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なぜ私だけが苦しむのか 現代のヨブ記 岩波現代文庫 社会164
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 岩波書店 |
| 発売年月日 | 2008/03/14 |
| JAN | 9784006031640 |
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なぜ私だけが苦しむのか
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なぜ私だけが苦しむのか
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商品レビュー
4.3
42件のお客様レビュー
・まず、「一神教の信者は全ての事象の責任を神に求める」という偏見を俺も持っていたことに気付かされた。 →神は完全な存在であり、行うことや人に与える試練には全て理由があると思っている…と思っていた。 ・まず世の中の不条理な災難や不幸、もっと言えば道理が通っていることでさえ神の采配...
・まず、「一神教の信者は全ての事象の責任を神に求める」という偏見を俺も持っていたことに気付かされた。 →神は完全な存在であり、行うことや人に与える試練には全て理由があると思っている…と思っていた。 ・まず世の中の不条理な災難や不幸、もっと言えば道理が通っていることでさえ神の采配によるものではない(=神は全ての事柄を掌握しているわけではない)事が一つ著者が伝えたい事だと思われる。 ・しかしその「神への責任の追求」、すなわち「なぜこんな酷い事をするのですか/なぜ黙って見ているのですか」という思いは「神は全てを掌握している」というある種の信頼から来るもので、そこのパラダイムシフトは無信心な俺でも衝撃に感ぜられるくらいなのだから、敬虔な信者にとってはあまりに大きいショックだと推察できる。 ・ただ、その認識を捨て去る事で、「神は私を苦しめようとしているわけではない(=神は私たち側に立ってくれている)」という別の信頼、安堵にも繋がるというのは大きいなと感じた。 ・同時にその捉え方は『沈黙』で司祭が最後にたどり着いた考えとも通ずるものがあると思った。神が私の側に立って一緒に苦しんでくれている、というのも救いだね ・最後に「では宗教/神は何を与えてくれるか?」という問いに対して提示した「勇気」という答えは今広く浸透しているが、改めて感動を覚えた。
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ユダヤ教の聖職者が書いた本だから、当然神を肯定するための内容になっている。そのため、ユダヤ教やキリスト教の神を信じていない人にとっては同意しにくい主張がある。ただ、納得できる考え方も多く、答えにくい問いに真摯に向き合う著者の姿勢には好感がもてる。 著者は、神は人生に起こる不幸に...
ユダヤ教の聖職者が書いた本だから、当然神を肯定するための内容になっている。そのため、ユダヤ教やキリスト教の神を信じていない人にとっては同意しにくい主張がある。ただ、納得できる考え方も多く、答えにくい問いに真摯に向き合う著者の姿勢には好感がもてる。 著者は、神は人生に起こる不幸に関与しておらず、不運な出来事は神のせいではなく、ただのめぐり合わせだという。そして、そうであるからこそ、苦難は神の計画の一部であるとか、罰として与えられたもの、乗り越えられるから与えられたものであるといったよくある考え方を一切否定している。 ではなぜ病や死などの不幸があるのかといえば、それはわからないという。それらはただ人生のひとつの条件であるだけに過ぎないと。人間が苦しみ悲しんでいるとき、神もまた、人の味方として苦しみ悲しんでいるのだそうだ。この点は、遠藤周作の『沈黙』で主人公がたどり着くキリスト観にもよく似ていると思った。 また著者は、なぜ苦しまねばならないのかとか、この苦しみの意味はなにかとかと問うな、ではどうすればよいかと問えと言う。この考え方は、フランクルが『夜と霧』で述べている「生きることが自分になにを求めているか」という問いと同じだと思う。 ただ、神が苦難を与えも取り除きもしないなら、神が神である根拠はなにか、神を信じなければならない理由はなにか、人と神の違いはなにかと疑問に思う。寄り添って苦痛を共有することなら、人でもできることではないか。この疑問にも答えられているが、この答えにはいまいち納得感がなかった。曰く、神は災いよりも素晴らしいことのほうがずっと多い世界を創造した。また、人の心に働きかけて奮い立たせ、苦しむ人を助けるよう導いているのだと。 悪いことより良いことのほうが多い世界を創造したというなら、悪いことが全くない世界にすることもできたのではないか。そうなると、人の不運に神が関与していないという主張と矛盾しないだろうか。結局人間に起こる不幸は、神が災いゼロの世界にしなかったからだ、つまり神のせいだということにならないか。災いゼロの世界にすることは神にはできなかったと言うなら、「神は災いよりも素晴らしいことのほうがずっと多い世界を創造した」という言い方は間違っている。 人の心に働きかけて云々というのも、物理的な出来事に関与できないのに、人間の心理を意図的に導くことはできるというのはご都合主義的な解釈に感じる。 全体を通して、聖職者としては最も答えにくいだろう問いに真正面から取り組んでいる著者の姿勢には共感できるし、起きたことを嘆くのではなく、どうするかを考えようという主張にも納得できる。ただ、あくまでも神を肯定したうえで、という制限つきなので、その都合に合わせるために神を恣意的に都合よく解釈しているよう感じる。
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メモ→https://x.com/nobushiromasaki/status/1824048490563223954
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