1,800円以上の注文で送料無料

生物から見た世界 岩波文庫
  • 新品
  • 書籍
  • 文庫
  • 1224-24-05

生物から見た世界 岩波文庫

ユクスキュル(著者), 日高敏隆(訳者), 羽田節子(訳者)

追加する に追加する

生物から見た世界 岩波文庫

858

獲得ポイント7P

在庫なし

発送時期 1~5日以内に発送

商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 岩波書店
発売年月日 2005/06/16
JAN 9784003394311

生物から見た世界

¥858

商品レビュー

4

109件のお客様レビュー

レビューを投稿

2025/02/24

人と生物(動植物のことだが本書では主に動物)の関わりについての一考察。人と生物を比べる、あるいは生物の活動を解釈する際に、どうしても人の基準で見てしまう。すなわち、目で見て、耳で聞いて、鼻で嗅いで、舌で味う、など。しかし、よく知られているように犬の嗅覚は人の何万倍も鋭いのだから、...

人と生物(動植物のことだが本書では主に動物)の関わりについての一考察。人と生物を比べる、あるいは生物の活動を解釈する際に、どうしても人の基準で見てしまう。すなわち、目で見て、耳で聞いて、鼻で嗅いで、舌で味う、など。しかし、よく知られているように犬の嗅覚は人の何万倍も鋭いのだから、感じ方や解釈の仕方が異なるはず。昆虫が複眼で見ている世界は色も見え方も違う。猫は目が見えなくなっても、髭さえあれば大抵のところは移動できる。イソギンチャクは触覚で動くものと動かないものを見分け、天敵のヒトデが近づくと防衛姿勢をとる。人間の世界も同様で、価値観を共有するもの同士、などという考え方は、甘いのかもしれない。

Posted by ブクログ

2025/02/15

「環世界」という聞き慣れない単語が主題である。かなり古い科学の本。 環世界というのは生物の知覚能力に従って、生物自身が知覚することにより理解できる環境のことである。主観的な環境とも言える。 一般的に環境という場合は物理的、物質的な環境、すなわち客観的な環境のことを指していて、環世...

「環世界」という聞き慣れない単語が主題である。かなり古い科学の本。 環世界というのは生物の知覚能力に従って、生物自身が知覚することにより理解できる環境のことである。主観的な環境とも言える。 一般的に環境という場合は物理的、物質的な環境、すなわち客観的な環境のことを指していて、環世界とは異なる。 当然、ゾウリムシのような単純な知覚能力しか持たない生物の環世界は単純である。 といったような話。 大切なのは、自分自身が知覚していると思っている環境とはあくまで自分自身の環世界でしかなく、鳥や昆虫など別の生物はまったく別の世界を知覚しているのだということを理解したうえで想像力を働かせることなのかなと思った。

Posted by ブクログ

2025/01/26

インターネットで「男女の世界の見え方の違い」というような画像を見たことがある。主には性的な視線の違いを面白おかしく誇張した内容だが、それ程おかしくもない、こんなものかなーという感じだった。人間は、目に入る世界に意味づけをして知覚する。∵を顔として見たり、飾り付けたケーキを美味しそ...

インターネットで「男女の世界の見え方の違い」というような画像を見たことがある。主には性的な視線の違いを面白おかしく誇張した内容だが、それ程おかしくもない、こんなものかなーという感じだった。人間は、目に入る世界に意味づけをして知覚する。∵を顔として見たり、飾り付けたケーキを美味しそうに感じたり、逆に牛や鶏そのものには食欲をそそられなかったり。生得的に意味付けされたものが、母親、危険な発色、異性などのシグナルだろうか。これが、人間と動物、昆虫で違う。実存世界や観念世界とも違う、環世界という、タイトルの生物から見た世界のことだ。 この環世界の見え方から、下等な生物は、単に知覚して反射的に運動する「動物機械」ではないか、という議論にまで発展する。私も虫と機械は違うのか、そんな事を感じた事があるので、よく分かる。ダンゴムシに心がある、と言われてもいまだにピンとこないままだ。 ー われわれは、ダニの知覚器官には知覚細胞があるはずでそれが知覚記号を送りだしているということを確認できればそれで十分であり、美食家の知覚器官についてもこれを想定している。ただし、ダニの知覚記号は酪酸の刺激を彼らの環世界の知覚標識に変えるが、美食家の知覚記号はその環世界でレーズンの刺激を知覚標識に変えるのである。 この知覚標識だが、生物により体感時間も異なるし、見た目だけじゃなくて、臭い、音、フェロモンなど多様だ。 ー 私が彼に短い梯子に登るようにというと、彼はこうたずねた。「支柱と隙間しか見えないけど、いったいどうすればいいんですか」。もう一人の黒人が彼の前で登ってみせたところ、彼はそれを難なくまねることができた。それ以来、彼にとって知覚的に与えられた「支柱と隙間」は登るというトーンをもつようになり、いつでも梯子と見なせるようになった。支柱と隙間という知覚像はみずからの行為という作用像によって補われ、これによってあらたな意味をもつようになった。そしてこれが新たな特性のように、行為のトーン、すなわち「作用トーン」の形であらわれたのである。この黒人の例からわかるように、われわれは自分の環世界の対象物でおこなうあらゆる行為について作用像を築きあげており、それを感覚器官から生じる知覚像と不可避的にしっかり結びつけるので、その対象物はその意味をわれわれに知らせる新たな特性を獲得する。これを簡単に作用トーンと呼ぶことにしょう。 宗教や教育、集団の価値観の解釈により、後天的に意味付けされ、記憶となり、人格や行動パターンが形成される。また、それを基にしてホルモンが分泌され、個々の性質、性格が生まれてくる。生物から見た世界が、逆に生物を規定する。どのような意識で何を見ようとしているのか。生きる上で、とても大事な事だと思う。

Posted by ブクログ