商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 岩波書店 |
発売年月日 | 2014/08/28 |
JAN | 9784000259903 |
- 書籍
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思考の取引 書物と書店と
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思考の取引 書物と書店と
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3.9
10件のお客様レビュー
書物と書店についての思考素、様々な風景を想起させる文体です。 フランス語、ラテン語、シェイクスピア、ディドロとダランベール、モンテーニュ…。 「書物とは、飾り棚に並べたりテーブルに置いたりできる物ではなく、紙に印刷されたテクストでもない。」 「むしろ、その一方から他方へと赴く...
書物と書店についての思考素、様々な風景を想起させる文体です。 フランス語、ラテン語、シェイクスピア、ディドロとダランベール、モンテーニュ…。 「書物とは、飾り棚に並べたりテーブルに置いたりできる物ではなく、紙に印刷されたテクストでもない。」 「むしろ、その一方から他方へと赴くもの、ないし、両者間の緊張のただなかに身を置くものなのだ。」 確かに本というものは、閉じたり開いたりするもの。 <開け伏せ>が大事だというならば、人間もそうであってほしいなあと思います。 来るべき管理・監視社会において、それらの目が行き届いてしまう未来だからこそ、個人としては、開けっぴろげに順応する自己でもなく、引きこもって没交渉になる自己でもなく、自分を世界へ閉じながらも開くという絶妙を身につけることが肝要なのかなあと思ったからです。 分かるようで分からない、そんな哲学エッセイ集です。
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フランスの哲学者が〈書物〉とは何か、それを扱う〈書店〉とはどのような場所なのかを語る、ポケットサイズの哲学書。 装幀がいい。天の部分から見た本をデザインした図案が踊るカバーの藍色と、見返しに使われたワインレッドの対比が本の内容にぴったりだと思う。 ナンシーは、書物は物体ではな...
フランスの哲学者が〈書物〉とは何か、それを扱う〈書店〉とはどのような場所なのかを語る、ポケットサイズの哲学書。 装幀がいい。天の部分から見た本をデザインした図案が踊るカバーの藍色と、見返しに使われたワインレッドの対比が本の内容にぴったりだと思う。 ナンシーは、書物は物体ではなくテクストでもないと言う。書物にイデアがあるとすればそれはイデアを伝えるイデアだ、という一文が印象に残った。本は読まれることによって存在し、本と読者は相互に影響を及ぼしあいながら、気体のような〈書物のイデア〉の輪郭を描こうとする。それは一回性のできごとであり、読むたびに変質する書物と私たちは新たに関係を結びなおす。ナンシーはそれを〈思考の取引〉と呼んだ。
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タイトルと本の質感が気に入って、六本木の文喫で買ってそのまま一日で読了。短いので。 フランス人ってやっぱ嫌いだなーと思ってしまうのは、フランス語が恐らく日本語訳に向いてないのだな、と思うことにしてる。 「かくて書物は、ふたつの姿勢、ふたつの相貌をとどめることになるだろう。並べら...
タイトルと本の質感が気に入って、六本木の文喫で買ってそのまま一日で読了。短いので。 フランス人ってやっぱ嫌いだなーと思ってしまうのは、フランス語が恐らく日本語訳に向いてないのだな、と思うことにしてる。 「かくて書物は、ふたつの姿勢、ふたつの相貌をとどめることになるだろう。並べられた巻と開かれた巻という2つの姿を。(中略)これらふたつの書物は、同じであって同じでない。」 こんなの読むと、橋詰くんとかに言いたくなるね。 「書店とは、(中略)つまりは、香りと味の調剤室なのだ。この香りや味を介して、書店から立ちのぼる、何か甘やかな香気のような、食欲を誘う匂いのようなものが、察知され、推測され、予感される。」 そうそう、書店が、書店に並ぶ本の背表紙が、脳に思考を予感させるのは、焼き立てのパンが並ぶパン屋が予感させるものなのだ。 この2つの引用で言いたいことは、パン屋の香りが想起させるものと、パンを食べたときに得られるものとには乖離があるということ。 僕は、焼鳥屋の匂いに官能されて焼鳥を食べても、いつも欲求を満たせない。あの匂いを食べたかったのに、これはそれと違う、というもどかしい乖離、そういう差異の認識が大学生の頃からずっとある。 男は、ポルノと実際の性体験との間で必ずそれを感じたことがあるはずだ。 本屋の喚起するものと、実際に本を読む行為の間にもそれがある。 並んでる本と、開いた本とは別のものだというのはそのことだろう。 だから、 「書物とは、「飾り棚に並べたりテーブルに置いたりできる物」ではなく、「紙に印刷されたテクスト」でもない。むしろ、その一方から他方へと赴くもの、ないし、両者間の緊張のただなかに身を置くものなのだ。」(引用内の「」は僕が足してます) というのには、納得もしつつ、同意しかねる。 その2つは、著者が例えるメビウスの輪のように、表と裏を行き来するものとは僕は思わない。 むしろ、ウサギとアヒルの錯視のように、あるときはウサギに見え、あるときにはアヒルに見え、同じひとつの絵なのに、常にそのどちらかにしか見えない、そういうものだろう。 ウサギとして売っているのに読むとアヒル。読むとアヒルなのに、閉じるとウサギ。 そうやって翻弄し続けるもの、それが本だろう。 メビウスの輪のようには繋がってない。
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