商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 講談社 |
| 発売年月日 | 2010/07/14 |
| JAN | 9784062767316 |
- 書籍
- 文庫
あじさい日記(下)
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あじさい日記(下)
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商品レビュー
3
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下巻は、案の定想定通りと言っても良いくらい 妻である志摩子が学生時代に憧れてた先生と陳腐な恋に落ちるのだが、、、男性の作者が描く人妻の恋はリアリティーがない。 奇しくも院長夫人である志摩子がそんなベタなデートで恋に落ちるとは思い難い。最後まで志摩子は浮気はしてなくて夫である省吾...
下巻は、案の定想定通りと言っても良いくらい 妻である志摩子が学生時代に憧れてた先生と陳腐な恋に落ちるのだが、、、男性の作者が描く人妻の恋はリアリティーがない。 奇しくも院長夫人である志摩子がそんなベタなデートで恋に落ちるとは思い難い。最後まで志摩子は浮気はしてなくて夫である省吾に日記を盗み読みされているから嘘日記を書いてるのではないかと期待していたが、、、 男性が描く人妻像はこうあって欲しいという女性への期待感が込められているような気がする。 現代においては日記ではなくsnsの裏垢であったりブログであったりLINEやInstagramのメッセージで浮気が発覚する事があるのだろう。 マジソン郡の橋のようにしんでから子ども達に秘めた恋を知られるのも困る。 何故人は恋心を書き留めようとするのか? 秘めた恋であるほど書かずにはいられない衝動とは何なのか? AIに向かって心の内を相談した内容をパソコンで同期してしまって配偶者に見られたりする事もあるだろう。 「書く」と言うことは文章になれば誰かに読まれたがっているのではないか? 人間の本音が露呈する瞬間の緊張感を「読みたい」と思わせてるのではないか? 人は覗き見したがる本能があるのだろう。 男は下方願望と言うものがある。下方比較だろうか、、従順で素直な女性に惹かれるものだと作中教授が志摩子に言う所がある。美人で賢く人も羨むような女性と結婚すると何故かモテるようになる。浮気相手は妻よりも下方である事が多いようだが既に他の女性が選んだ男性である事が価値があると勘違いしてしまう女性がたまにいる。 女性はこの手の略奪女が総じて大嫌いだ。 志摩子は積み上げてきた家庭や社会的地位を揺るがし奪おうとする敵に対して苛立ったのだと思う。 しかし、あっさりとまた自分も浮気相手になってしまえば都合よく自分の場合は純愛かのように勘違いしてしまうのも女の性なのだろう。 源氏物語を引用しながら恋に堕ちた志摩子の日記は文学的表現に長けていく。 国文学卒だから文章が元々上手だったのかもしれないが、下巻は読まれる事を意識した日記になっている。 渡辺淳一作品にしては珍しく子どもがいるファミリータイプの作品だが、極普通の一般家庭の主婦が一日で上下巻一気読みしたくなる「読みやすさ」のテクニックが粋である。
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妻の志摩子に、詩織という愛人の存在が知られたあとも、あいかわらず省吾は愛人関係を清算することもなく、妻と別れるという決断もせず、冷え切った夫婦生活をつづけていきます。 その後も、しばしば妻の日記を盗み読みすることを繰り返していた省吾は、志摩子がカルチャー・センターに通い出し、大...
妻の志摩子に、詩織という愛人の存在が知られたあとも、あいかわらず省吾は愛人関係を清算することもなく、妻と別れるという決断もせず、冷え切った夫婦生活をつづけていきます。 その後も、しばしば妻の日記を盗み読みすることを繰り返していた省吾は、志摩子がカルチャー・センターに通い出し、大学時代にほのかな好意を寄せていた教授と再会してデートをかさねるようになったことを知ります。今度は省吾のほうが、妻の浮気に気を揉む日々を送ることになります。 倦怠期の夫婦の心情の機微に迫る作品というよりはむしろ、読者にストーリーのゆくえを追うおもしろさをあじわわせてくれる小説と言ってよいのではないかと思います。そうした意味では、十分にたのしんで読むことができましたが、妻の浮気相手である清原光彦という国文学の研究者の人物造形には、ちょっと首をひねってしまいます。 妻の日記のなかで清原教授の『源氏物語』解釈が披露されるのですが、引っかかったのはそこに著者自身の男性観がそのままのかたちで語られている点です。じっさいのところ、文学研究者が、源氏の行動原理について「男の本能」などといった社会生物学的な説明をするとはとうてい考えられませんが、それは筒井康隆の『文学部唯野教授』におけるソシュール解釈が誤っているといった類の批判で、小説に対する批判としては意味がないといってよいでしょう。それはいいのですが、この大学教授の男性観が、省吾のそれとまったくおなじで、著者自身の男性観をそのまま写しとったものになってしまっているのは、やはり小説の幅を狭めているような気がします。ひょっとすると、著者はこうした類型以外の男を書くことができないのか、と疑ってしまいます。
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ひたすら夫の裏切りに耐え、愛人と対決しつつ自分の道を探っていた妻の反逆。 それは自身も夫以外に愛を求めることであった… 妻としての誇り、女のプライド… 夫が精一杯裏をかいたつもりでも全て一枚上手なのが妻である。全てお見通し。これに尽きる。
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