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ハイデガー「存在と時間」の構築 の商品レビュー

4.4

11件のお客様レビュー

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問題は時差

哲学というのは当時の他の学問や技術制約のアオリも食らってるので、現代人が見てそのまんま参考になるかというとマーならんわけである。 ハイデガーの「存在と時間」も「時間制の諸脱自態の地平」という単語がピンとこなかった。 現代人の空間時間認識とズレている感じがしたからである。 ...

哲学というのは当時の他の学問や技術制約のアオリも食らってるので、現代人が見てそのまんま参考になるかというとマーならんわけである。 ハイデガーの「存在と時間」も「時間制の諸脱自態の地平」という単語がピンとこなかった。 現代人の空間時間認識とズレている感じがしたからである。 わちきたちは今、コロナショックで暇を持て余し、zoomで会議や会話したりネトゲで煽りあったりしてるのだが、そこで各自(各国)の時間帯は違うが30分なら30分、一時間なら一時間、と同じ時分数を共有してるという事態が起こってるのである。 海外の配信見たらこっちが朝で向こうが夜中でびっくりするんだよな。 たとえばzoomやskypeで会議してたらAの壁時計は1:00、Bの壁時計は9:00、Cの壁時計は23:00という寺山修司の時計のリアルガチ(リアル=Realitat、リアルガチ=objektive Realitat)版みたいなシュールな事態が起こりうる、起こってるのですよ。 ありていに言うと「存在了解の地平としての時間とか、時間制の諸脱自態的な地平とかごちゃごちゃ言ってっけど、それってこうした時差を超えて時間を共有してる事態もカバーできてんのか?」ってことです。 ま、地平を民族とか国とかにつなげちゃった人だからちがうだろうな。 でも現実はメディアをつかって時差を超えて同じ時間を共有するようになっちゃったし、そら「存在と時間」の構築も失敗しますわな。 確かに当時はネットやテレビを予測できなかったから仕方ないけど「でもでけえ国だと国内でも時差あるよ」「ローマ帝国再興したら時差の幅広くなっちゃうんじゃないの」と言われたら、ハイデガーの時間と空間と共同体記憶を結び付けようとした論理はやっぱアヤしかったんじゃないのと思う。 仮に民族というシバリを前提にしたとしても、海外のリポーターをテレビで見る場合、違う国の違う時間帯を同期的に共有してるわけだからね。 「えーっとひろゆきさんに質問です。」 ハイデガーがテレビや写真みたいなメディアに対して嫌悪感を示すような態度だったのもわかるわな。 よく覚えとらんがアレンとみたいな弟子筋もきらいだったわけでしょ。「時間差空間差のどこでもドア」みたいなの出されたら「存在と時間」の哲学がふらついて崩れちゃうか。インターネットなんかも大嫌いだろうねえ。 「違うもん、インターネットとスマホの時間は嘘なんだもん、ネトゲとzoomの時間は嘘なんだもん。こっちが本物なんやもん」って言ってポエム唱えたところで弱いよな。 「技術論」はまさにその問題を唱えてたわけだけどねえ。 でもあんなの支持してたナチスに対抗するために、フォン・ノイマンはインターネットのベースを開発しちゃったようなもんだし、それで戦争に負けちゃったんだからこればっかりはしょうがないよ。 だから英米圏だとハイデガーはトンデモ扱いなんだろな。アインシュタインのgpsと時刻同期が「存在と時間」を倒しちゃったんだよ。解散解散。

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2025/10/24
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

「存在と時間」の中で書かれなかった第三篇の再構築を、別の著作や講義録を元に試みる。 ハイデガーはユクスキュルなどの影響を受けていたということ。 ヘラクレイトスなどの時代の存在観、自然観に立ち戻ろうと考えていた節がある(東洋っぽくもある) ハイデガーは、本来一体だったはずの「ものがある」(事実存在)と「ものが〜である」(本質存在)がソクラテスプラトンあたりに分かれただけでなく本質存在が事実存在の上に来る序列が作られたと捉えた。 「自然」も、ソクラテスプラトン以前は自然科学の「自然」とは違っていて、物事のおのずからあるあり様、つまり本性を示していた(今もこの意味はある)。万物はおのれのうちに内蔵している運動の原理によっておのずから起こるもので、「あること」は「なること」だった。 例えばサルトルあたりは無神論の立場から事実存在の復権を試みたが、ハイデガーは両者を分けて考えること自体に警鐘を鳴らし、なぜ分裂してしまったのかを考えることが重要だと訴えた。 またハイデガーはアリストテレスをプラトンを継承しつつも反逆を試みた者と見て、ライプニッツ カント ショーペンハウアー ニーチェなどのドイツ形而上学もアンチプラトンと解釈。 私の感想「ゲーテの形成衝動的なことをドイツの色々な人が言っているんだなぁ。 近代以降の哲学は生命を機械的なものと見たり、時間を客観的に計測可能な物として見る見方から脱して、生命を動きとして見る見方、人間と世界が一体であるという感覚、主観的な時間を取り戻そうとずっと四苦八苦しているように見える。 老子、仏教、野口整体あたりに鍵がありそう」

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2023/09/22

本格的な哲学の話にはまったく疎く用語や概念・論理が頭に入ってこず、日本語を読んでいるとは思えない歯痒さの中で一応読み終えた。最後迄字面を追えたことで良しとしよう。木田元はわかり易く書いているが、概要を纏めてコメントするまでには理解できていない。しかし諦めるつもりはなく、哲学と仏教...

本格的な哲学の話にはまったく疎く用語や概念・論理が頭に入ってこず、日本語を読んでいるとは思えない歯痒さの中で一応読み終えた。最後迄字面を追えたことで良しとしよう。木田元はわかり易く書いているが、概要を纏めてコメントするまでには理解できていない。しかし諦めるつもりはなく、哲学と仏教は読書活動の最終領域として読力と思考力が続く限り追求していく。このハイデガーの『存在と時間』、本質的な問題であることがわかってきたので「ぶつかり稽古」のように読み続ける。

Posted byブクログ

2019/07/04

 ハイデガーの『存在と時間』は二十世紀最大の哲学書として名高いが、これが実は未完であることはあまり知られていないのではないだろうか。  ハイデガーが目指したのはあくまでも「存在とは何か」という問いであった。しかるにその存在を了解しているはずの人間――現存在――を準備作業として分析...

 ハイデガーの『存在と時間』は二十世紀最大の哲学書として名高いが、これが実は未完であることはあまり知られていないのではないだろうか。  ハイデガーが目指したのはあくまでも「存在とは何か」という問いであった。しかるにその存在を了解しているはずの人間――現存在――を準備作業として分析しているうちに、『存在と時間』は慌しく幕を閉じてしまう。長い前置きの後に待っていたはずの本論を、ハイデガーが書き継ぐことはついになかった。  そのことによって『存在と時間』に代表されるハイデガーの前期思想を実存主義と呼ぶことが多いが、それはおかしいと木田は指摘する。『存在と時間』を書き始めたとき、ハイデガーの頭の中ではすでに後半部の存在論が出来上がっていたはずである。否むしろ後半部が完成していたからこそ、その準備としての前半部を書くことができたのだろう。思索の順序と著述の順序が逆転しているのであり、書き終えた部分だけを拾い上げて実存主義と命名するのは不当である。そして木田はハイデガー研究家としての豊富な知識と洞察力を駆使して、あろうことか『存在と時間』の未完部分を再構成してしまう。  木田によればハイデガーが企てていたのは「存在」概念を覆すことであった。西洋哲学全体は非本来的な時間性に基づく通俗的存在概念(存在=被制作性)を基底として形成されてきた。西洋文化の行き詰まりを打開するためには、ニーチェを起源とするあらたな存在概念(存在=生成)を構成するしかない。しかしながらその試みは、人間中心主義的な文化を人間中心主義的なやり方で克服するという自己矛盾を含んでおり、だからこそ『存在と時間』は挫折したのだと木田は分析する。 「実存は本質に先立つ」とサルトルは言った。それは「本質存在(エッセンティア)が事実存在(エクシステンティア)に先行する」と言ってきたプラトン以来の形而上学的命題の逆転であった。しかし最大の問題は本質存在(デアル)と事実存在(ガアル)がなぜ分岐したのかということである。その分岐と共に、すなわち存在(ガアル)に対する驚きと共に、哲学が始まったのだ。そうハイデガーは考えていたと木田は敷衍する。  個人的に興味深かったのは、世界内存在という概念は生物学に起源があるという解説の中で、シグナルとシンボルの違いについて触れられている点であった。動物はシグナルは理解するがシンボルは理解できない。シンボル機能とは関係を関係づけるメタ構造化機能であり、言語を扱う人間のみがその能力を持っているという。ハイデガーに興味のない読者には退屈かも知れないが、優れた研究書としてお薦めしたい一冊である。

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2019/02/28

そもそも大著「存在と時間」が未完だったとは… というそもそもの驚きのところから読み始めた。本来予定されていた目次に目を通すだけでもわくわくしてくる。 だけど何回読んでもすべてはわからない。 存在の帰結が有限な時間性にあるとしよう。 では現存在が時間的動物になったのはいつからだろ...

そもそも大著「存在と時間」が未完だったとは… というそもそもの驚きのところから読み始めた。本来予定されていた目次に目を通すだけでもわくわくしてくる。 だけど何回読んでもすべてはわからない。 存在の帰結が有限な時間性にあるとしよう。 では現存在が時間的動物になったのはいつからだろう。 近代以前のキリストの教えの中では死後の復活があり、当時はそこまで時間的動物である必要があっただろうか。 など際限なく思考を広げさせてもらった。

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2011/09/02

まだ分からない。まだ分からないけれど、ようやく存在とその周辺の時間性がかすめるようになってきた。もう少しだ、もう少し

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2011/08/28
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

ハイデガーの「存在と時間」の未刊部を、その他のハイデガーの多くの資料から再構成しようとこころみた本。 その昔読もうとして、まったく歯が立ちませんでしたが、著者・木田元さんの「反哲学入門」を経て、ようやく読み切ることができました。 「存在と時間」の再構成となっていますが、そのようなわくわくするようなこころみを軸に、ハイデガーがなにを考え、何をしようとしたのかを追っていくのがとても楽しい本でした。

Posted byブクログ

2012/07/31

ハイデガーの『存在と時間』の未刊部分を構築するという意図で書かれた本。著者は、『現象学の根本問題』などの講義録を渉猟し、この時期のハイデガーの企図を推測している。 著者のハイデガー解釈がすばらしいことはもちろん認める。だが、これまでさまざまなところで著者が論じてきたことからの、...

ハイデガーの『存在と時間』の未刊部分を構築するという意図で書かれた本。著者は、『現象学の根本問題』などの講義録を渉猟し、この時期のハイデガーの企図を推測している。 著者のハイデガー解釈がすばらしいことはもちろん認める。だが、これまでさまざまなところで著者が論じてきたことからの、大きな発展が見られるわけではない。とりわけ、『わたしの哲学入門』(新書館)との重複が目立ちすぎる。 『わたしの哲学入門』はあくまで「哲学入門」という位置づけであり、ハイデガーの「存在の歴史」の構想を紹介することで、西洋哲学の主要問題を読者に分かりやすく提示することが目的であるのに対して、本書はあくまでもハイデガーの思想そのものを論じているといわれてしまえば、それ以上文句はつけにくいのだが、どうにも納得がいかない。

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2010/10/11

これから何度目かの通読をしようと思う。頭の中をすっきりさせて、自分のフィールドに集中するためだ。渡部昇一先生のいうところの「古典」となりつつある同著をしっかり自分のものとしたい。 この後、木田元先生の「反哲学入門」を再読し、和辻哲郎著「人間の学としての倫理学」や「アリストテレス...

これから何度目かの通読をしようと思う。頭の中をすっきりさせて、自分のフィールドに集中するためだ。渡部昇一先生のいうところの「古典」となりつつある同著をしっかり自分のものとしたい。 この後、木田元先生の「反哲学入門」を再読し、和辻哲郎著「人間の学としての倫理学」や「アリストテレス倫理学入門」J.O.アームソン著に取り掛かりたい。 どうも社会的排除や社会的包摂という概念を理解し、実践するには哲学における倫理学の理解が不可欠だと思うからだ。当然、社会学の知識も動員しなければならないので、しっかりと時間をかけて取り組みたい。

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2009/10/04

未完にして失敗に終わった「存在と時間」に対し筆者は、ハイデガーを何世紀に一人という哲学史家と評価し、彼の分析を共有しながら西洋哲学史全般からの見取り図から未完に終わった部分の再構築を試みる。あまりに精密かつ専門的なので理解できないところも多いが、かつてアリストテレスが再構築されて...

未完にして失敗に終わった「存在と時間」に対し筆者は、ハイデガーを何世紀に一人という哲学史家と評価し、彼の分析を共有しながら西洋哲学史全般からの見取り図から未完に終わった部分の再構築を試みる。あまりに精密かつ専門的なので理解できないところも多いが、かつてアリストテレスが再構築されて哲学史の礎となったのを再現するような興奮がある。

Posted byブクログ