商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 文藝春秋 |
発売年月日 | 2008/12/10 |
JAN | 9784167548087 |
- 書籍
- 文庫
プーさんの鼻
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プーさんの鼻
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商品レビュー
4.1
14件のお客様レビュー
新型コロナの緊急事態下だからこそみんなで読みたい本。 文学としては邪道な読み方だけど、ああー子どもといるってこういうよろこびがあるのかを、保育園利用自粛中(「在宅保育」、家庭保育)・休園中に、家庭で再認識できる本だと思います。 今はZOOMなどで子育てをめぐって話し合い、コ...
新型コロナの緊急事態下だからこそみんなで読みたい本。 文学としては邪道な読み方だけど、ああー子どもといるってこういうよろこびがあるのかを、保育園利用自粛中(「在宅保育」、家庭保育)・休園中に、家庭で再認識できる本だと思います。 今はZOOMなどで子育てをめぐって話し合い、コロナが明けたら、そういう話題を日々お迎えに来たときや連絡帳とかで、みんなで話せたらと思う。子どもについて話が尽きないような園っていいですよね。 また子どもをとりまく、恋愛、仕事なども詠まれているので、それぞれのそういう話のきっかけにもなって、自分のこともあらためてとらえなおす助けになりそうな本です。 子どもに関する歌にかなり絞ったもので『生まれてバンザイ』もよいです。父親との関係などしんどさがある人はまずこちらの本からの方がよいかもしれません。 https://booklog.jp/users/lifedevelop2020/archives/1/4887471041 ↓ 発達研究もこの本ではじめられる。「2つの発達表」と照らして、子どもの様子を見ていく。文学に出てくる子どもの姿をとらえるのは一つの有力なやり方です。感性もよみがえる。(動画「発達研究をはじめよう」 https://www.youtube.com/watch?v=mHgjylwNUDA) ↓ プルーンの種のようなる眼(まなこ)して吾子が初めて見ている我が家 おっぱいのこと考えて一日が終わる今日は何曜日だっけ ふるえつつ天抱くしぐさ育児書はモロー反射と簡単に呼ぶ 泣くという音楽がある みどりごをギターのように今日も抱えて 子を真似て私も本を噛んでみる確かに本の味がするなり この夏は猛暑の予感ぐらゆらとつかまり立ちを始めるおまえ あーじゃあじゃ、うんまばっぽー、この声がいつか言葉になってゆくのか …… 園を休ませたら虐待してしまうかも、とかいう親御さんとゆっくりじっくり読んでいければと思う。こういう保育、というのでなく、子どものとらえ方を感じてほしいところ。子どもといっしょにその親子・家庭なりの子育てをつくっていく。正解はありません。 保育士を目指す人、発達研究をする人(子育て中のあなたもいっしょに!)は、同じく俵万智さんの『かーかん、はあい』をおすすめします。絵本の紹介というより子どものやっていることをこう見るのか、という「見方」がやわらかいです。 https://booklog.jp/item/1/4022505095 ↓ 学生さんには、この本を含めて、以下の「この3冊」を紹介しています。万華鏡のように、見えてくるものがあると思います。 https://booklog.jp/users/lifedevelop2020?tag=%E3%81%93%E3%81%AE3%E5%86%8A&display=front 介護施設を利用自粛して在宅介護をしている人にも、こういった在宅介護のよさや楽しさがわかる本を届けて、話をしていければと思います。私はちょっと介護に関してこの本というのが思いつかないのでぜひ紹介してください。20200423
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【いちぶん】 子どもの歌、恋の歌、家族の歌……。短歌は、私のなかから生まれるのではない、私と愛しい人のあいだに生まれるのだ。 (p.154)
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第4歌集。 これまでの歌集と異なり、かなり円熟したやうな印象を受ける。同じテーマが続いてゐるといふのもあるだらうが、短歌が自然と馴染んできたのだらうか。さっくりと切れるナイフのやうな鋭さはなく、ことりと机の上に置かれたマグカップのやうな生活感がある。 このひとの生活は気づけば31...
第4歌集。 これまでの歌集と異なり、かなり円熟したやうな印象を受ける。同じテーマが続いてゐるといふのもあるだらうが、短歌が自然と馴染んできたのだらうか。さっくりと切れるナイフのやうな鋭さはなく、ことりと机の上に置かれたマグカップのやうな生活感がある。 このひとの生活は気づけば31文字で満たされてゐるのだらう。短歌的な思考とでも言はれるものだらうか。折に触れて心の動きを捉へた時、それが31文字になつてゐるのだと思ふ。よくも悪くも、短歌が当たり前になつた感覚。 やはり子どもをもつたといふことは短歌を詠むといふ行為に少なくない影響を与へたのだらう。この身に宿した子どもといふなんとも不可解でそして愛おしい存在を詠む。自分の中にゐるといふのに、自分の力の到底及ばない存在。自分の感覚が最も通じない相手。だからこそ詠む者は心の動きに敏感でなければならなかつたのだらう。 子どもは日々刻々と変りゆく。昨日できなかつたことが今日できるやうになつてゐる。日常といふ流れの中にはまつてしまへば見過ごされてゆくさうした驚きを捉へやうとすれば、じつくりと自分の中に沈み込んでいくやうな思考、切れ味はするどくもさつくりと深く傷を与へてしまふやうなことばでは、子どもを詠めない。話す人間を前にしてことば遣ひを無意識に変へるやうに、短歌もまた変はつてゆく。関係の中で生まれる短歌とはさういふことではないか。 また子どもが成長していつたり、自身が老いてゆけば出会ふものもかはつていくはずである。さうしてまた、短歌は見せ方を変へる。
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