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ハイデガー「存在と時間」の構築 岩波現代文庫 学術9

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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 岩波書店/岩波書店 |
発売年月日 | 2000/01/14 |
JAN | 9784006000097 |
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ハイデガー「存在と時間」の構築
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ハイデガー「存在と時間」の構築
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商品レビュー
4.4
11件のお客様レビュー
問題は時差
哲学というのは当時の他の学問や技術制約のアオリも食らってるので、現代人が見てそのまんま参考になるかというとマーならんわけである。 ハイデガーの「存在と時間」も「時間制の諸脱自態の地平」という単語がピンとこなかった。 現代人の空間時間認識とズレている感じがしたからである。 ...
哲学というのは当時の他の学問や技術制約のアオリも食らってるので、現代人が見てそのまんま参考になるかというとマーならんわけである。 ハイデガーの「存在と時間」も「時間制の諸脱自態の地平」という単語がピンとこなかった。 現代人の空間時間認識とズレている感じがしたからである。 わちきたちは今、コロナショックで暇を持て余し、zoomで会議や会話したりネトゲで煽りあったりしてるのだが、そこで各自(各国)の時間帯は違うが30分なら30分、一時間なら一時間、と同じ時分数を共有してるという事態が起こってるのである。 海外の配信見たらこっちが朝で向こうが夜中でびっくりするんだよな。 たとえばzoomやskypeで会議してたらAの壁時計は1:00、Bの壁時計は9:00、Cの壁時計は23:00という寺山修司の時計のリアルガチ(リアル=Realitat、リアルガチ=objektive Realitat)版みたいなシュールな事態が起こりうる、起こってるのですよ。 ありていに言うと「存在了解の地平としての時間とか、時間制の諸脱自態的な地平とかごちゃごちゃ言ってっけど、それってこうした時差を超えて時間を共有してる事態もカバーできてんのか?」ってことです。 ま、地平を民族とか国とかにつなげちゃった人だからちがうだろうな。 でも現実はメディアをつかって時差を超えて同じ時間を共有するようになっちゃったし、そら「存在と時間」の構築も失敗しますわな。 確かに当時はネットやテレビを予測できなかったから仕方ないけど「でもでけえ国だと国内でも時差あるよ」「ローマ帝国再興したら時差の幅広くなっちゃうんじゃないの」と言われたら、ハイデガーの時間と空間と共同体記憶を結び付けようとした論理はやっぱアヤしかったんじゃないのと思う。 仮に民族というシバリを前提にしたとしても、海外のリポーターをテレビで見る場合、違う国の違う時間帯を同期的に共有してるわけだからね。 「えーっとひろゆきさんに質問です。」 ハイデガーがテレビや写真みたいなメディアに対して嫌悪感を示すような態度だったのもわかるわな。 よく覚えとらんがアレンとみたいな弟子筋もきらいだったわけでしょ。「時間差空間差のどこでもドア」みたいなの出されたら「存在と時間」の哲学がふらついて崩れちゃうか。インターネットなんかも大嫌いだろうねえ。 「違うもん、インターネットとスマホの時間は嘘なんだもん、ネトゲとzoomの時間は嘘なんだもん。こっちが本物なんやもん」って言ってポエム唱えたところで弱いよな。 「技術論」はまさにその問題を唱えてたわけだけどねえ。 でもあんなの支持してたナチスに対抗するために、フォン・ノイマンはインターネットのベースを開発しちゃったようなもんだし、それで戦争に負けちゃったんだからこればっかりはしょうがないよ。 だから英米圏だとハイデガーはトンデモ扱いなんだろな。アインシュタインのgpsと時刻同期が「存在と時間」を倒しちゃったんだよ。解散解散。
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面白い。私は哲学については素人なので、ハイデガーの著作を色々な訳書で読んではみたものの、さっぱりわけが分からない。本書は私のような迷える子羊を幾分か救ってくれる解説である。 木田は難解な『存在と時間』を、その字句解釈に拘泥することなく、当時の思想的な背景を踏まえて包括的に解説する...
面白い。私は哲学については素人なので、ハイデガーの著作を色々な訳書で読んではみたものの、さっぱりわけが分からない。本書は私のような迷える子羊を幾分か救ってくれる解説である。 木田は難解な『存在と時間』を、その字句解釈に拘泥することなく、当時の思想的な背景を踏まえて包括的に解説する。その解釈にはかなり奔放に思われるものも多いが、これくらい自由にやってくれなければ素人には理解できないからちょうどいい。特に未完部分を再構築するなんて、その道の人たちからすれば非礼も甚だしいのだろうが、我々からすればどんどんやってくれと思う。 なんだかハイデガーの気持ちが分かった気にもなれるし、やはり全く理解できないことを突きつけられもする。期間を空けずに再読したい。
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本格的な哲学の話にはまったく疎く用語や概念・論理が頭に入ってこず、日本語を読んでいるとは思えない歯痒さの中で一応読み終えた。最後迄字面を追えたことで良しとしよう。木田元はわかり易く書いているが、概要を纏めてコメントするまでには理解できていない。しかし諦めるつもりはなく、哲学と仏教...
本格的な哲学の話にはまったく疎く用語や概念・論理が頭に入ってこず、日本語を読んでいるとは思えない歯痒さの中で一応読み終えた。最後迄字面を追えたことで良しとしよう。木田元はわかり易く書いているが、概要を纏めてコメントするまでには理解できていない。しかし諦めるつもりはなく、哲学と仏教は読書活動の最終領域として読力と思考力が続く限り追求していく。このハイデガーの『存在と時間』、本質的な問題であることがわかってきたので「ぶつかり稽古」のように読み続ける。
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