかという問いを、真っ直ぐに突きつけてくる本である。 「警戒区域内において生存している家畜については、当該家畜の所有者の同意を得て、当該家畜に苦痛を与えない方法(安楽死)によって処分すること」  原発爆発当時の総理大臣菅直人からの福島県知事へ...

 命とは何か、生きるとはどういうことかという問いを、真っ直ぐに突きつけてくる本である。 「警戒区域内において生存している家畜については、当該家畜の所有者の同意を得て、当該家畜に苦痛を与えない方法(安楽死)によって処分すること」  原発爆発当時の総理大臣菅直人からの福島県知事への指示である。それも仕方ない、くらいに思ったような気がする。心の中に、いずれ殺されて肉になっていく命だと、軽く見ていたのは間違いないだろう。迂闊だった。何も考えていなかった。  このお触れが出たとき、牛をそのままにして避難した人がいる。自力で生きていくことを願って、牛を野に放った人もいる。それを責めることは誰にもできない。当然の行動である。そうした人々がどれほどつらかったかは、この本を読めばわかる。しかしそれでも、安楽死に同意せず、危険区域に通いながら牛の世話を続けた人々がいる。この本はそうした人々を追ったルポである。  原発爆発後、牛、豚、鳥、犬、猫など、餓死した命たちが、葬られることなく、死んだその場で、死んだ瞬間の体勢で、腐臭を放ちながら融けていった。原発が生んだ無数の悲劇のうちの1つの光景。牛の世話を続ける決心をした人々が通い続けるのは、こんな地域である。ただ牛が可哀想なだけで世話を続けたのではない、というより、それはできない。牛は猫のような愛玩動物ではなく、産業動物に分類されるため、経済的価値が伴わなくてはならないからだ。放射能のせいで食肉にはできず、その乳も市場に出せない牛たちに、単に生かす以上の価値を、見つけなければならないのだ。そして、彼ら・彼女らは、答えにたどり着いていく。  詳しくは是非とも本書を読んでほしい。人間という生き物を見直したい気になる。著者の抑制された文体も、非常に好感が持てる。この本を読んでも原発を推進することの罪深さが分からない人には、私はもう語る言葉を持たない。

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2022/03/05
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

東京電力福島原発事故のせいで、汚染地帯に置き去りにされた牛たちを生かそうとする牛飼いの姿が描かれている。  ここに登場する牛はペットではなく家畜である。私たち人間の食糧として養われてきた。被爆した牛たちは肉にはなれない。国は安楽死処分を勧めた。安楽死処分に同意する牛飼いと、同意しない牛飼い。牛飼いたちは苦悶する。正しさを簡単に結論付けていないところがこの本の深いところだ。牛を生かす道を選んだ牛飼いたちは、経済的価値のない牛を生かす意味を探しながら、自らの被曝を承知で、厳しく立ち入りを禁止される警戒地域に入り、牛の命をつなげようとする。一方安楽死処分の決断も重い負担となる。世話をできず柵に囲ったままにすると牛は餓死するしかない。放てば自力で生きていく可能性があるとしても近隣に迷惑をかける。体の大きな牛はしだいに野牛となり、人間にとって危険になるからだ。冬場の食糧の不安もある。どうするのが正しいかなんて判断しようがないのだ。  「肉にするためにどうせ殺すんだから」と割り切れない。安楽死処分にのぞむ獣医師たちも苦しんでいる。肉用牛は人間が定めた寿命30ヶ月をまっとうするのが幸せな生涯と、牛飼いは信じ愛情を注ぐ。 本作を読み、本来は食肉とされすでに死んでいるはずの牛が原発事故によって生かされている皮肉をどう理解すればいいのかわからなかった。肉にされるのなら幸せなのか、ただ殺されるだけは無駄死ということなのか。    牛たちは自分が被曝しているのだと知らない。汚染した土に育った汚染された草を食べ、自ら汚染される。そして汚染された糞を出す。被曝した牛は研究対象として価値があるとか、猛烈な量の草を食べて野が荒れるのを防ぐとか、食べて土地を浄化するとか、ここでいう生きる意味とは、殺さなくてもいい意味にとれるがそれだけではない。  この本を読みながら風景を想像した。牛がゆっくりと土を踏みしめ歩き、ゆっくり草を食べている姿に、希望を感じた。人間の勝手で牛たちが被爆し続けられているとしても人が住めくなっている土地で、牛たちは生きようとし生きてくれている。牛に感謝したい。土に生かされている生きものは牛だけではない。人間もそうだ。私たちは忘れてしまっていたのではないだろうか。牛は人間と土をつないでくれる。人間だけでは生きていけない。 警戒区域で必死に活動をされている人々の姿に心が震える。私は未来への希望を描こうとしている本であると思う。生きる牛たちが希望だ。

Posted byブクログ

2015/12/06

原発事故が発生した当初警戒区域内には約3500頭の牛がいた。それが2015年1月20日現在、安楽死処分が1747頭、処分に不同意の所有者にいる飼養継続が550頭、畜舎内で死亡した牛を合わせた一時埋却処分が3509頭となっている。事故後に自然交配で生まれた数と餓死・病死などで死んだ...

原発事故が発生した当初警戒区域内には約3500頭の牛がいた。それが2015年1月20日現在、安楽死処分が1747頭、処分に不同意の所有者にいる飼養継続が550頭、畜舎内で死亡した牛を合わせた一時埋却処分が3509頭となっている。事故後に自然交配で生まれた数と餓死・病死などで死んだ数はわからない。 2011年5月11日菅総理は福島県知事に対し「家畜は所有者の同意を得て殺処分するように指示を出した。犬や猫のような愛玩動物であれば、動物愛護の精神からも殺処分になんてできないはずだ。しかし、家畜は産業動物といわれ、経済的価値がなくなれば存在理由はない。その状況下で牛飼いはどうやって牛を生かせ続ける意味を見つけるのか。 国の指示に同意した牛飼いの方が多数派で、飼養を続けるとそこにはいがみあいも起こる。「なんでおめえらは国の言うとおり、安楽死の指示に従わないんだ」「警戒区域の牛は平等に死んでもらわないと、おめえらが牛を生かしているうちは、同意したおれらがばかを見る」東電や国ではなくどうしても近くにいる意見の違う人に当たってしまうのだ。 牛を飼い続けるためには電気柵を作ったり、特に冬場は限られた時間内に餌を運んだりとやるべきことは多くある。そして殺処分に同意しない飼い主には圧力もかかる。「牛が他人の土地に侵入してものを壊したり迷惑かけたりしたら、それは飼い主であるあなたの責任ですよ」と言う県職員もいた。一時帰宅をした時に逃げ出した牛の被害を受けた人からの苦情はある。そしてここでも身近な飼い主に不満は向いてしまう。 警戒区域内への立ち入りにはオフサイトセンターの許可が要る、そして国の指示に反して牛を飼い続けることを理由にするとなかなか許可が下りない。「我々としては立ち入りを拒んでいるということではなくて、公益のルールで入っていただくなら、公益のルールの範囲で申請書の中身を、ちゃんと我々のほうで読めるものにしていただかないと、町が許可してうちが同意というかたちはとりにくいのです。」これに対する牛飼いの吉沢は警戒区域内に住んでいることを暴露し、さらに職員を責める。「僕は一生問うよ。あんたたちは逃げた、腰抜け役所ですよ。それが今更何を制限するというのか!」 農家だけでなく研究者の中からも警戒区域の牛を生かす動きが出てきた。牛がどんどん増えないように警戒区域内の牛を去勢をしてまわった医者は生体除染の見通しが立っているという。汚染されていない飼料を3ヶ月程度給餌すれば、被爆前と同じレベルまで清浄化できることがわかってきた。警戒区域の牛の40%が出荷基準を満たしており一律に殺処分する理由はないという。実際には売れないだろうが。行き場のない牛を生き残らせる可能性があるとしたら研究対象に使うしかない。被爆だけでなく牛による農地保全の研究もある。 不幸なことではあるが、事故からしか学べない科学的知見もある。今回の事故で被爆した牛の調査によって、筋肉の種類によってセシウムの残り方が違うこととその規則性がわかってきた。また、牛が汚染された山野菜を食べたエリアでは、土壌のセシウム汚染は低減し、排泄した場所の汚染度が上がる。うまく糞尿を回収すれば農地の除染ができる可能性はある。 チェルノブイリの野生生物の調査ではがんや奇形など有害な影響が数多く報告されているが、今の所福島では重大な遺伝的損傷はまだ観察されていないという。「チェルノブイリの森」によると森で見られる野生生物は健康な個体ばかりだったというが、おそらく障害を負った個体は生き残れないからだろう。家畜の肉牛の寿命は30ヶ月ほど。事故後に生まれた中にもすでにもっと長く生きている個体もいる。本書で何度も登場する双子もそうだ。

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2017/08/21

福島第一原発事故で汚染された土地と、そこで生きる牛と牛飼いたちのルポルタージュ。 原発とか政策とか倫理とか農業とか、そういうテーマはもちろん考える。 でもそれよりも、だれでも、どこででも、必死で生きなくちゃいけないんだってのが一番の感想だった。 農業は土地と切り離せない。 酪農...

福島第一原発事故で汚染された土地と、そこで生きる牛と牛飼いたちのルポルタージュ。 原発とか政策とか倫理とか農業とか、そういうテーマはもちろん考える。 でもそれよりも、だれでも、どこででも、必死で生きなくちゃいけないんだってのが一番の感想だった。 農業は土地と切り離せない。 酪農の場合、そこで生きる牛たちを仮設住宅へ連れていくわけにもいかない。 原発事故で商品価値のなくなった家畜に、国は殺処分の判断を下した。 この本はそれにあらがって牛を生かす道をさがす人たちが主にえがかれる。 それでいて、殺処分に同意した人たちの苦痛もないがしろにしない。 本当はそのままずっとこの土地で牛を飼って出荷することが望みなのに、それ以外の選択を強いられるという被害をきちんと扱っている。 そのうえで、その中で生きる意味、生かす意味を模索する人たちを描いている。 牛を無駄死にさせない道を探す人たちが見いだしたのは、人が住めない土地を人が食えない牛に守らせることだった。 福島の事故前に、チェルノブイリ原発事故で汚染された村にとどまる住民のドキュメンタリーをみたことがある。 今更ほかへ行けといわれてもここで生まれ育ったんだし、というお年寄りをみて、この人たちが外で生きていけるよう支援すべきだと思った。 でもそういうことじゃないんだ。 この人たちは、外に持ち出せない「この場所」を守りたいんだ。 「ここ」を見捨てず、人も他の生き物も守る方法をあきらめずにさぐりつづける人の姿に心をうたれる。

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2015/06/08

被災・被曝し、警戒区域となった浪江町の家畜に対して、国から殺処分の指示が出された。それを頑なに受け入れず、当該区域への立ち入り申請をして牛に餌を与え続ける牛飼いたちがいる。掛け替えのない居住地を追われ、育牛に打ち込んできた人びとの無念たるや、我われが易々と察することなど到底できる...

被災・被曝し、警戒区域となった浪江町の家畜に対して、国から殺処分の指示が出された。それを頑なに受け入れず、当該区域への立ち入り申請をして牛に餌を与え続ける牛飼いたちがいる。掛け替えのない居住地を追われ、育牛に打ち込んできた人びとの無念たるや、我われが易々と察することなど到底できるまい。しかしだ。たとえ被災者が自己責任で警戒区域に入りたいと望み、心情的に打たれても、心を鬼にして理解を得るように努め、決して許さないことも行政の役割ではないか。真剣に被災者を守るためには、彼らの心を汲むことばかりではいけない。

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2015/03/27

震災から4年を経ても未だ復興が進まない、出来ない広大な区域がある。 そこで生きる牛たちと、震災直後から彼らを守るべく活動している牛飼いの人たちの記録。 自分自身も不便で困難な暮らしを続けながら、50年後100年後の故郷の姿を描き奮闘する姿に感動し、改めて震災と原発事故の恐ろしさ、...

震災から4年を経ても未だ復興が進まない、出来ない広大な区域がある。 そこで生きる牛たちと、震災直後から彼らを守るべく活動している牛飼いの人たちの記録。 自分自身も不便で困難な暮らしを続けながら、50年後100年後の故郷の姿を描き奮闘する姿に感動し、改めて震災と原発事故の恐ろしさ、深刻さを知る。

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