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1冊でわかる動物の権利 1冊でわかる
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1冊でわかる動物の権利 1冊でわかる

デヴィッドドゥグラツィア(著者), 戸田清(訳者)

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 岩波書店
発売年月日 2003/09/08
JAN 9784000268653

1冊でわかる動物の権利

¥1,650

商品レビュー

4.3

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2025/02/04

動物の権利、動物に関する倫理について勉強しようと思って読んだ最初の本。ただ、「動物倫理学」という分野の本を初めて読んだということもあって、内容についてあまり残っておらず、トム・レーガン『動物の権利・人間の不正 道徳哲学入門』を読んでから、改めて内容を見返した。 改めて読み返してみ...

動物の権利、動物に関する倫理について勉強しようと思って読んだ最初の本。ただ、「動物倫理学」という分野の本を初めて読んだということもあって、内容についてあまり残っておらず、トム・レーガン『動物の権利・人間の不正 道徳哲学入門』を読んでから、改めて内容を見返した。 改めて読み返してみると、自分としては、第3章「動物とはどんな存在か」が面白かった。 本の構成としては、第2章に「動物の道徳的地位」について話がある。道徳的地位をもっている、つまり、道徳的に扱われる権利があるとはどういうことか。どういった動物が、その地位を持っているのか、といったことが主な内容になっている。このあたりの話は、他の入門書でも読んだ。 第3章では、動物の道徳的地位を議論するときに大前提となっている「動物が感覚性を持っている」という想定について検討する。要するに、動物の権利を訴えるには、動物たちが、痛いとか気持ちいいといった感覚や、苦しいとか嬉しいといった感情を持っている必要があって、実際、あるであろうことは想像に難くない。ただ、どう考えても、そうした「感覚性」が、人間と同じようにあると考えるのには無理がある。第3章では、実際のところ、動物たちが身の回りの世界をどのように経験しているのか、その心の世界のあり様を考察する。 動物に何かしらの心があることを証明するのに、とても経験的に納得のいく分かりやすい説明をしてくれているのがよかった。例えば、動物に「苦痛」があるのかどうかを次のような行動から推定する。 (1) 不快な刺激を避けたり逃れたりする(たとえば、尖ったものから足を引っ込めるなど) (2) 不快なできごとのあとで助けを求める(たとえば、吠える) (3) 休息と治癒のために酷使したり怪我をした体の一部の使用を控える(たとえば、酷使された筋肉をかばって動かさず、別の足を好んで使う) (P63) こういった目に見える行動から、どの程度の感覚性を持っているのかを考えることができるという話である。そして、具体的な例として、足かせ罠にかかったキツネが、罠の「苦痛」から逃れるために、自分の足を噛み切って逃れたことなどが紹介されている。 本のまえがきでも、各章に最低一枚は写真を配したとあるように、この本では、目に見える経験的なイメージを大切にしているように思う。それゆえに、曖昧になっているところもあるのかもしれないが、とても共感的に読み進められるところが、いいところだと思う。 正直、他の本を読んでみて、動物の権利について考えるために必要な考え方や概念、具体的なテーマや事例がよくまとまっていたことがわかった。今にして思えば、入門書としては、最適な本だったのだなと思う。

Posted by ブクログ

2021/10/03

ぼくらが大好きな肉や魚は、スーパーで自然発生したわけではない。生きて動いていたのを誰かが殺して、ぼくらはそれを食べているわけだ。本人たちの了承を得て殺しているわけはなく、では肉や魚を食べないとこっちが死んじゃうか、というとそういうわけでもない。栄養的にどうなのかはよくわからないが...

ぼくらが大好きな肉や魚は、スーパーで自然発生したわけではない。生きて動いていたのを誰かが殺して、ぼくらはそれを食べているわけだ。本人たちの了承を得て殺しているわけはなく、では肉や魚を食べないとこっちが死んじゃうか、というとそういうわけでもない。栄養的にどうなのかはよくわからないが、植物だけ食べても生きてはいけるだろう。では動物たちに、殺すことも含めて「迷惑」をかけることは許されるのか、を哲学的に考えた本。誰もが一度は考えるが、普通は結論の出しようもなく(結論を出した人の一部は菜食主義者になるのだろう)、そのまま「なあなあ」になってしまう、タブーの部分に切り込んだ本だ。 普通はこういう話は「かわいそう」という感情論で答えを出すのだろう。が、それだけだと「猫をいじめるのは許せないが豚肉はおいしいから豚は殺していい」、「パンダはかわいいから保護するがミノムシなんかどうでもいい」という、論理的には筋の通らない話になる。 動物を食べる話だけではなく、動物園、ペット飼育、動物実験、まで踏み込む範囲は広い。著者の主張ははっきりしていて、「必須ではない、避けうる苦痛を動物に与えることは悪である」だ。が、「必須」の定義が難しい。フォアグラをとるために、ガチョウやアヒルに無理やり餌を詰め込むことは虐待であって辞めるべきだ、という議論が今でも続いているけど、ではガチョウやアヒルに楽しんでもらえるように飼育して、そのあとで食べちゃうのはOKなのか? 前者より後者が「良い」のは間違いないし、当人に選択肢を与えたら後者を選ぶのは間違いないが、当人的には「食べられない」のが一番いいに決まっている。 狩りや釣りはどうか? 穀物を食べて生きていけるのにわざわざ動物や魚を殺して食べるのは「必須」なのか? 自分がやらなくても誰かがやるから問題ないのだろうか? ぼくはフライフィッシングが趣味なのだけれど、釣った魚を殺したり食べたりしないで、そのまま逃してやることが多い(キャッチ&リリース)。魚にとっては殺されて食べられるよりマシだと思うが、そもそも食べもしない魚をレジャーのために針にかける(痛いに決まっている)時点で、ぼくはちょっと後ろめたい。 著者の本音はみんな菜食主義者になり、畜産はやめ、狩りや釣りは問題外、動物園は動物に迷惑をかけていない(と思われる)ごくごく一部を除いて閉鎖し、動物実験はNG、ペットも犬猫などの家畜化された一部を除けば(それすら推奨されたことではないが)やめるべき、といういことなのだろうと思う。確かにそこまで行けば、哲学的/論理的にはすっきりするだろう。だが、そこまでは書かないのは、著者としても一切動物に迷惑をかけずに人間をやっていくのは無理だ、と思っているからなのだろう。後ろめたくなく動物を利用したいなあ、と思うからデカルトの動物機械論(動物は魂がなく、苦痛を感じる能力もなく、悲鳴を上げるように見えるのは機械が軋んでいるようなもの)みたいのが幅をきかせるのだと思う。 それを言うならそもそも動物たちを含めた生態系に一番迷惑をかけている人間をざっくり減らしたほうがいい、という話になってくる。というわけで、この話をスッキリさせるのは大変むずかしい。

Posted by ブクログ

2018/07/31

「人間は生命を殺して食べることによって生きる存在である。それが人間存在の根源的な条件である」みたいなのをジョゼフ・キャンベルで読んで以来、「動物の権利」は、気になっているテーマ。人間の暴力性ということを考えていく上で外せないテーマである。 というわけで、1年くらいに前に買ったん...

「人間は生命を殺して食べることによって生きる存在である。それが人間存在の根源的な条件である」みたいなのをジョゼフ・キャンベルで読んで以来、「動物の権利」は、気になっているテーマ。人間の暴力性ということを考えていく上で外せないテーマである。 というわけで、1年くらいに前に買ったんだけど、気が重くて、なかなか読めなかったのだが、なんとか読了。 「動物」については、ロジカルに考えれば、考えるほど、食べちゃいけないな、ということになっちゃうんですよね。 が、やはり肉は食べたい。というわけで、人間が肉を食べていい理由を考え始める。 のだけど、私が考える反論くらい、すでに解決済で、あっさりと反論されてしまう感じですね。 う〜ん、人間って、やっぱ罪深い存在だな〜、と。 と思っても、引き続き、肉を食べ続けるんだろうな〜。 この矛盾をなんらかの理屈で割り切ることなく、ホールドし続けることが、とりあえずのスタンスかな? 悩ましいよ〜。

Posted by ブクログ