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ここにないもの 新哲学対話 中公文庫
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 中央公論新社 |
発売年月日 | 2014/04/23 |
JAN | 9784122059436 |
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ここにないもの
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商品レビュー
3.4
13件のお客様レビュー
エプシロンとミューという二人の登場人物が、人生の意味について、過去の自分について、自分の死について、未来についてなど、哲学の根本的な問題をめぐる対話をおこなっている本です。 著者はすでに、『哲学の謎』(1996年、講談社現代新書)という本で、二人の登場人物のわかりやすい対話を通...
エプシロンとミューという二人の登場人物が、人生の意味について、過去の自分について、自分の死について、未来についてなど、哲学の根本的な問題をめぐる対話をおこなっている本です。 著者はすでに、『哲学の謎』(1996年、講談社現代新書)という本で、二人の登場人物のわかりやすい対話を通して哲学の世界に読者を案内する試みをおこなっています。ただし、『哲学の謎』は著者ならではのとぼけた味のあるユーモアを含んだ登場人物たちの会話が印象的であるのに対して、本書は童話のような雰囲気をたたえています。その意味では、やはり著者の前著である『はじめて考えるときのように―「わかる」ための哲学的道案内』(2004年、PHP文庫)に近いような印象もあります。植田真のイラストも、そうした本書のかもし出す雰囲気によく合っています。 けっして難解な概念を用いることなく、哲学の本質的な問題についてじっくりと歩みを進めていくエプシロンたちの思索に付き添うことで、この世界の新鮮な風景をあじわえる場所へと連れ出されるような気分になりました。 ただ、最後のところで二人の対話からエプシロン一人の思索へと移ってしまったのが、個人的には残念でした。あるいは著者にはなんらかの意図があったのかもしれませんが、かつて哲学書房の中野幹隆が著者に語ったということばを借りるならば、「こらえ性がなくなってしまった感じ」があります。
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『10年前の僕は僕?』83p最後から結局自分というのは他者が形づくってるというような話が出たが、これは最近見たエヴァンゲリオンのTVアニメ版の最終回でも同じ内容のことが語られていた。自分のことが嫌いで自分にはなんと価値もないと感じてるシンジが、エヴァに乗ることで価値がつくと考える...
『10年前の僕は僕?』83p最後から結局自分というのは他者が形づくってるというような話が出たが、これは最近見たエヴァンゲリオンのTVアニメ版の最終回でも同じ内容のことが語られていた。自分のことが嫌いで自分にはなんと価値もないと感じてるシンジが、エヴァに乗ることで価値がつくと考えるも「じゃあ、エヴァに乗らない自分は何者なのか?」となり、自分以外を閉ざした世界でだんだん自分の形がわからなくなり、最終的に他者と関わることで人との違いを認識し自分の形がわかるという結論に達する。 そうして形がわかった自分を好きにならないと相手を好きになることもできず、自分の嫌なところを認識すると相手に優しくできるということを知覚して、尚且つ自分が嫌いな自分は他者からも嫌われていると勝手に思い込むのをやめるべきだと諭される。その後に「自分のことを好きになれる気がする。自分はここにいてもいいんだ」となり、他者と心を補完し合う『人類補完計画』が完成する。 何が言いたいのかというと、エヴァンゲリオンという名作を見た直後に特にそういう本を探していたわけではなく、帰路の暇つぶしにと閉店間際の蔦屋書店で買った本書が同じことを述べているということに運命的な何かを感じたというだけである。つくつぐ本とは出会いということが実感させられた。 本筋のことを語ると、思い出すという行為をしている自分を思い出すことで過去の思い出されている自分は果たして自分なのか?ということから”外側”が大事だという話になり、その外側があるかというのが夢から記憶、そして自分に当てはめていき、最終的には自分の外側つまり他者との関わり合いが不可欠であるということが結論となる。これの持っていき方も凄い。難しい言葉を使わずに、本書の冒頭から引用すると”っぽい”言葉を使わずにあくまで日常で使う言葉で考え抜いていくスタイルが素直に凄いしそれでいてある程度は理解できていく感じがとてもいい。冒頭にあったように気持ちの良いというのはこのことだろう。
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往来堂書店「D坂文庫2015冬」から。 知りたがりで天然なミューと、いつも何かを思考しているエプシロン。この二人の軽快、かつ珍妙なやり取りで、人生、死、現在・過去・未来、ことば、について語る。これは紛れもない哲学本。 でも、本書が少しユニークなのは、エプシロンが完全ではないという...
往来堂書店「D坂文庫2015冬」から。 知りたがりで天然なミューと、いつも何かを思考しているエプシロン。この二人の軽快、かつ珍妙なやり取りで、人生、死、現在・過去・未来、ことば、について語る。これは紛れもない哲学本。 でも、本書が少しユニークなのは、エプシロンが完全ではないということ。あどけなく、それでいて鋭いミューの問いかけを受けながら、エプシロンの結論は揺れる。そして、少しずつ正解(と思われるもの)に近づいて行く。エプシロンと一緒に思考するのも楽しいかもしれないけれど、多分この本のより楽しい読み方は、思考するエプシロンを見ながら自分でハッとして気づきを得るということではないかと思う。 ワタシがハッとしたのは、ことばについて触れた部分。 「ことばが<ものさし>みたいになってるわけだ。ことばをあてがうことで、そこから何かがはみ出てるってことが感じられてくる」 「何かをことばで言い表すと、そこには何か言い表しきれないもどかしさみたいなものがつきまとうことがある」 「そのもどかしさっていうのは、そこまでことばで言い表したからこそ、姿を現したものなわけだ。空の色を<青>ってことばで言い表そうとするから、それじゃあ、言い切れないもんが見えてくる。で、そいつはずっとそのまま言い表せないのかっていうと、たぶんそうじゃない」 ひとはことばで考えている。ということは、ことばをより知ることによって、考えがより深まり、より広がり、より伝えられるのではないか。当たり前と言えば当たり前なのだけれど、これがワタシのいちばんの気づきだ。
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