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つげ義春の温泉 ちくま文庫
902円
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 筑摩書房 |
| 発売年月日 | 2012/06/08 |
| JAN | 9784480429537 |
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つげ義春の温泉
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つげ義春の温泉
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商品レビュー
3.6
15件のお客様レビュー
ああこれだったのか、という感想だ。 「古い湯治場はたいてい貧乏臭く老朽化している。 ときには乞食小屋と見まごうボロ宿もある。 浴客もみすぼらしく老朽化した老人ばかりで、 見た目の印象では、”姥捨て”が想像され、 その侘しい雰囲気が癒やしになるのだった。 姥捨ては、老いて社会的に...
ああこれだったのか、という感想だ。 「古い湯治場はたいてい貧乏臭く老朽化している。 ときには乞食小屋と見まごうボロ宿もある。 浴客もみすぼらしく老朽化した老人ばかりで、 見た目の印象では、”姥捨て”が想像され、 その侘しい雰囲気が癒やしになるのだった。 姥捨ては、老いて社会的に機能しなくなった 役立たずの捨て場である。 社会との関係からはずれた境遇は、 関係に規定されている『自己』から解放され、 意味も根拠もなくなるのではないかと思える。 意味も根拠もない存在とは『存在しながら存在しない』 非存在といえる。 すべての関係から切れて、誰にも承認されず束縛も されない解放されている例としては乞食を挙げる ことができるが、私にとって逃亡の意味も、 乞食のように『存在しない』ように生きることが 願いであったらしく、姥捨ムードに浸ると、 深い安らぎを覚えるのだった。」 (P220 文庫版あとがき) 私事だが、小学生の時なぜか「木枯し紋次郎」に 惹かれ、子供には深夜帯のTV番組を、親に頼み込んで、 観ていた。口に長楊枝をくわえて悦に入ったり、 大人になったら道中合羽、変じてマントを羽織りたい とまで思った。 「あっしには関わりのねえこった」 中村敦夫がモノクロの寒村で無下につぶやく。 あれは何に魅力を感じていたのか。 思えばその後、ゴルゴ13、井上陽水の「チエちゃん」、 『異邦人』、ストア派、老荘、良寛などそれっぽい ものが好きだった。隠者、隠遁、脱俗。 最近は中野孝次や小池龍之介、玄侑宗久などを読み、 ブッダや禅、セネカなどに好みの源流を見てはいた。 その最新版がこれだった。決定版といえるほどだ。 「私たちは自我をなくすことを理想としているので、 西欧の人たちのように、一番になりたいとか 目立ちたいとは思わないのです」 映画『セブン・イヤーズ・イン・チベット』で チベットの少女がブラピにそう語る。 「自我をなくす」がキーワードだったのだ。 すべては「自我をなくす」ための現象だったと思う。 「社会との関係からはずれた境遇は、 関係に規定されている『自己』から解放され、 意味も根拠もなくなる」 隠者や隠遁とは、関係から逃れること。 そしてその大本は「自我をなくす」だったのだ。 「経営のコツここなりと気づいた価値は百万両」 (松下幸之助) 人生の「コツ」「気付いた価値は百万両」なのだ。
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写真多数掲載。つげさんの撮る写真はいい。漫画家の目で撮るからか。昭和40年代の温泉の風景、入浴中の女性に屈託はなく、時代を感じる。エッセイはいつものつげ節。蒸発願望、隠遁願望、侘しさへの憧れ。一部の内容は『貧困旅行記』にも収録されている。 調べるとさすがに現在は廃業している所も多...
写真多数掲載。つげさんの撮る写真はいい。漫画家の目で撮るからか。昭和40年代の温泉の風景、入浴中の女性に屈託はなく、時代を感じる。エッセイはいつものつげ節。蒸発願望、隠遁願望、侘しさへの憧れ。一部の内容は『貧困旅行記』にも収録されている。 調べるとさすがに現在は廃業している所も多い。失われたかつての日本の、貴重な記録。
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2024年3月読了。 200ページ程度の小著の内の140ページが著書による温泉場の写真、残りのページは地方別に温泉地探訪記で構成されている。 1960〜80年代初頭にかけての記録なので、掲載されている温泉宿の多くは既に廃業してしまっているので再訪は叶わない宿が多いと思われる。...
2024年3月読了。 200ページ程度の小著の内の140ページが著書による温泉場の写真、残りのページは地方別に温泉地探訪記で構成されている。 1960〜80年代初頭にかけての記録なので、掲載されている温泉宿の多くは既に廃業してしまっているので再訪は叶わない宿が多いと思われる。 161ページ(群馬県・湯平温泉) 私は、無口でひかえめな人柄の主人に親しみを覚え、こんな粗末な宿で、家族ぐるみ住み込んでいる境遇を想ってみたりした。質素で慎ましい埋もれたような人生は、不遇にみえることもあるけれど、こういう辺鄙な片隅ではあっても、平穏無事に過ごせるなら悪くはないのではないか、不遇なら厄災も張合をなくして相手にしなくなるのではないかと、自分の不調のことも思い巡らせていると、何かしら癒しに似た心持ちも兆し、いつか眠りに落ちた。 →ここまでの心境に至るにはまだまだ俗世の垢に塗れないと至ることはできなさそうだ。 163ページ(埼玉県・秩父地方) 鉱泉は素朴な田舎宿のほうが味も濃いわけで… →華やかな温泉地もよいがしみじみとした鉱泉で心静かに数日過ごしてまた都会に帰る、みたいな生活に憧れがあるが未だ達成できずにいる。 168ページ(同上) →柴原鉱泉の「白百合荘」という宿が紹介されているが、今はもう存在しないようだ。でも柴原鉱泉自体は存在しており宿もある模様。西武鉄道がレッドアロー号の運行を頻りに宣伝していて往時の静かさをあまりに期待し過ぎると裏切られそうだが、次の旅行地には好適かもしれない。 177ページ(山梨県・下部温泉) →ここでは大市館という宿が紹介されているが、この宿もどうやら廃業済みのようだ。下部温泉には身延山に行く途中に立ち寄ったことがある。当時(10年近く前)でも大型観光ホテルは廃墟化していてなかなか寂しげな雰囲気であったが、公衆浴場は渓流を眺めることができる場所にあり、なかなか良い場所だったと記憶している。井伏鱒二が投宿したという源泉館は今も稼働中なので、今度行く時は是非宿泊してみたい。望むらくはオーバーツーリズムを起こしていないことのみ。でも大した観光地はなかったと記憶している。都心からのアクセスも良くはない。 190ページ(伊豆半島・松崎) →「長八の宿・山光荘」に投宿したとのこと。ここは現存している。 温泉に行くというと一大イベントだったような気もするが、もう少し気楽に、「何もすることないからとりあえず温泉にでも行くか」くらいの軽い感じで温泉に行けるようになりたい。 こんな条件を満たす温泉宿を探している。 ・東京から遠すぎない(電車で2時間圏内くらい) ・メジャー観光地ではなく、大して見るべきものはない ・温泉は加水や沸かしをしていない、でも洗い場はそこそこ綺麗に保たれている ・宿主やスタッフとの距離感は近過ぎず遠過ぎず ・渓流の流れか海の波の音が聞こえてきたら尚可 ・山の中なのに海鮮が出てきたり、海の近くなのに山の幸が出てくるといった矛盾を生じない ・価格は「節度感」次第。安ければよいというわけではない。
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