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一億人の茶道教養講座 淡交新書
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 淡交社 |
発売年月日 | 2013/03/27 |
JAN | 9784473038661 |
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一億人の茶道教養講座
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以下抜粋~ ・人間の深い信頼は、たがいの教養への信頼である。 教養には二種類ある 1知識としての教養 2人格的教養 人間の重さは、「2人格的教養」の重さで決まる 人格的教養とは? 哲学、語学、文学、社会観、人間観、科学観・科学哲学、宇宙観 教養は人間の価値である。 『人格的教養...
以下抜粋~ ・人間の深い信頼は、たがいの教養への信頼である。 教養には二種類ある 1知識としての教養 2人格的教養 人間の重さは、「2人格的教養」の重さで決まる 人格的教養とは? 哲学、語学、文学、社会観、人間観、科学観・科学哲学、宇宙観 教養は人間の価値である。 『人格的教養』は抽象的な感覚である。 知識的教養は修練をとおしてのみ習得されるが、知識そのものではない。 その人の置かれた文化によって磨かれる。 ヨーロッパ的『教養』の代表例 ワイン、音楽、古典文芸、スポーツ、聖書 世界から見た「東洋的教養」 儒教・老壮思想、源氏物語・古今和歌集、禅、武士道、禅宗建築、茶道 裏千家十五代の鵬雲斎千玄室大宗匠は、しばしば、侘びの英語訳として、「imperfect beauty」「beauty of imperfection」とおっしゃいます。直訳すると、「不完全の美」、「不完全ゆえの美」という意味になるでしょうか。 これはたいへんにわかりやすく、しかも含蓄ある表現です。 ふつう、美は完全なものと考えられています。それがヨーロッパ的なコンセプトです。ところが、「不完全であるところに宿る美というものがあるのだ」というのが日本文化の偉大な発見であり、偉大な創造だったのです。 ・楽茶碗の土については、数十年の発酵が管理されていると伝承されることと深く関係しています。 バクテリアの豊富な土で整形した茶碗を窯で焼くと、バクテリアは燃やされて死にます。 そのときに、炭酸ガスが生じ、その炭酸ガスが土のなかに残って、細やかな気泡となります。 その気泡が多いことで、ふわっとした形であるのに軽く、かつ、熱が伝わりにくいという性質が生れるのです。空気は、最大の保熱材のひとつだからです。
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茶道を9年習っているが、茶道って何だろうと感じる疑問を現代を優しく解いてくれる。ひとつ上の理解が深まりこれから進む方向を指南してくれる1冊だった。さらっと読めるが、自分の知識となるまで何度も読んで頭に入れたいなと思った。 歴史を絡めた道具の基礎的な解説 何かを一心に学ぶことで深...
茶道を9年習っているが、茶道って何だろうと感じる疑問を現代を優しく解いてくれる。ひとつ上の理解が深まりこれから進む方向を指南してくれる1冊だった。さらっと読めるが、自分の知識となるまで何度も読んで頭に入れたいなと思った。 歴史を絡めた道具の基礎的な解説 何かを一心に学ぶことで深まる教養 ファッションで言うフォーマルとカジュアルをMIXする感覚と、真・行・草の基本は捉えた上で道具合わせや建物の中で、侘びを取り入れる感覚が似ている。 以下なるほど!と思った雑学。 ・茶入…秀吉の時代に褒賞として与える領土が足りなくなって、茶入が与えられるようになった。土地と違って妻子が落ち延びる際に持ち出せる、有名な茶入であれば持っている事で身分証明になる。 ・楽茶碗…軽くて手どりが良い理由は、代々土づくりを行うことで2代前の土を使う事ができる。長い間発酵させた土には微生物が多く、焼いた時に気泡となり空気を含むためふっくらした形なのに軽い。持ったときに熱くない。
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茶人としてだけでなく、心理学者である著者だからこそ、茶道を手放しに賞賛するのではなく、客観的かつ体系的な視点で学べ、また「侘び」の精神性を論理的に追求している良書。 教養として茶道に興味があるが、習うほどまでではないという人がメインターゲットとのことだが、案外ニーズは多いのではな...
茶人としてだけでなく、心理学者である著者だからこそ、茶道を手放しに賞賛するのではなく、客観的かつ体系的な視点で学べ、また「侘び」の精神性を論理的に追求している良書。 教養として茶道に興味があるが、習うほどまでではないという人がメインターゲットとのことだが、案外ニーズは多いのではないだろうか。 茶道の流派の歴史、道具の背景、「侘び」とは何か?など、学べば学ぶほど、茶道の手前や道具には一貫してそれをする理由、背景が存在しており、だからこそ「用の美」としての美しさがあると考えられる。また、「侘び」とは何か、という問いに対し、「imperfect beauty」「asymmetry of beauty」という記載がある。例えば、茶入の蓋の「す」や釉の垂れ、茶碗の底にある「目跡」は、通常であれば疵物として扱われるものであるが、それを逆に衒いのない作陶態度の表れとして、「侘び」であると結びつけ、ポジティブに捉え、見どころとしている。また、日常用として量産された安物の器の中から自ら価値のあるものを見出すことに、茶人の主体性が表現できることもまた茶人としての醍醐味の一つといえよう。 また、著者は利休が確立した草庵茶湯を楽しむ精神を、屋根裏部屋を楽しむ感覚と似ていると述べる。 草庵茶室は、長押がなく、壁は土を塗ったままという華やかさからはかけ離れた見た目ではあるが、「ないこと、不足していることを楽しむ」というゆとりのある洒落た感覚であり、これを不自由の現れと感じず、むしろ精神的自由の現れと感じる心性が、侘びの心性であるとしている。 なお著者は、シンプルに説明するときに、それをどう英語で説明するかを考えるとのことだが、これも教授である著者ならではと思うとともに、日本人であっても日本語よりもときに腹落ちする表現となると思う。
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