- 中古
- 書籍
- 書籍
1冊でわかる動物の権利 1冊でわかる
定価 ¥1,650
1,375円 定価より275円(16%)おトク
獲得ポイント12P
残り1点 ご注文はお早めに
発送時期 1~5日以内に発送
商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 岩波書店 |
発売年月日 | 2003/09/08 |
JAN | 9784000268653 |
- 書籍
- 書籍
1冊でわかる動物の権利
商品が入荷した店舗:0店
店頭で購入可能な商品の入荷情報となります
ご来店の際には売り切れの場合もございます
お客様宅への発送や電話でのお取り置き・お取り寄せは行っておりません
1冊でわかる動物の権利
¥1,375
残り1点
ご注文はお早めに
商品レビュー
4.3
4件のお客様レビュー
ぼくらが大好きな肉や魚は、スーパーで自然発生したわけではない。生きて動いていたのを誰かが殺して、ぼくらはそれを食べているわけだ。本人たちの了承を得て殺しているわけはなく、では肉や魚を食べないとこっちが死んじゃうか、というとそういうわけでもない。栄養的にどうなのかはよくわからないが...
ぼくらが大好きな肉や魚は、スーパーで自然発生したわけではない。生きて動いていたのを誰かが殺して、ぼくらはそれを食べているわけだ。本人たちの了承を得て殺しているわけはなく、では肉や魚を食べないとこっちが死んじゃうか、というとそういうわけでもない。栄養的にどうなのかはよくわからないが、植物だけ食べても生きてはいけるだろう。では動物たちに、殺すことも含めて「迷惑」をかけることは許されるのか、を哲学的に考えた本。誰もが一度は考えるが、普通は結論の出しようもなく(結論を出した人の一部は菜食主義者になるのだろう)、そのまま「なあなあ」になってしまう、タブーの部分に切り込んだ本だ。 普通はこういう話は「かわいそう」という感情論で答えを出すのだろう。が、それだけだと「猫をいじめるのは許せないが豚肉はおいしいから豚は殺していい」、「パンダはかわいいから保護するがミノムシなんかどうでもいい」という、論理的には筋の通らない話になる。 動物を食べる話だけではなく、動物園、ペット飼育、動物実験、まで踏み込む範囲は広い。著者の主張ははっきりしていて、「必須ではない、避けうる苦痛を動物に与えることは悪である」だ。が、「必須」の定義が難しい。フォアグラをとるために、ガチョウやアヒルに無理やり餌を詰め込むことは虐待であって辞めるべきだ、という議論が今でも続いているけど、ではガチョウやアヒルに楽しんでもらえるように飼育して、そのあとで食べちゃうのはOKなのか? 前者より後者が「良い」のは間違いないし、当人に選択肢を与えたら後者を選ぶのは間違いないが、当人的には「食べられない」のが一番いいに決まっている。 狩りや釣りはどうか? 穀物を食べて生きていけるのにわざわざ動物や魚を殺して食べるのは「必須」なのか? 自分がやらなくても誰かがやるから問題ないのだろうか? ぼくはフライフィッシングが趣味なのだけれど、釣った魚を殺したり食べたりしないで、そのまま逃してやることが多い(キャッチ&リリース)。魚にとっては殺されて食べられるよりマシだと思うが、そもそも食べもしない魚をレジャーのために針にかける(痛いに決まっている)時点で、ぼくはちょっと後ろめたい。 著者の本音はみんな菜食主義者になり、畜産はやめ、狩りや釣りは問題外、動物園は動物に迷惑をかけていない(と思われる)ごくごく一部を除いて閉鎖し、動物実験はNG、ペットも犬猫などの家畜化された一部を除けば(それすら推奨されたことではないが)やめるべき、といういことなのだろうと思う。確かにそこまで行けば、哲学的/論理的にはすっきりするだろう。だが、そこまでは書かないのは、著者としても一切動物に迷惑をかけずに人間をやっていくのは無理だ、と思っているからなのだろう。後ろめたくなく動物を利用したいなあ、と思うからデカルトの動物機械論(動物は魂がなく、苦痛を感じる能力もなく、悲鳴を上げるように見えるのは機械が軋んでいるようなもの)みたいのが幅をきかせるのだと思う。 それを言うならそもそも動物たちを含めた生態系に一番迷惑をかけている人間をざっくり減らしたほうがいい、という話になってくる。というわけで、この話をスッキリさせるのは大変むずかしい。
Posted by
「人間は生命を殺して食べることによって生きる存在である。それが人間存在の根源的な条件である」みたいなのをジョゼフ・キャンベルで読んで以来、「動物の権利」は、気になっているテーマ。人間の暴力性ということを考えていく上で外せないテーマである。 というわけで、1年くらいに前に買ったん...
「人間は生命を殺して食べることによって生きる存在である。それが人間存在の根源的な条件である」みたいなのをジョゼフ・キャンベルで読んで以来、「動物の権利」は、気になっているテーマ。人間の暴力性ということを考えていく上で外せないテーマである。 というわけで、1年くらいに前に買ったんだけど、気が重くて、なかなか読めなかったのだが、なんとか読了。 「動物」については、ロジカルに考えれば、考えるほど、食べちゃいけないな、ということになっちゃうんですよね。 が、やはり肉は食べたい。というわけで、人間が肉を食べていい理由を考え始める。 のだけど、私が考える反論くらい、すでに解決済で、あっさりと反論されてしまう感じですね。 う〜ん、人間って、やっぱ罪深い存在だな〜、と。 と思っても、引き続き、肉を食べ続けるんだろうな〜。 この矛盾をなんらかの理屈で割り切ることなく、ホールドし続けることが、とりあえずのスタンスかな? 悩ましいよ〜。
Posted by
『動物について真剣に考える』の簡易版 ・動物虐待非難について 第一に、不必要に動物を傷つけている場合 第二に、動物虐待が人間に有害な結果をもたらすかどうかについては必ずしもそうと言えない。 ・理性の有無で考えることはできない 理由:子供の場合は?理性を欠いた精神的病気を持った...
『動物について真剣に考える』の簡易版 ・動物虐待非難について 第一に、不必要に動物を傷つけている場合 第二に、動物虐待が人間に有害な結果をもたらすかどうかについては必ずしもそうと言えない。 ・理性の有無で考えることはできない 理由:子供の場合は?理性を欠いた精神的病気を持った人を搾取していいのか ・動物と人間の殺害の罪の重さ 比較するものであれば平等と言えない ・介入と"純粋に援助が助けになる場合"の違い 草食動物を助けても野生の食物連鎖など p54まで 6/4
Posted by